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「室町時代に枝分かれした遠縁」と強調されるが…知られざる「皇室と旧宮家」水魚の交わり

時は昭和22年(1947年)10月18日。昭和天皇は赤坂離宮において晩餐会を催され、皇籍離脱からまだ数日しか経っていない旧皇族の方々にこう仰ったという。

「従来の縁故と云ふものは今後に於ても何等変るところはないのであつて将来愈々(いよいよ)お互いに親しく御交際を致し度いというのが私の念願であります」

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それから約80年後の今日、その旧皇族の末えい――いわゆる「旧11宮家」の男系男子――が皇籍に復帰する可能性がかつてなく高まっている。

6月30日に閣議決定された皇室典範改正案には、「第6章 養子皇族男子」という章が新たに加えられ、第38条として次の規定が盛り込まれた。

「親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王(皇嗣および皇嗣妃を除く)は、皇室会議の議を経て、この法律による皇族男子であった者の嫡男系嫡出の子孫である現に皇族でない年齢15年以上の男子であって、配偶者および子がないものに限り、養子とすることができる」

このように皇族の養子縁組を法制化することについては、さまざまな世論調査で賛成派が40、50%に達している。小泉政権下での議論時を思えばかなりの高水準だが、それでもまだまだ国民の理解が深まってきたとはいいがたい。

天皇陛下はオランダ・ベルギーご訪問を前に、皇族数確保策について「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と仰った。このお言葉にいっそう沿う状況とするためにも、そもそも旧宮家とはどんな存在なのかを解説したい。

通婚を重ねてきた歴史

皇室と旧宮家の血縁関係についてだが、最も近い男系共通祖先は室町時代の皇族・伏見宮貞成親王(後崇光太上天皇)であり、約600年前に枝分かれした遠縁である――と説明されることが多い。

間違いではないが、それはあくまでも男系のみをたどった関係でしかない。この説明では、皇女を嫁がせることで古くからの宮家を血統的に近づけようとしてきた、歴代天皇の意思を無視しているのである。

今から約300年前の江戸時代中期に、霊元天皇が自らの皇女である福子内親王を伏見宮家第14代目・邦永親王に嫁がせた。この結婚によって皇室と旧宮家の最近共通祖先は、霊元天皇となっている。約600年の歴史がここで半分になるのだ。

2人の間に生まれた孫の伏見宮貞建親王は、霊元天皇にとってさぞ可愛い存在だったのだろう。霊元天皇は貞建親王が元服する際、当時としては異例なことに、摂関家ではなく皇族である有栖川宮正仁親王に加冠役を務めさせている。

「蓋し近時宮方の加冠の役は摂家に限り、親王加冠役の事、或は見る能はざるかと憂慮し給へる叡慮より出でたるなり」――高松宮家『正仁親王行実』(昭和12年)159頁。

その後も天皇家からの降嫁は続いた。明治天皇の成人された皇女はみな、伏見宮家の系統である竹田宮家、北白川宮家、朝香宮家、東久邇宮家に嫁がれている。東久邇宮家については、さらに昭和天皇の皇女である成子内親王も嫁がれている。

そして降嫁以上に重要なのが、久邇宮家が昭和天皇のお后である香淳皇后を輩出したことだ。伏見宮系の宮家から后妃を立てたことで、それ以降の天皇家は、明治天皇の皇女たちの降嫁先に選ばれなかった他の宮家とも比較的近い親戚関係にあるのである。

宮中祭祀への参列資格

現皇室と旧宮家のつながりは、単に上記のような血縁があるだけではない。

「昭和天皇実録」によれば、GHQ占領下の昭和22年2月26日、昭和天皇は「近く臣籍降下する宮家に対する降下後の宮中における取扱方針」をご承認になった。

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旧11宮家の皇籍離脱は、敗戦後という特殊環境の中で行われた異例のものだったため、それ以前に臣籍降下した者とは異なり、特別待遇が認められたのである。それを最も象徴するものとして、宮中祭祀に関する記述を示そう。

「祭典については、春季及び秋季の皇霊祭、同神殿祭には特に参拝方を取り計らい、その他の大祭には別の資格での参列を可能にすることとする」。彼らの席次は「皇族の次、諸員の上」とされた。すなわち、三権の長などよりも上座に置かれたのである。

このような礼遇は、源氏や平氏はもちろん、いわゆる「皇別摂家」の子孫にもないようだ。念のために、江戸時代前期の関白・近衞信尋(後陽成天皇の皇子)の末えいである某旧華族にお伺いしてみたが、「お声が掛かったことはない」とのことであった。

国民の中には、旧宮家はもはや源氏などと同じだと主張する者もいるが、それは宮中の現実とは大きくかけ離れている。だからこそ、三笠宮家の寛仁親王も生前にこう仰っていたのだ。

「旧皇族様方が現職のわれわれと絶縁しているわけではなく、たびたび宮殿や御所やその他でお目に掛かっているのです。ですから今日復帰されても違和感はまったくないですよ。その反対に、どれほど古い家柄や名家の方でも、普通の方が突然ある日から “宮様” と呼ばれることになるほうが、よほど違和感は大きいでしょうね」

――『皇族の「公」と「私」:思い出の人、思い出の時』(PHP研究所、平成21年)175頁。

「赤の他人」ではありえない

残念なことに現在、皇位継承議論がヒートアップする中で、皇籍復帰を阻止したいがあまり旧宮家を「赤の他人」などと批判する人々が後を絶たない。

筆者はそのような声に対して、旧オーストリア帝室(ハプスブルク=ロートリンゲン家)の継嗣であるフェルディナント大公の言葉を返したい。

「家族の間ですら連帯できないのに、いったいどうして世界中の人々とうまくやっていくことができるでしょうか?」

これは、2025年1月に一門のうち約90人と会ったことについて述べたものだ。現代のハプスブルク家は「女帝」ことマリア・テレジア以降の約300年間でおびただしく枝分かれしているが、それでも強固な同族意識を保っており、しばしば集会を催しているのである。

筆者の知る限り、日本でも旧華族などの名家においては、数百年前に分かれた家系に対して同族意識を抱き続けていることが珍しくない。 昭和天皇の「従来の縁故はなんら変わらない」というお言葉、そして事実として格別の礼遇を賜っていることを踏まえるに、皇室も同様であるはずだ。少なくとも、家族の形の多様化について肯定的な立場であれば、この価値観のみを否定する道理はあるまい。

そもそも論として、皇室は便宜上「宮家」単位で区別されるものの、現時点でも天皇を家長とする大きな「御一家」という建前であって、核家族が主流になった一般国民にはおよそ計り知れない世界なのである。庶民感覚で語ることには限界があるといわねばならない。

これほど密接な関係にあるにもかかわらず、皇室の方々がもしも旧宮家を「赤の他人」などと内心ではお考えになっているとすれば、あまりに冷酷ではないか。そのようなネガティブキャンペーンは、むしろ現在の皇室のほうを侮辱するものだ――と筆者には思えてならない。

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