#27 勝股秀通「主権侵害に国家意思示す時」

「主権侵害」に「国家意思示す時」 日本大学特任教授 勝股秀通
「我々は国に見放された」――。記者として長く防衛問題を取材してきたが、これほど言葉の重みを感じたことはそう多くはない。これは2004年、沖縄県の与那国町長だった尾辻吉兼氏にインタビューした際、氏が真っ先に発した言葉だ。
中国と台湾との間で軍事的な緊張が高まった1996年の台湾海峡危機で、中国は台湾の独立志向をけん制するため、台湾近海に弾道ミサイルを撃ち込み、うち2発が日本最西端の与那国島の西方約50キロの海上に着弾した。そこはカジキマグロなどの好漁場で、島の漁師たちは危機が収まるまで出漁を見合わせざるを得なかった。
尾辻氏は「空には中国軍機が飛び回り、目と鼻の先にミサイルが撃ち込まれた。せめて島から見える所に自衛隊の船が来てくれたら……」と話していたが、危機を救ったのは空母を急派させ、これ以上撃ち込めば米軍が反撃するとの意思を示した米海軍だった。冒頭の言葉が象徴するように、尾辻氏の胸中には政府への不信感だけが残っていたに違いない。
なぜなら沖縄が本土復帰した翌年の1973年、与那国町は自衛隊の誘致を決議し、尾辻氏は町議時代から何度も誘致を陳情してきたからだ。「政府は『中国を刺激する』と言うだけで何もしてくれない。国境の守りは国の守りそのものではないのか」と語っていた姿を、今も思い出すことができる。残念ながらインタビューの翌年、尾辻氏は急逝してしまった。
危機から20年後の2016年、与那国島に初の自衛隊部隊である沿岸監視隊が配備された。その後、先島諸島の宮古、石垣の島々にも対艦ミサイル部隊などが置かれ、国境の守りは整備されつつある。だがこの間、1兆円程度だった中国の国防費は急増し、2025年には36兆円を突破、日本の防衛費の5倍の規模にまで膨れ上がっている。
増勢を象徴するように、中国は日本周辺での軍事行動を活発化させ続けている。今年5月には、尖閣諸島(石垣市)の上空で、中国海警局のヘリが領空侵犯したにも関わらず、中国は「日本の民間機が領空侵犯したので、ヘリを発艦させて警告し、追い払った」と言い放った。ふざけた内容だが、これまで領空侵犯や領海侵入、排他的経済水域(EEZ)内での調査活動など中国の度重なる主権侵害に対し、毅然とした態度を示してこなかった政府の責任でもある。
戦後80年の夏を迎え、世界では平和が脅かされ始めている。今こそ政府は、他国から侵略される恐れや脅威がないにも関わらず、軍事力で恫喝する中国の悪質さを国際社会に発信しなければならない。「国に見放された」という言葉を二度と国民に使わせないために、主権侵害に対し国家意思を示す時だと思う。
かつまた・ひでみち 1958年千葉県生まれ、青山学院大学卒。1983年に読売新聞社入社。東京本社社会部で東京地検などを担当後、93年から防衛省・自衛隊を担当。99年には民間人として初めて防衛大学校総合安全保障研究科(1期生)を修了。その後、防衛問題の専門記者として解説部長兼論説委員、編集委員など歴任。2016年から日本大学に移り、24年から現職。著書は『検証 危機の25年』『自衛隊、動く』など。その他「国防の盲点」を『WEDGE』誌で46回連載するなどオンラインを含め論考を随時発表。



