#6 五味俊樹(東京国際大学特任教授)①

五味俊樹(東京国際大学特任教授)
 戦後日本の安全保障論議の中には、日本国憲法第九条を「平和の守護神」として崇め、日本の安全が守られているという主張がある。しかし、この認識はあまりにも楽観に過ぎる。平和を享受するためにはなんらかの「代償」を払わざるをえないことは人類の歴史が物語っている。その一例として、戦後日本の場合、自衛隊の創設を挙げることができよう。

 ところで、第九条は、一項において「国際紛争を解決する手段としては」「国権の発動たる戦争を永久に放棄」し、二項において「陸海空軍その他の戦力は保持しない」と規定する。但し、注意すべきは、第九条が自衛権を否認しているわけではない点である。なぜならば、一項は「国際紛争を解決する手段としての戦争」すなわち「違法かつ侵略の戦争」の放棄のみに限定された規定だからである。ちなみに憲法制定当時の吉田茂首相/日本政府は、その点に留意しつつ、二項において、一切の戦力保持が禁止されているため、たとえ自衛戦争であっても事実上、不可能だとする解釈をとっていた。

 自衛権の行使を難しくするアイディアは、占領下の日本において、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーによってもたらされた。日本政府はマッカーサーによって明治憲法の改正を促され、それに応じた。しかし、政府の改正案が旧態依然の内容だったため、総司令部(GHQ)はそれを不服として、自らモデル案(GHQ草案)を作成、日本側に抜本的修正を求めた。GHQ草案作成の際、マッカーサーは部下に対し、「自衛戦争を含む一切の戦争放棄、戦力の不保持」(マッカーサー・ノート=第二原則)を盛り込むよう命じた。これがまさに第九条の「原液」である。実際、GHQ草案をもとに作成された日本政府案第九条は、GHQ草案第八条と瓜二つの内容であった。

 米国の初期対日占領政策は日本を「非戦・非武装」の国に改造することであった。ところが、冷戦の開始によってその政策を一変させ、日本を自由主義陣営の一員に組み入れ、「反共の砦」となるよう「再軍備」を促していく。同時に冷戦戦略の一環として「相互安全保障法」(MSA)を制定[1951年10月10日]、広く西側陣営の拡大・強化に努めた。MSAは米国が援助するかわりに被援助国には防衛力増強を義務づけた。日本もMSAの恩恵に与かることを決断、防衛力強化の証として自衛隊を創設した[1954年7月1日]。ところが、憲法学者を中心に、自衛隊を違憲とする批判が噴出した。日本政府としては、自衛隊違憲論に与することは許されず、合憲の論理を見出す必要に迫られた。そこで編み出されたのが、自衛隊を「戦力に至らないところの存在」と位置づけることによって、「戦力不保持」を規定する二項には抵触しないとする解釈であった。それが苦し紛れの解釈であることは否めない。

 いずれにせよ、以後、自衛隊をめぐる合憲・違憲の「神学論争」は続き、国民的合意は得られていない。しかし、紛争が絶えない国際情勢を直視すれば、自衛隊が果たす役割は日本(国民)の安全保障にとって死活的に重要である。その意味で、自衛隊の正当性を改めて憲法上、担保すべきであろう。

ごみ・としき 1948年生まれ。1979年上智大学大学院外国語学研究科国際関係論専攻博士課程退学。玉川大学助教授、米国ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員を経て、大東文化大学法学部教授。2019年退職後現職。主な著書に『増補 国際関係のコモン・センス』『現代アメリカ外交の転換過程』『新安全保障論の構図』『9・11以後のアメリカと世界』『アメリカがつくる国際秩序』等がある。

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