鈴木宗男インタビュー(第1回) 「沖縄」のために奔走する北海道出身の政治家
かつての自民党は右から左まで幅広い思想を持つ議員が混在していた。翻って今はどうだろうか。いわゆる「派閥」機能がほぼ失われたことで若手議員の教育機会はなくなり、ほとんどの議員は執行部の方しか向いていない。いわゆる「優等生」議員ばかりとなり、政治の「ダイナミズム」のようなものが感じられなくなった。
そんななか、気を吐いている政治家の一人が参院議員の鈴木宗男氏ではないだろうか。御年78歳になった今も舌鋒(ぜっぽう)の鋭さは依然として健在。過去を語らせれば日本政治の生き証人となり、未来を語らせれば、その野望はとてつもなく壮大だ。そんな唯一無二の政治家・鈴木宗男に迫った。
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沖縄知事選 保守県政奪還に導いた老獪な手腕の舞台裏
9月13日に投開票された沖縄知事選は12年ぶりに保守系が奪還した。自民・維新両党や国民民主党など与野党6党の推薦を受けた前那覇市副市長の古謝玄太氏が、過去最多42万票余りを獲得し圧勝した。当初は米軍普天間基地の名護市辺野古移設反対でまとまった「オール沖縄」勢力などからの支持を取りつける現職・玉城デニー氏との接戦も予想されたが心配は杞憂(きゆう)だった。
古謝候補が圧勝した背景にあるのが、同じ保守系候補として無所属で立候補していた下地幹郎氏の出馬取りやめだ。8月27日告示の2日前、25日に自身のX(旧Twitter)で自民党と政策協定を結んだとし「知事選に立候補しない」と話した。
この件については、すでに鈴木氏が保守候補一本化に向けて裏で奔走していたことはよく知られているが、改めてその舞台裏を本人に聞いた。
「告示日の4日前になりますけど、下地さんと談判しました。それ以前にも何回か会ってお願いはしましたけど、沖縄のためにあなたの主張は十分わかったと。間違いなくあなたは善戦しているが、いろんな調査でも支持は10%だ。あなたの政策を生かすことが沖縄のためになるなら、政策で折り合えないかと打診しました。下地さん側もやっぱり情勢調査はしていますから、当選までは届かないこともわかっていました」
鈴木氏の熱心な説得を前に、下地氏はついに「ならば沖縄のために私は退く」と重い決断を下す。ただ、立候補を取り下げるにあたって下地氏は4つの要求項目を提示した。
① 沖縄県の子どもの貧困対策予算を300億円確保すること
② 5年以内に鉄道の建設に着工すること
③ 2030年G7サミットを沖縄県に誘致すること
④ 米軍普天間飛行場の返還期日を明らかにすること
この4項目を鈴木氏はさっそく鈴木俊一幹事長と西村康稔選挙対策委員長にはかったが、2人は内容を見るなり「とてもハードルが高い。ちょっと待ってくれ」という返事だったという。翌日、鈴木氏は再び鈴木俊一・西村両氏に面会し、強く訴えた。
「(選挙で)勝つためには下地さんの協力が必要ではないのか。沖縄で勝てば、来年の統一地方選に大きな影響を与える。政府・自民党が『沖縄のことを心配しているぞ』という強いメッセージにもなる。これは単なる政策合意というものを超えた大きな意味があるということだ」
そう説得すると2人は「仰るとおりです。じゃあそれでいきましょう」と応じたことから、その後は下地氏も交えた話し合いの場がもたれたという。
下地氏は25日、自身のXで立候補の取り下げを表明する。そのまま那覇市内のホテルで立候補辞退の記者会見に臨むはずだったが、会見は告示日(27日)前日の26日に開かれた。会見が1日遅れたことは結果的に自民党にとって追い風となる。
「25日に会見する予定だったが、台風で下地さんが(沖縄に)帰れなくなった。それで翌26日になって告示日の前日に。ただ、これも今考えれば自然も古謝さんに味方した、我々に味方したという思い。やっぱり告示日前日だとインパクトありますから。めぐり合わせがうまくかみ合ったなと思って、全ての万物の霊長に感謝したいと、こう思っています」

鈴木氏から… 下地幹郎氏に向けた感謝とエール

実は下地氏は内外タイムスのライターでもあり、鈴木氏との会談について寄稿している。今回、沖縄のためにひと肌脱いだ下地氏に向け、鈴木氏にメッセージをお願いした。
「今回の沖縄知事選、古謝さんが勝てたのは下地幹郎さんのおかげです。しかも沖縄のためにやりたい、沖縄を良くしたい、沖縄の未来・将来に向けて政策で合意をしたいという、これが下地さんの崇高な思いというものを、私は十分重く受け止めています」
「このことは鈴木幹事長も西村選対委員長もよく理解しております。私はやっぱり下地さんは沖縄のためになる、働ける政治家だと思っていますから。どんな形になるかは別にして、私はこれも天の配剤として『下地よ頑張れ』という、どっかでご下命があると願っているし、あって当然だし、また一日も早くそうなることを神に仏にしっかり祈りながら、共々頑張っていきたいと思います」
北海道選出の鈴木氏がかける「沖縄」への特別な思い
鈴木氏は今でこそ全国比例区選出の参議院議員だが、もともとの地盤は北海道だ。盟友で歌手の松山千春氏が鈴木氏の支援者であることはあまりにも有名で、2人は同じ北海道足寄町出身、同じ高校(北海道足寄高等学校)の先輩・後輩にも当たる。
では、北海道を地盤とする鈴木氏がなぜ、地理的には両極に位置する沖縄にそこまで肩入れするのか。その答えを導き出す一つのキーワードは「先の大戦」にある。
実は先の大戦中、国内唯一の地上戦となった「沖縄戦」では、沖縄県民の次に犠牲が多かったのが北海道民だったのだ(沖縄県民の犠牲者は約16万人)。この歴史的事実は、鈴木氏にとってはとても重いものだという。
「1万2千人ですよ。中国にいた北海道の部隊が『最後の本土決戦だ』と言われて沖縄に行かされた。極寒の中国・満州から気温が20~30度の沖縄にいきなり行くわけですから、大変だったと思うんです。食べる物も十分に無い中で。私はやはり多くの犠牲の上に今日の平和があるということを忘れてはいません。特に北海道の皆さんが体を張った。このことは重いと私はいつも考えてきましたし、沖縄のことにも誰よりも向き合ってきた政治家だと自負しています」

鈴木宗男インタビュー(第2回)「辺野古沖埋め立ては自然に対する冒とく。沖縄に申し訳ない」 沖縄を思うからこその誤算 に続く。
文/寉見陽平 内外タイムス
《プロフィール》
鈴木宗男(すずき・むねお)1948年北海道足寄町生まれ。拓殖大学卒。大学在学中から中川一郎議員の秘書を務め、1983年の衆院選で初当選。1997年北海道・沖縄開発庁長官で初入閣、1998年内閣官房副長官、1999年自民党総務局長などを歴任。2002年6月、あっせん収賄など計7つの汚職事件で逮捕。2005年に地域政党「新党大地」を結成。2010年9月最高裁で上告が棄却され、喜連川刑務所に収監。2019年の参院選で日本維新の会から出馬し当選(比例区)、9年ぶりに国政に復帰。2023年10月ロシアに訪問したことが問題になり離党。2025年6月自民党に復党。同年7月参院選に同党の比例代表候補として立候補し当選した。






