2001年金正男拘束、うやむやにされた日テレの大スクープ 「報道すれば親分の首が飛ぶ」緊張の舞台裏
10月、2人の政治家が相次いでこの世を去った。元首相の福田康夫と、元国会議員の小野次郎である。
2人には共通点がある。2001年5月、金正日総書記の長男、金正男とみられる男性が偽造旅券を使って成田空港から入国しようとして拘束された事件で、福田は官房長官、小野は首相秘書官として、ともに小泉純一郎政権の中枢にいたことだ。
日本政府は「東京ディズニーランドに遊びに来た」と語る男性の身元を公式に確認しないまま、拘束からわずか3日後、中国・北京へ国外退去させた。
事件から25年を経た今も、日本政府は男性が金正男本人だったとは公式に認めていない。しかし、国外退去の際に顔が撮影され、正男の存在は世界に知られることになった。この事件は、北朝鮮の後継者候補としての立場を弱める一因になったとみられている。
切手の裏に隠された「来るな」のシグナル 北朝鮮帰国事業で日本の家族に伝えた実状
警察関係者の一言から始まった取材
世界的なニュースとなったこの事件を最初に報じたのは日本テレビだった。
当時、政府内部の対立から情報が意図的に漏らされたとの見方もあったが、実際の経緯は違っていたようだ。
当時の現場をよく知る関係者によれば、発端は社会部記者が旧知の警察関係者と交わした雑談だった。
「また長男が日本に来た。いま、牛久に身柄があるよ」
牛久とは、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターのことで、退去強制手続きの対象となった外国人らを収容する施設である。
何げない一言だったが、日本テレビは以前から気になる情報を入手していた。社会部の幹部が、金正日の長男が東京・赤坂のコリアンクラブに出入りしていると聞いていた。店のママとのツーショット写真もあるという話だった。
社会部は直ちに裏付け取材に乗り出した。入国管理当局や警察関係者への確認を進める一方、政治部も首相官邸に情報を当てた。
ある首相側近は、金正日の長男が拘束されたという話を聞くと、顔色を変えた。
「そんなことを報道すると、オタクの親分の首が飛ぶぞ」
脅しとも受け取れる口調だった。しかし、記者はその切迫した反応から、拘束は事実だとの感触を得たという。
複数の取材先の反応から、情報の確度は高まっていた。ただ、報道すれば日朝関係に重大な影響を及ぼしかねない。政府が最後まで身元を認めない可能性もある。まさかとは思ったが「親分の首」という発言も無視できなかった。
最終的には氏家齊一郎社長の判断を仰ぐことになったが、折しもゴールデンウイーク中で連絡がつかない。他社も情報をつかんだ気配があり、時間がない。
報道局長に判断が委ねられ、ゴーサインが出た。
日本テレビは5月3日17時過ぎ、金正男とみられる男性が成田空港で拘束されたと報じた。世界を駆けめぐるスクープとなった。
政府は身元を認めず、3日後に国外退去
スクープの後も、日本テレビの社内には不安が残った。
「日本政府は最後まで認めないのではないか。そうなれば、日テレの誤報という形で終わってしまう」。当時を知る関係者によれば、そんな懸念が広がっていたという。他社の追随も当初は鈍かった。
一方、政府は迅速に動いた。男性は5月1日、偽造旅券で上陸を申請し、拘束された。同行していた女性2人と男児1人を含む計4人は、4日午前、北京へ強制退去処分となった。
当時の福田官房長官ら政府首脳は、北朝鮮との外交問題に発展することを避け、拘束を長引かせない方針を選んだとみられる。日朝間では国交正常化に向けた交渉が続いていた。
政府内には対応をめぐる意見の違いもあった。警察庁は刑事告発を求めたが、政府内の協議で見送られたと当時報じられている。小野は生粋の警察官僚であり、刑事告発を支持した可能性が高い。
政府の判断には「日本人拉致被害者との交換を求めるべきだ」「弱腰外交だ」といった批判も上がった。
後年の国会答弁でも、政府は当時の具体的な指示内容について、日朝協議に支障を来すおそれがあるとして詳細な説明を避けている。
国外退去の際にも、不可解な出来事があった。
成田空港には各社の記者やカメラマンが集まっていた。男性の顔を隠して搭乗させると予想され、法務省側もバスを航空機に横付けする予定だったという。
ところが、バスは機体から離れた場所に止まった。男性は顔を隠すこともなく、堂々と歩いて航空機に乗り込んだ。現場にいた約100人の報道陣は突然の「顔出し」に騒然となった。
なぜ顔を撮影される形で移動させたのか。十分な取り調べをしないまま国外退去させる官邸の判断に、警察側が反発した結果だったとの見方もある。ただ、真相は今も明らかになっていない。
北京空港で待ち受けていた中国側関係者
男性らは中国への退去を希望し、中国側も受け入れを認めた。当時、金正男は北京にも生活拠点を持っていた。航空機には異例の措置として、日本の外務省参事官ら3人が同乗し、隣に座った。関係者によれば、搭乗時には不満そうな表情だった男性は、機内で「迷惑をかけました」と謝罪したという。
北京首都空港に到着すると、航空機のドアの外に中国側の関係者が待ち受けていた。
その中に後に駐日中国大使となる孔鉉佑がいた。黒竜江省出身の朝鮮族で、日本勤務の経験があり、日本語と朝鮮語に通じていた。孔らは男性を北京の望京地区にある住居まで送り届けたという。孔自身、酒席で自らこのエピソードを語ることがあったという。
16年後、身元確認に使われた指紋
日本テレビにとって、このスクープには最後まで割り切れないものが残った。日本政府が男性を金正男本人だと公式に認定しなかったからだ。社を挙げてのスクープだったが、報道関連の賞への申請は見送られた。
それから16年後の2017年2月13日、金正男はマレーシアのクアラルンプール国際空港で殺害された。その際、日本政府が2001年の拘束時に採取した指紋などの情報をマレーシア当局に提供し、身元確認に役立てられたと日本メディアが報じた。
マレーシア側は遺族のDNA情報なども使って本人と最終確認している。日本から名前も確認されないまま強制退去させられた男性の身元が、ようやく分かったことになる。
2001年の事件では、男性の旅券にそれ以前に3回、日本に入国した記録があった。
正男は日本で何をしていたのか。拘束されなければ、何をする予定だったのか。
その事情を知る人物へのインタビューを5日公開予定の次回記事で伝える。(敬称略)
文/五味洋治 内外タイムス






