金正男来日時の同行者が明かす素顔 ガード下の居酒屋、秋葉原、中華街「マレーシアに恋人がいた」
2001年5月、北朝鮮の金正日総書記の長男、金正男が偽造旅券を使って日本に入国しようとして拘束され、国外退去処分となった事件から25年が過ぎた。
当時、来日目的は東京ディズニーランドへの家族旅行だと説明されたが、旅券には2000年10月と12月に計3回、日本に入国した記録が残されていた。この時期の金正男の訪日に同行したという人物に話を聞いた。
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証言したのは、韓国系米国人の実業家、尹泓竣(ユン・ホンジュン)である。1967年生まれで、現在は米ワシントンDCに住む。金融仲介やファンド運用に携わり、1990年代半ばから北朝鮮との事業にも関与してきた。筆者も尹とは日本や韓国で会っている。
尹は過去にも韓国や日本のメディアで、金正男について実名で証言している。今回、筆者の取材に応じ、日本での行動や素顔、父親との関係について、あらためて実名で詳しく語った。
「最高実力者に会わせてほしい」
尹が金正男と知り合ったのは1994年だった。
「初めて対北朝鮮事業を紹介された時、私は北朝鮮の最高実力者に会わせてくれるなら事業をすると条件を出しました。その直後、中国で初めて正男に会いました」
金正男は金正日総書記の長男として、海外でさまざまな経済活動に関わっていた。尹によれば、その活動には武器取引も含まれていたという。
2001年5月の来日についても、尹は武器取引との関係を指摘する。
「日本に入国できれば、武器取引の代金を受け取り、それを北朝鮮に送る作業をする予定だったと聞いていました」
尹は「当時は資金の受け渡しの場所として、日本が利用しやすかったのです」とだけ答え、具体的な金融機関名や資金の受け渡し方法については明らかにしなかった。
金正男の訪日には、武器取引などの秘密活動が関係していたのではないかという見方は、事件当時から報じられていた。ただし、実際にどのような取引が計画されていたのか、資金の移動があったのかについては確認されていない。
「いつか家族と東京ディズニーランドに行きたい」
尹によれば、2001年5月の訪日でも、金正男と東京で会う約束をしていた。
「私と日本で4、5日ほど一緒に過ごそうという話でした。その後、欧州へ行く予定もあったようですが、確定した日程は聞いていませんでした」
待ち合わせ場所は「東京の帝国ホテルか、ホテルニューオータニになっていたと思います」という。
「日本に行けば、病院長が会合の場所を決めてくれていました。正男はこの病院で健康診断も受けていました」
この人物は東京都足立区にある病院の院長で、尹は取材で実名も明かした。金正男の日本滞在を支える協力者がいたことをうかがわせる証言である。
金正男の拘束事件で広く知られるのが、「東京ディズニーランドに行きたかった」という本人の説明だ。尹によれば、その希望を抱くようになったきっかけには、自分との会話があったという。
「東京ディズニーランドには、私が息子を連れて行ったことがあり、とても良かったと話したのがきっかけです。すると正男が『いつか自分も家族と行きたい』と言ったのです」
「正男が日本で拘束された時、私はまだ米国にいましたが、それ以前に正男が日本に行った時はいつも一緒でした。いろいろな場所を回りました」
尹はそう振り返り、日本での思い出を語り始めた。
その一つが静岡県への訪問だった。
「静岡のある植物園で、金正日花が展示されていたのを興味深そうに見ていました」
金正日花は、静岡の園芸家が育成した赤い花を咲かせるベゴニアの一種である。北朝鮮では金正日を象徴する花として宣伝に使われてきた。
父親の名前を冠した花が日本で展示されていることに、正男は関心を示していたという。
「煮込みを4、5杯食べた」
金正男は銀座や赤坂の高級店にも出入りしたが、庶民的な居酒屋も好んでいたという。
「銀座では、あるフグ料理店によく行きました。赤坂のクラブにも一緒に行きました。名前はもう覚えていませんが、古びた居酒屋にも行っていました」
とりわけ尹の記憶に残っている場所があるという。
「記憶に残っているのは、帝国ホテルの裏手にある、ガード付近の安い酒場です」
「正男が好んで食べていたものの一つは、『ニコミ(煮込み)』という汁のある料理でした。いつも4、5杯食べていました。その光景を今でも鮮明に覚えています」
電気街として知られる秋葉原にも、一緒に出かけた。
「ただ見物していただけです。CDプレーヤーやDVDプレーヤーなどを少し買いました」
横浜の中華街も好きな場所だったという。
「横浜では、とても有名な中華料理店に行きました。何度も行ったので、気に入っていたのだと思います。名前は覚えていませんが、料理はおいしかったです」
「父親との関係に問題はなかった」
2001年の拘束事件は、金正男の後継者としての立場に影響を与えたとされる。父親の金正日総書記が激怒し、後継者候補から外されたという見方も広まった。しかし、事件が後継問題にどの程度影響したのかは、必ずしも明らかになっていない。
尹の証言は、こうした見方とは異なる。
「日本で拘束されたことと、正男と父(金正日総書記)との関係には、問題はなかったと聞いています」
むしろ、事件の影響は北朝鮮内部の関係者に及んだという。
「北朝鮮内部の多くの幹部が拘束に関連して調査を受け、何らかの措置が取られたそうです。正男自身は、海外での活動にもっと注意するように言われたと話していました」
尹の説明が事実なら、拘束事件によって父子関係が直ちに決定的な悪化を迎えたわけではなく、海外活動を管理していた関係者の責任が問われたことになる。
「合理的で、ユーモアと余裕があった」
長年付き合った金正男は、どんな人物だったのか。尹に尋ねた。
「いろいろな面でいい人だったということです。考え方や話すことの大部分が非常に合理的でした。ユーモアもあり、精神的な余裕も十分に持っていました」
北朝鮮では現在、金正恩総書記の娘が4代目の後継者になるとの見方が出ている。金正男は、最高指導者になれる人物だったのだろうか。
尹は「指導者としての資質はありました」と答えたうえで、本人が気にしていた弱点を明かした。
「ただ、本人も認めていましたが、軍隊について直接的な経験がなかったことを残念に思っていました」
北朝鮮では軍の掌握が権力維持に重要な意味を持つ。海外生活が長かった金正男は、軍に関連する経験が乏しいことを、自らの弱点と考えていたという。
金正男は2017年2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で殺害された。マレーシア当局は、猛毒の神経剤VXが使われたと結論付けている。
尹は、金正男がかつてマレーシアに交際相手がいたことも聞いていたという。
「マレーシアに昔の恋人がいたと、正男本人から聞いていました。いつか紹介すると言っていたのですが……」
金正男がなぜ、繰り返しマレーシアを訪れていたのか。現地には個人的なつながりもあったことが、尹の証言からうかがえる。ただし、最後の訪問目的と交際相手との関係は分かっていない。
金正男の死からまもなく10年になる。事件の背景には、今なお解明されていない部分が多く残されている。
(敬称略)
文/五味洋治 内外タイムス






