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鈴木宗男インタビュー(第4回)劇場型政治家の片りん ~政治家・鈴木宗男誕生~

中学生の時、将来は「政治家になる」と作文にしたためた鈴木氏。大学4年生にして中川一郎衆院議員の秘書に就任する。運命は数奇なものとはよく言われるが、鈴木氏の歩んできた道をたどると、政治家・鈴木宗男になるために最初から運命づけられていたものだとも言える。鈴木氏自身「人生は縁」「人生はめぐり合わせ」と言うのもうなずける。

21歳の大学4年生から78歳の現在にかけ、「政治」の世界で生き続ける鈴木宗男の物語がここに始まる。

鈴木宗男インタビュー(第3回)誕生~生涯の師・中川一郎との出会いまで から続く。

中曽根康弘からの激励と「休まない」男

鈴木氏が政治家を志す上で中川議員の影響はもちろん大きかったが、大学2年次に拓殖大の総長に就任した元首相・中曽根康弘氏にまつわるエピソードを紹介しないわけにいかない。

1970(昭和45)年3月の大学の卒業式。中曽根総長はたまたま鈴木氏に向け「どこへ就職するんだ」と尋ねたという。鈴木氏が「私は中川一郎先生の秘書になります」と答えると、中曽根氏は「鈴木君、中川一郎君は将来必ず大成するから。君も一生懸命中川君を支えてがんばりなさい。そうすれば君の道も開ける」と激励したのだという。ちなみにこの時の様子を鈴木氏の同級生が写真に収めていて、後年、中曽根氏が首相になった際、写真にサインをもらったという逸話がある。

中川一郎、中曽根康弘。この2大巨頭の教えを糧に、鈴木秘書は死に物狂いで働いた。

「正直、学歴では周りにかなわない。だったら何でアピールしようかと。それは人の倍、働くことだ。だから当時はほとんど休んだことはない」

実際、鈴木氏が秘書になってから休んだのはたった3日だけ。1973(昭和48)年、妻・典子さんとの結婚式も挙式と披露宴に出たぐらいで、あとは新婚旅行で休んだぐらいだという。鈴木秘書のモーレツぶりを見て、中川議員はこう言った。

「鈴木というのは休まない。変わった奴だ」

日曜日、がらんとした議員会館に鈴木氏が出勤していると、中川氏から電話がかかってくる。

「何かあるか」

電話に出た鈴木氏はこう返す。

「いえ、何もありません」

このやり取りが毎週繰り返されるうち、鈴木氏はいつしかこれは「試されている」と感じるようになったという。

「私が毎週、議員会館に来ているか試してる。そうなると、むしろ休まないことが楽しみになってくるわけです。それと休みの日に出勤すると、北海道のおふくろに電話をかけられた。当時の電話代はものすごく高かったので、役得でもあったんです」

当時の鈴木氏は中川議員に仕える忠実な秘書として従順であり続けた。きっと中川氏も鈴木氏の献身的な態度を見て、実に温和で平和的な性格の持ち主だと感じていたのではないだろうか。ただ、実際に彼の素顔がそのようなものとはかけ離れていることは今や誰もが知るところだろう。

日テレ“激怒”事件と中川議員との突然の別れ

1973年8月、日本テレビ系「11PM」に中川議員と宇都宮徳馬代議士が出演した時のことだ。直前に起きた「金大中拉致事件」をテーマに議論する番組で、当時の中川議員は金氏と対立する朴正煕(韓国大統領)派と見られていたため、宇都宮氏が「中川君は朴大統領から金をもらっているから、大統領の擁護をするんだ」と言い放ったという。

宇都宮氏の発言の直後、CMに入ったため、中川氏は反論することができなかった。すると、スタジオで聞いていた鈴木氏は激怒し「コラ、宇都宮、いい加減なことをぬかすな」とCMの間に宇都宮氏に飛びかかっていったのだ。

「『ふざけんな!』と首を絞めたら、宇都宮さんがスタジオの中を走り回って逃げた。当時の日本テレビの政治部長も『鈴木君、やめろ、やめろ』と言って。こっちも若かったですからね」

番組が終わると中川議員は鈴木氏に向け、こう言ったという。

「『鈴木、お前はきかないんだな』と。『きかない』というのは北海道弁で気性の激しいのを『きかない』というんです(笑)」

「猫を被っていた」鈴木宗男という人間の本性があらわになった瞬間だった。これまで政治家のそばにいると「どうしても自分が勘違いしてしまう部分があった」。だから、秘書になってからは「自分をいさめていた」が、ここにきて一気にまくし立てた。結果的に、この行動は吉と出る。さらに「中川先生の信用を得ることになった」からだ。

しかし2人の関係は思わぬ形で終息することになる。1983(昭和58)年1月9日、中川議員が札幌で突如、自死する。これについて鈴木氏は「両親が亡くなったこと以上の驚きだった」と当時のことを振り返る。

中川議員の死後、すぐさま後任候補を立てる話になる。「当然、鈴木宗男出るべし」という声は出た。結局、長男の昭一氏と鈴木氏が出馬。鈴木氏は自民党の公認が得られず、無所属で立候補し激戦の末、5人定数区を4位で見事初当選を果たす。この時、中川一郎の議員秘書だった同僚と中川一郎氏の兄弟は皆、鈴木支持に回ってくれたという。

「秘書がみんなやってくれた。これが奇跡の当選につながった。それから私はバッジを着けた以上、がんばった。だから中川昭一さんよりも1年早く大臣になれた。大臣の後は官房副長官ですよ」

いよいよ政治家・鈴木宗男が始動する。

鈴木宗男インタビュー(第5回)国策捜査、437日間勾留にステージ4の胃がん に続く。

文/寉見陽平 内外タイムス

《プロフィール》
鈴木宗男(すずき・むねお)1948年北海道足寄町生まれ。拓殖大学卒。大学在学中から中川一郎議員の秘書を務め、1983年の衆院選で初当選。1997年北海道・沖縄開発庁長官で初入閣、1998年内閣官房副長官、1999年自民党総務局長などを歴任。2002年6月、あっせん収賄など計7つの汚職事件で逮捕。2005年に地域政党「新党大地」を結成。2010年9月最高裁で上告が棄却され、喜連川刑務所に収監。2019年の参院選で日本維新の会から出馬し当選(比例区)、9年ぶりに国政に復帰。2023年10月ロシアに訪問したことが問題になり離党。2025年6月自民党に復党。同年7月参院選に同党の比例代表候補として立候補し当選した。

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