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持続可能性を欠いていた麹町中学の“型破り改革”…「存在しない」と回答した千代田区教育委員会は“共犯”なのか

「麹町中学校の型破り校長 非常識な教え」(SB新書)等の著書で知られる元校長の工藤勇一氏と、後任校長の堀越勉氏の間で、当時の千代田区立麹町中学校の学校改革や運営方針をめぐる対立が SNSで表面化している。

本稿は、この議論の核心を客観的記録から検証する上で重要な意味を 持つ、筆者が千代田区教育委員会へ行った「公文書開示請求」の回答内容を示し、行政のルールと属人的な改革の間に生じた”真実”を解き明かすものである。

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全面不開示でも、一部黒塗りでもなく…

令和8年8月26日、手元に届いた一枚の公文書がすべての始まりである。千代田区教育委員会が回答を記した「情報不存在通知書」。事の発端は、夏休みの始まりの気配が色濃い7月29日に発売された書籍「荒廃した学校を立て直す 再建を託された校長の2年半の記録」(扶桑社)にさかのぼる。

著者は堀越勉氏。工藤勇一氏の後任(15代・工藤勇一氏、16代・長田和義氏、17代・堀越勉氏。現在、18代・藤田修史氏が就任 )として麹町中学校の再建を託された人物である。その書籍には、かつてメディアがこぞって礼賛した自律的な教育の裏側に潜む、教室の生々しい記録が記されていた。

これに対し、工藤氏は8月8日、自らのXアカウントで長文を投下する。当時の学校が荒廃し、無秩序になっていたかのように語られることに強く反論する内容であった。工藤氏が目指したのは、民主主義を体験で学ぶことができる学校であり、生徒が自らの頭で考え、問いを立てる主体性を育てることであったと説く。

彼は千代田区教育委員会の公表資料を引き合いに出し、新1年生の入学者数が平成30年度の117人から令和2年度には235人へと大幅に増加した数値をもって、当時の麹町中学が子どもや保護者からどのように受け止められていたかを示した。

インターネット上で執ような議論が沸騰する中、私は一つの疑問に行き着いた。そもそも工藤氏が行った宿題の廃止や定期テストの廃止、固定担任制の見直しといった前例のない手段の変更は、どのような法的手続きを経て実行されたのか。

私は8月10日付で公文書開示請求に踏み切った。千代田区立学校の管理運営に関する規則第11条の6には、校長は翌年度において実施する教育課程について、指導の重点などの事項を毎年3月末日までに委員会に届け出なければならないと定められている。私は、工藤氏の権限行使の論理が記述された届出文書や、それに対する教育委員会の決裁、合議の記録の開示を求めたのである。

行政の持つ最大の弱点は前例と解釈の整合性にある。もし工藤氏が教育委員会の承認を経ずに独走していたのであれば、そこには必ず行政側の戸惑いや法的解釈をめぐる冷戦の痕跡が、担当者のメモや保留にされた決裁印という形で残されているはずだ。千代田区情報公開条例の非開示事由を盾に、最も見せたくない部分が分厚く黒塗りされた部分開示文書が届くものと私は予想していた。

しかし、千代田区教育委員会の回答は予想の斜め上の、さらに先をいくものだった。全面不開示でも、一部黒塗りでもない。該当する文書は「作成又は取得していないため存在しない」という完全なゼロの宣告である。文書の付記情報にある「紛失」や「保存年限を経過したための廃棄」という言い逃れの選択肢は明確に否定された。

つまり、当時の千代田区教育委員会は、社会現象にまでなった麹町中の異例の教育施策に対して、内部での法的な精査も、合意形成の記録も、たった一枚の紙切れすら最初から用意していなかったと自白したことになる。

この通知書は、当時の本件教育現場が行政のルールを飛び越えた“異例の現場”が稼働していた事実を証明している。公教育において特例的な取り組みを行う際、通常であれば摩擦を避けるために規則に基づく建前を届出文書として残す。それすら提出されていなかった事実は、行政の手続きが軽視され、メディアの熱量と個人の影響力だけを担保に施策が進行していた状況を裏付けている。

現在は教員の超過労働に依存する属人的な手法を制限

目を向けるべきは、この空白を許容した当時の千代田区と、現在の千代田区が全く別の組織体制に移行しているという背景だ。工藤氏の在任期間、千代田区は5期20年にわたる石川雅己前区長の長期政権下にあった。しかし現在、区長は樋口高顕氏へと交代し、教育長も約半年の空白期間を経て堀米孝尚氏が就任している。旧体制が残したガバナンスの欠如というツケを、現在の新体制が支払っている構図がある。

工藤氏の改革は、公教育の建付け全体から見ると極めて属人的なアプローチであった。フィンランドの教育改革が国と自治体の合意形成のもとで全教員の修士号取得義務化といった制度的裏付けを伴っていたのに対し、麹町中の取り組みは特定校における部分最適の暴走という側面を拭えない。教員の定期異動が前提となる公立学校において、特定のカリスマリーダーとそれに共鳴する限られた教員集団がそろわなければ維持できない抜本改革は、持続可能性を持たない。

事実、現在の千代田区は規則の文言を一文字も変えることなく、その裏側で強力な網を張り巡らせている。令和8年4月に策定された「千代田区立学校の教育職員に関する業務量管理・健康確保措置実施計画」では、1年間における1カ月時間外在校等時間の平均時間を30時間程度とすることが令和11年度までの目標として設定された。

さらには、1カ月時間外在校等時間が45時間以下の割合を100パーセントとする絶対的な数値指標が組み込まれている。こうした誰の目にも同じように映る数値による管理は、熱狂的な教員の超過労働に依存しがちな属人的な手法を制限し、適正な学校運営へと回帰させるための措置である。

令和8年度中に始まった千代田区立中の実行記録に基づけば、堀越体制下で進められた成績評価の厳密な数値化などの施策は、工藤氏の改革を単に否定するものではない。かつて存在した行政の空白を埋め、法と規則に基づく公教育のインフラを再建するための地道な修復作業なのではないか。

手元にある情報不存在通知書は、過ぎ去った激しい熱狂の時代に行政が機能を停止していたことを語る、何よりも雄弁な証拠品である。この”白紙”の公文書こそが、教育という名の下で繰り広げられた権力と裁量の危うい均衡を物語っている。

「何を学ぶか」ではなく「どのように学ぶか」

千代田区立学校において、校長の権力と教育委員会の管理権を隔てる境界線は、数行の条文によって引かれている。地方教育行政の組織及び運営に関する法律第33条は、学校の管理運営の基本的事項を教育委員会が規則で定めるとしている。千代田区立学校の管理運営に関する規則11条の4は、小中学校が適正な教育課程を編成することを求めている。

続く11条の5は、その編成が学習指導要領及び委員会が別に定める基準によることを義務付けている。さらに、11条の6において、校長は翌年度に実施する教育課程について、指導の重点などの事項を毎年3月末日までに委員会へ届け出なければならないと規定されている。

これらは、教育委員会が学校を統制するための揺るぎない法的建付けである。何を何時間教えるかという「教育課程」に手をつければ、必然的に行政の承認という関所を通過しなければならない。工藤勇一元校長が取った戦術は、この堅牢(けんろう)な関所を正面突破することではなかった。彼は、行政の監視網が及ばない「余白」へ向けて、静かに、そして正確にかじを切ったのである。

その余白の正体こそが、学校教育法37条第4項が定める「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」という校務掌理権である。千代田区の運営規則5条第1項においても、校長の職務として「学校教育の管理、所属職員の管理、学校施設の管理及び学校事務の管理に関すること」と規定されている。また、同条2項には、校長が所属職員に校務を分掌させることができる旨が記されている。

宿題の廃止、定期テストの廃止、そして固定担任制の廃止。世間を驚かせたこれらの施策は、一見すると学校教育の根幹を揺るがす大改革に映る。だが、法規の定めからこれをみると、極めて精緻に計算された校務掌理権の行使であることがわかる。

宿題を例に挙げる。文部科学省の学習指導要領にも、関連する教育法規にも、家庭学習として宿題を課さなければならないという条文は存在しない。宿題はあくまで教員による学習指導の手法であり、千代田区の運営規則5条で校長の職務とされる「学校教育の管理」の範ちゅうに収まる。

定期テストについても同様である。学校教育法施行規則には生徒の学習評価を行う義務が規定されているが、特定の時期に全校一斉の試験を実施することは法定されていない。単元ごとの小テスト等評価の客観性を担保できれば、法令が求める評価義務は果たされる。これもまた、教育委員会の領域である教育課程の変更ではなく、評価手法という「校務」の変更にすぎない。

さらに、固定担任制の廃止である。学校教育法の規定において教諭が児童生徒の教育をつかさどることは定められているものの、一人の教員が特定のクラスを専任で抱え込まなければならないという法的拘束力はない。”学年所属制”や”チーム担任制”への移行は、教員への仕事の割り振り、すなわち運営規則第5条第2項に基づく「校務の分掌」の変更である。

工藤氏は、教育委員会の権限である「何を学ぶか(教育課程)」には一切触れず、「どのように学ぶか、どう評価し、組織をどう動かすか(校務)」という自らの権限領域にのみ手を入れた。この法の解釈の精度は、実務家として見事というほかない。

属人的ゆえ人事異動後は機能不全に

だが、問題はここからである。この精緻な法ロジックに対して、監督官庁である千代田区教育委員会はいかに振る舞ったのか。公文書開示請求に対して彼らが突き返してきた「情報不存在通知書」が、その答えを雄弁に物語っている。

通常、これほど世間の耳目を集める異例の取り組みが行われれば、行政は摩擦を回避するために照会文書を発出する。「この施策は規則第〇条に基づく範囲内の措置であるか」等という法の足場確認である。あるいは、庁内において、学校側の解釈を認容してよいかを検討する会議録が残されるはずだ。しかし、千代田区にはその記録が一切作成されていなかった。

これは、教育委員会が工藤氏の法的解釈を「積極的に支持した」というよりも、法と法の隙間を縫って進行する事態に対して有効なけん制のカードを持てず、事実上の沈黙を強いられていたと見るべきである。行政側は、改革の熱量とメディアの波に乗る現場の動きに対し、法的検証の手続きを放棄し、責任の所在を文書化することを避けた。この不作為こそが、後年「荒廃」や「無秩序」と評されることになる異例の事態を、公教育の現場に現出させる最大の要因となった。

千代田区の運営規則2条は、校長及び職員が法令等の定めるところに従い、適正にして円滑な学校の管理運営に努めなければならないと定めている。当時の教育行政は、この「適正」の定義を現場の圧倒的なカリスマに丸投げしていたのである。

優れたアイデアに基づく特定の手段が、組織全体の最適化をもたらすとは限らない。特殊な才能を持った教員集団が超人的な熱量で維持する教育改革は、属人的であるがゆえに、人事異動という公立学校の宿命に耐えられない。

退任後に理念を共有する教員がいなくなったことで機能不全に陥ったとすれば、仕組みとしての持続可能性を欠いていた証左にほかならない。一部の特権的な教育環境を手にした者たちから支持されたという結果は、公教育全体の機会均等という観点からは、部分最適の暴走という影を落とす。

”沈黙”による共犯関係は、長くは続かない。工藤氏が去った後、教育長が不在という異常な空白期間を経て、千代田区は新たな体制へと移行する。そして、かつて自らが放棄したガバナンスを取り戻すため、彼らは運営規則の条文を一文字も書き換えることなく、その運用の網の目を極限まで絞り上げるという、行政職員ならではの手法へと打って出るのである。

法を変えずに余白を奪う行政職員のロジック

行政が権力を行使する際、もっとも静かで、かつ逃げ場のない手法がある。ルールの文言を一切変更せず、その文言が含む解釈の余白を、運用という見えない手で縛り上げることである。

千代田区立学校の管理運営に関する規則の新旧対照表(令和8年8月9日付)を丹念に読み込むと、ある事実に気づく。第1条の目的から第37条の委任に至るまで、旧規則と新規則の間に実質的な文言の違いが見当たらないのである。

たとえば、教育課程編成の基準を定める第11条の5。小中学校が教育課程を編成するに当っては、学習指導要領及び委員会が別に定める基準によるとある。

教育職員の業務量の適切な管理を規定する第36条においても、委員会は教育職員が業務を行う時間から所定の勤務時間を除いた時間を基準の範囲内とするため、適切な管理を行うとし、第1号で1月について45時間、第2号で1年について360時間と定めている。この文言は、過去から現在に至るまで不動のまま据え置かれている。

では、千代田区はいかにして前任者が躍動した裁量権を削り取り、属人的な教育手法を適正な学校運営からの逸脱として処理したのか。その答えは、条文の中に設けられた「委員会が別に定める基準」や「適切な管理」という空っぽの箱に、極めて厳密な数値指標を流し込んだことにある。令和8年4月に策定された「千代田区立学校の教育職員に関する業務量管理・健康確保措置実施計画」が、その実動部隊となる。

この計画は、質の高い学校教育を維持するため、教員の長時間労働の是正に向けた働き方改革を進めることを趣旨としている。その内実を見ると、時間外在校等時間に関する目標として、令和11年度までに「1ヵ月時間外在校等時間が45時間以下の割合を100パーセントとする」という絶対的な指標が設定されている。

さらに、「1年間における1ヵ月時間外在校等時間の平均時間を30時間程度とする」ことまで明記された。アンケートにおいて、授業準備時間が取れていると回答した割合を80パーセントとする等のワーク・ライフ・バランスに関する目標も並ぶ。

これが教育現場の力関係に何をもたらすのか。前体制下での施策は、宿題や一斉テストを廃止する代償として、生徒一人ひとりと向き合う対話や、教員同士の緊密な連携を必要とした。組織の歯車を回すためには、熱量を持つ特定の教員集団による暗黙の超過労働が前提条件となった側面が強い。

ところが、1カ月45時間以下100パーセントという数値目標が至上命題として設定された瞬間、その努力は、行政が是正すべき「業務量オーバー」という違反行為へと反転する。

計画には、1カ月時間外勤務が80時間超の教育職員のうち疲労蓄積度の高い者に対して、毎月医師による面談を実施することも盛り込まれている。また、ストレスチェックの実施率を100パーセントにし、その結果を活用して職場改善を推進するとある。

労働者保護という大義名分のもと、突出した行動をとる教員に対する行政からのストップサインがシステムとして組み込まれたのである。

規則の文言は変わっていない。しかし、その文言が参照する外部の実施計画が、教員の労働時間と業務プロセスを厳格に規定するようになったことで、校長は一時的な負荷をかけて教育のパラダイムを変革するという経営的裁量を事実上奪われた。残されたのは、教育委員会が設定した数値目標をクリアするための現場監督としての役割であり、そこにはカリスマが入り込む余地は残されていない。制度的裏付けを持たない規制緩和は、システム管理者の規則運用によって容易にリセットされる。

閉鎖的な運用から客観的な説明責任へ

さらに、管理規則第22条には学校評価の義務が定められている。自校の教育活動等の運営状況について自ら評価を行うとともに、学校の関係者による評価を行い、その結果を公表し、委員会へ報告するものとされている。

自己評価にとどまらず、外部の目を入れ、結果を公表させる。一部の創造と熱狂に支えられた閉鎖的な運用を許さず、客観的な説明責任を求める仕組みである。

一連の行政の動きは、部分最適にこだわらず全体最適を最優先するという理屈に貫かれている。千代田区は、法律や規則といううわべの文言を墨守しながら、その裏側で実施計画の数値を操作し、特定の教育改革モデルが機能するための実行環境のメモリーを強制的に制限したのである。

堀越勉氏が推し進めたAI等の教材導入の廃止、成績評価の数値化といった客観的な指標の整備は、この行政方針にぴったり合致する。

個人のエゴやカリスマ性に依存するのではなく、誰が教壇に立っても等しく質の高い教育を提供できるインフラの再建。旧体制の無秩序を清算し、公教育の機会均等を取り戻すための原則に則った仕組みが、ここにある。

文/吉田朔三 内外タイムス

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