デモは「民意」か SNSで論争…高市政権退陣求めるデモが全国で連日拡大
日本各地で高市早苗首相の退陣を求めるデモが連日行われている。19日には国会正門前をはじめ全国288カ所で同時集会も開かれた。若者らが中心となりペンライトやプラカードを手に「国会軽視」「STOP WAR」を訴え、主催者発表では1万人規模の参加とされている。
こうしたデモは春先から行われていたが、場所は国会前や都心だけで、しかも週末だけだった。しかし現在では、場所は全国に広がり、頻度もほとんど毎日だ。内閣支持率の低下に呼応するかのようにデモは拡大している。
デモに対する見方はさまざまで、X(旧Twitter)では民主主義のあり方をめぐる議論が活発だ。大雑把に言うと、高市政権支持者は「選挙が民主主義の本質なのでデモの声に耳を傾ける必要はない」という意見だ。
自国民を守る気のない高市首相は本当の「保守」なのか…トランプ政権がICCを「制裁対象」
法律論的には正しい高市政権支持者の意見だが…
「民意のごくごく一部です。いわゆるノイジーマイノリティーです。勘違いしないように。民意は選挙で明確に提示されています。事実を受け入れることは大切ですよ」
「選挙制度は民主主義の根底をなすものです。僕は日本国民として民主主義を尊重するので、主権者である国民の意思によって、選挙によって選ばれた現政権を支持します。退陣を求めるデモが連日やられていようが関係ない。民主主義の手続きに従って、選挙で意思を示されるのがよいと思います」
この意見は法律論的には正しい。しかし、選挙から時間が経てば支持率が落ちるのが常で、政権の意向が民意から離れるのはよくあることだ。そして、いったん選挙で選ばれてしまえば、任期中にどんな法律を通してもよいのか。多数決で何をしてもよいのか。決してそんなことはないはずだ。
例えば、2月の総選挙でメーンテーマとなったのは「消費税減税」だった。与野党とも減税アピールを繰り広げた。高市首相演説や党幹部としての主要メッセージは、経済対策(積極財政)や物価高対応、防災・安全保障などが大半を占めており、皇室典範の改正や皇位継承問題について街頭演説やテレビ討論などの場で触れることはほとんどなかった。
政党のマニフェストや理念の比較としては項目に含まれていたものの、選挙結果や投票行動を大きく直接動かすレベルの大きな争点ではなかった。つまり、先の国会で皇室典範を改正したのは、完全に有権者を“だまし討ち”したものである。有権者は高市政権にすべての政策について白紙委任したわけではない。
デモに対する欧米との認識の違い
デモ(抗議デモ・デモ行進)に対する認識や参加への心理的ハードルは、日本と欧米では大きく異なる。欧米では市民革命や労働運動など、「市民自らが声を上げて権利を勝ち取ってきた歴史」が背景にある。デモは憲法で保障された表現の自由であり、主権者としての当たり前の行動として根づいている。
一方、日本では戦後の民主主義や権利の多くが制度として与えられた側面が強い。1960~70年代の安保闘争や学生運動の過激化(内ゲバや暴力事件)に対する記憶や警戒感から、現在も「デモ=危険・暴力的」というイメージを持つ人がいる。
日本では非日常的な活動・一部の過激な運動と捉えられやすいが、欧米ではデモも権利行使・政治参加の日常的な一手段に過ぎない。日本では単なる不満の表明や問題提起と受け取られがちだが、欧米では政策変更や法改正、世論形成などの具体的成果を狙う。
日本では伝統的に、労組や特定団体、市民グループなどによる主導が多かったが、欧米では一般市民や学生、家族連れなど幅広い層が参加している。
さて、高市政権に退陣を求めるデモだが、現在のような規模・頻度に拡大すると、さすがに“ノイジーマイノリティー”と切り捨てることはもはやできないのではないか。
文/横山渉 内外タイムス






