【演芸諸行無常】落語芸術協会所属の落語家が約40年ぶりに鈴本演芸場に出演、林家二楽さんの一周忌追善興行で
今回は、紙切り芸人の林家二楽(はやしや・にらく)さんのこと。
2025年9月27日、尿管がんで亡くなった。58歳という若さで、ハサミを下ろした。
白い紙にハサミで器用に分け入り、客の注文に応じて切り抜く。「出てくる芸人の中で皆さんに何か差し上げるのは私だけですからね」は二楽さんの常とう句。寄席や落語会に欠かせない存在だった。
父親は落語家から紙切り芸人に転身した2代目林家正楽(はやしや・しょうらく)、兄は落語芸術協会(春風亭昇太会長=しゅんぷうてい・しょうた、66)所属の落語家・3代目桂小南(かつら・こなん、64)、息子は紙切り芸人の林家八楽(はやしや・はちらく、28)という寄席芸人一家だ。
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落語協会からの打診に落語芸術協会も反対意見なし
現在、東京・上野鈴本演芸場の夜席で「林家二楽 一周忌追善興行」(9月11日~20日)が行われている。
番組表(プログラム)の中に、演芸ファンなら少し驚きをもって受け止める、実に粋な計らいが見て取れるのである。
中入り後に組まれている鼎談(ていだん)。出演者は八楽さんと柳家喬之助(やなぎや・きょうのすけ、55)師匠、そしてもう一人、小南師匠。前述したが二楽さんの実兄である。
なぜ粋な計らいなのか。全部書き記すとこの連載5、6回分の分量を要することになるので詳細はAIに尋ねてください、と読者にお任せするが、鈴本演芸場と小南師匠が所属する落語芸術協会の間には今から約40年前にちょっとした出来事があり、以来、落語芸術協会所属の芸人が鈴本演芸場の高座に上がることはなかったのである。
その禁が破られた。
取材で浮き上がった事実は、「一周忌追善興行」を開催したいと発案し、鈴本演芸場に提案したのは落語協会(林家正蔵会長=はやしや・しょうぞう、63)。鈴本演芸場はそれを受け入れ、「小南師匠に座談会に出ていただくことは可能でしょうか」と追加提案した。何とも粋な! 提案者は鈴木敦席亭である。
落語協会からの打診を受けた落語芸術協会は、さっそく理事にメールで確認を取った。理事の中には、落語芸術協会と鈴本演芸場の間にかつて起こった出来事を知る人物もいるが、「反対意見はゼロ。水を差す人は誰もいませんでしたね」と関係者は証言する。
かくして鈴本演芸場に出演しない落語芸術協会所属の落語家が、鈴本演芸場の板(=高座)に上がったのである。落語はしゃべらず、二楽さんの思い出話、そして紙切り(子どもの時分、父正楽師匠に仕込まれていたため多少切ることができる)を披露し、客席をわかせた。
1990年代に内外タイムスで週1連載
亡くなる直前まで二楽さんは、週刊文春(文藝春秋)の長期連載「川柳のらりくらり」(選者:柳家喬太郎=やなぎや・きょうたろう、62)で紙切りカットを担当していた(現在は八楽さんが担当)。
実は紙媒体で最も早く二楽さんの紙切りを掲載したのは、1990年代の内外タイムスだった。まだ若く、無名だった二楽さんに週イチで連載を担当してもらっていたのである。
新聞の社会面などにはよく、一コマの風刺漫画が掲載されている。それを紙切りでやったらどこにもないし面白い、と若かった頃の私がデスクに企画提案し、通ったのである。確かタイトルは「時事紙切り」だったような(うろ覚えです)。
何もかもがアナログだった当時、紙切りの受け渡しは郵送。毎週木曜日に、遅れることなく届いた。2、3枚の紙切りが封入されていて、それに私がちょっとした原稿をつけ土曜日に掲載していた(ちなみに当時は、柳家喬太郎師匠にもコラムを連載してもらっていた)。
二楽さんは才気あふれ、劇団「WAHAHA本舗」の舞台でエルム街の紙切りという狂気じみた役を演じたり、タモリさんが司会を務めていた「笑っていいとも」(フジテレビ系)にレギュラー出演するなど紙切りを世に広めた。平面の紙切りだけではなく「立体紙切り」を発案したり、ヒット曲に合わせた紙切りをOHPで映し出す紙切り影絵「二楽劇場」で文化庁芸術祭に参加するなど、とどまらない感じを常にまとっていた。
追善興行では、二楽さんゆかりの芸人仲間が次々に登場しては門外不出のエピソードを一つ二つ披露し笑わせ、決して湿っぽくはしない。
トリをつとめるのは、3代目林家正楽の弟子の林家楽一(はやしや・らくいち、45)と八楽さん。横並びで紙切りを披露した後、八楽さんが父親譲りの「二楽劇場」で締めてお開きに。弟子であり息子である八楽さんは「いつまでもうちの師匠のことを忘れないでいただければ幸いでございます」と送り出し、客は二楽さんのことをあらためて思い出しながら、温かい心持ちで帰途に就く。
同演芸場の2階ロビーでは写真展も開かれている。
文/渡邉寧久 内外タイムス






