麻原彰晃の三女・松本麗華さんインタビュー(前編)学ぶ権利を奪われ、入国規制、銀行口座は作れず…その人生とは
1995年に地下鉄サリン事件を起こし、日本中を震撼させたオウム真理教。その教祖である麻原彰晃の娘であり、当時、アーチャリーと呼ばれた松本麗華さん。
その人生は苦難の連続だった。95年3月に強制捜査が行われ、父が逮捕された時のこと。義務教育を受ける機会を奪われ、高校・大学からも入学拒否されたときのこと。
内外タイムスのインタビューで、国や社会に拒絶されながらも力強く生きる姿を見せてくれた。
父親の逮捕、世界の崩壊
「世界が終わったという感覚でした」
そう語るのは95年に地下鉄サリン事件を起こし、当時社会問題となった宗教団体・オウム真理教の教祖、麻原彰晃の三女・松本麗華さん。教団施設があった旧上九一色村に強制捜査が入り、教祖は屋根裏から発見され逮捕される。松本さんは当時12歳。
「私たち家族は一室に隔離されていました。警察が突然部屋の中に入ってきて、麻原がいたから靴を出せと言われたんです。私は信じたくなかったんですけど、状況を悟った母が父のサンダルを出しました。私たちは父が逮捕されるところも、連行されるところも見ていなくて、最後のお別れはなかった。お兄さんと呼んでいた人たちも逮捕され、一緒に遊んだ出家していた幼なじみの子どもたちも、児童相談所に強制的に連れて行かれ、会えなくなってしまいました」
突然すべてを失った松本さんが夢見たのは、学校へ行ってみたいということだった。松本さんはそれまで小学校には1日も通ったことがなかった。
「加害者家族」という現実との直面
「幼なじみと遊ぶのは最高に楽しかった。非常に魅力的な子どもたちだったので、学校に行けば、同世代のそういう子たちと出会えて、無条件に受け入れられる。また新しい世界が始まるんだという期待があったんです。でも静岡県富士宮市の小学校の教育委員会からどうか来ないでほしいと頭を下げられた。思えばそれが、私が社会から『加害者家族』として見られているということを否応なく思い知らされた、最初の出来事でした」
オウム真理教が破産宣告を受け、教団施設にいられなくなった松本さんは、行き場もないまま教団の人たちと各地を転々とすることとなる。
「なかなか『三女アーチャリー』の住める物件を見つけることはできなかったようです。やっと住むところを見つけてもらいましたが、警察による検問はあるし、近くに見張り小屋もありました。とても落ち着いては生活できなかった。買い物しようと思っても、オウムの人には売りません、と言われてしまうこともありました」
度重なる入学拒否
それでも松本さんは、学校へ行きたいという願いを叶えるため、住民票の異動と同時に転入申請をする。転入申請はすぐに受理された。すでに中学生の年齢になっていた松本さんは、これでやっと中学校に通えると期待に胸を膨らませたという。
「ところが、調整が必要と教育委員会から連絡があり、学力検査をされました。小学校を卒業していないことを理由に、中学校には通わせられないと言われました。学力も足りないから、小学校5年生としては引き受ける。ただし、通う場所は校舎ではなく、一定期間プレハブのような場所に隔離し、地域住民がいつでも観察できる場所で授業を受けてもらう、という条件を突きつけられました。小学校のとき、頭を下げられて『どうか来ないでほしい』と言われてあきらめたからこうなったのかと、悔しかった」
しかし松本さんはそこで諦めなかった。中学校卒業程度認定試験に合格し、中卒資格を取った。高校生活まであと一歩の所まで来た。ところが、高校の入学も拒否される。
「私は日本社会のことをまったく知らないので、できれば全寮制に入りたかった。全寮制だと社会性が身につき多くのことを学べると思ったし、ずっと一緒にいた方が友だちと仲良くなれるんじゃないかと。それが無理なら、全日制高校に入りたいと思っていました。当時、私の保護者をしてくださっていた方と、弁護士さんが一緒に高校を回り、私の生い立ちを説明した上で受け入れてくれる場所を探してくださいました。ところが、次々と拒否されて。諦めかけたときに、日出高校だけ、受け入れてくださったんです」
待ちに待った学校生活、人並みの青春は送れたのだろうか。
教団を離れて
「通信制高校では月に1、2回しかスクーリングがなかったので、私が思い描いていたような友達はできませんでした。帰りにマックへ寄ったり、家に遊びに行ったりすることもありましたが、緊張するし、私らしくいられなかった。どうしても打ち解けられる友だちが欲しくて、大学受験をするには学力が全然足りなかったけど、全日制の大学を目指すことにしました。専攻は心理学しか考えていませんでした」
心理学への興味を抱いたきっかけの一つは、家庭裁判所調査官との出会いだった。
「少し話は戻りますが、高校受験を目指していたとき、勉強道具をとりに祖父が私も含め孫たちのために借りてくれた家に入ったら、住居侵入として逮捕されてしまったんです。私は父が逮捕されたころからずっと、『三女アーチャリー』として犯罪者そのものであるかのように報じられてきました。住居侵入で逮捕されたときも、『アーチャリー』ということで少年院に送られそうになったんです。
でも、家庭裁判所の調査官の方が、私を少年院送致にするべきではない。この日本社会で学んでいくべきだという意見を、家裁にあげてくださいました。私は家裁の調査官に興味を持って、当時の保護者にどんな人がなれるのか聞いてみたら、家裁の調査官は心理学を学んだ人がなれるんだよと教えてくれたので、心理学を学べば、偏見や差別を持たず、本質を見ることができるのかなと思ったんです」
逮捕される少し前、オウム真理教はなくなり、アレフが発足した。だが松本さんはアレフに入会せず、この日本社会で生きることにしたという。
「実は、私は、オウム真理教に入会したこともありません。アレフが発足したとき、入会届を出せと言われたんです。でも私は、入会したくないと思った。住居侵入で逮捕状が出る直前、私は自殺未遂をしています。これ以上、大人たちの都合で『アーチャリー正大師は素晴らしい』と持ち上げられたり、『親の七光りで何も知らない小娘だ』と言われたりすることに、私はもう耐えられませんでした。教団の中でも追い詰められていたんです。今は、すべてのオウム真理教後継団体は解散してほしいと思っています」
生まれ故に逃れられない過去
武蔵野大学や文教大学、和光大学のなどに合格するも、また入学拒否に合う。
「武蔵野大学に合格しましたが、入学式の2日前に入学拒否されました。納得はいかなかったけど、私が訴訟を起こして闘ったら、これから進学していく妹や弟たちに迷惑をかけてしまう。父の子どもが相手なら、大学の入学を拒否してもいい、という前例があるということを広めてしまうかもしれない。そう思うと、私は身動きが取れませんでした。他の大学を受験しても、同じように拒否されてしまうかもしれない。
そんな中で再び努力する決意をするのには、時間がかかりました。例え拒否されても、努力をしたという事実だけは変わらない。生きていく上で何らかの意味があるはずだと。何とかもう一度奮い立たせて、翌年、文教大学と和光大学に合格し、入学手続きをしました。文教大学は、私が目指していた臨床心理士になるための大学院があったから。和光大学は、映画監督で作家の森達也さんから、和光大学の教授が、私について和光大学に来たらいいよと言っていたと聞いていたからです」
裁判所に救済を求めた松本さんは、仮地位を経て文教大学へ入学するに至る。仮地位とは、裁判で最終的な判決が出るまでの間、暫定的に権利や地位を認めてもらう手続きである。入学式が迫り、裁判の判決を待つ時間がなかった松本さんにとって、仮地位の制度は希望だった。それでも、入学できたときは5月になっていた。
学ぶ権利を剥奪され、警察・公安による監視と不当な扱いにさらされ、地方自治体や国家機関にも組織的に追い詰められてきた松本さんは、これを構造的虐待と指摘する。
「公安警察には盗聴や尾行をされました。何者かに、車に発信器を取り付けられたこともあります。公安調査庁は、2014年に私をアレフの実質役員だと主張しました。認定機関である公安審査委員会は、公安調査庁の主張を取り合わなかったのですが、マスコミは私が公安調査庁に幹部と『認定』されたという報道はしても、訂正報道をすることはありませんでした。
公安調査庁関係から海外に、アレフの『実質役員』という情報が伝えられているのでしょう。入国規制がかかっている国があります。銀行口座は開設できず、勤務先に父の娘だと『通達』され、仕事を失ったこともあります。つらいこともあるけど、去年の8月、少し嬉しいことがありました。公安調査庁も私のことを「『Aleph』との関係が認められない麻原の親族」と官報に記載したんです。ただ、外国や金融機関に訂正した情報は流していないのでしょうね。状況は変わっていません……」
「加害者家族」は何もしてない。事件も起こしてない。いったい自分とは何なのだろう。そう問い続ける日々。それでも運命を受け入れて前向きに生きていこうとする松本さんだが。
「いろいろ考えるんです。もしもう一度人生をやり直せるのだとしたら、私は違う人生を選ぶのだろうか、と。でも、そうなれば、これまでのかけがえのない出会いもなくなってしまうのかもしれない。私はたくさんの方に支えられて生きてきました。人を差別するのもまた人ですが、苦しいときに手を差し伸べ、支えてくださったのも人でした。感謝しています」
麻原彰晃の三女・松本麗華さんインタビュー(後編)「一歩間違えれば、誰でも『加害者家族』になり得る」――憲法が守られない現実と想像力の欠如 に続く。17日18時公開
《プロフィール》
松本麗華(まつもと・りか)1983年4月生まれ。12歳の時に父親が逮捕され、16歳でオウム真理教を離れる。文教大学臨床心理学科卒。こころの暖和室あかつきの心理カウンセラー。日本産業カウンセラー協会所属。「加害者家族」などを支援する一般社団法人共にいきる理事。共著・著書『止まった時計』(講談社)『被害者家族と加害者家族』(岩波ブックレット)『加害者の家族として生きて』(創出版)。X(https://x.com/RikaMatsumoto7)やInstagram(https://www.instagram.com/rikareikamatsumoto/)、ブログ(http://wanttobefree.org/)も開設している。







