2022年秋の叙勲宮古関係4人受章

 政府は3日付で、2022年秋の叙勲受章者を発表した。沖縄関係は51人。宮古島市関係は旭日双光章に地方自治功労で元宮古島市議の佐久本洋介さん(75)=伊良部と、元那覇市議の宮國恵徳さん(70)=上野=、瑞宝双光章に行政相談功労で市行政相談員の真壁恵修さん(73)=上野=、旭日単光章に地方自治功労で那覇市寄宮自治会長の島尻香雄さん(83)=宮古島市出身、那覇市=の4人が受章する。

●佐久本洋介さん 旭日双光章(地方自治功労)

地方自治功労で旭日双光章を受章する佐久本洋介さん=伊良部前里添の自宅


 叙勲の受章に佐久本さんは「叙勲は自分一人だけではなく、一生懸命応援してくれたみんなや家族に応えられたと思う。少しは恩返しができた。今まで自分がやってきたことは間違っていなかった」とこれまで支えてくれた多くの人たちに感謝した。
 長い議員生活で一番の思い出は市町村合併だという。当時伊良部町議会は一度合併を否決したが、「そのとき立ち上がってくれたのは住民」と数日後には議決を覆して合併に漕ぎつけた。合併を推進していた佐久本さんは「心強かった」と振り返る。「宮古がひとつになるのは私の考えでもあった。伊良部島の子どもたちには広い所で多くの人と付き合ってほしかった。子どもの成長にはそれが一番良い」と語った。
 後輩議員に向けて「議員は市民の生活に直結することを決めるのだから真摯な態度で臨まなければならない。市民を引っ張っていくのは自分たちだという気概を持ってほしい」と話した。
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 佐久本洋介(さくもと・ようすけ) 1947年10月20日生まれ、75歳。沖縄大卒。98年から伊良部町議2期、2005年から宮古島市議4期、13~15年市議会副議長、18~19年同議長を務める。

●宮國恵徳さん 旭日双光章(地方自治功労)

長年にわたって那覇市議を務め旭日双光章を受章する宮國恵徳さん=宮国公民館


 旭日双光章を受章する宮國さん。「叙勲は自分一人の力ではなく、支持・支援してくれた後援会の皆さんのおかげ」と喜びを語る。市議として沖縄サミット要請団、阪神淡路大震災ボランティアや東日本大震災視察に参加。「街の発展に取り組むことが議員の務め」と生活保護相談など地域の課題解決に奔走し、那覇市政発展に尽力してきた。
 進学で沖縄本島に移り、活動が盛んだった郷友会に積極的に参加。那覇市議選では郷友をはじめ、バレーボールや空手仲間の協力、宮古島の知人や出身地の応援があり、「皆さんの真心、家族の後押しに勇気づけられた」と振り返った。
 現在は50年間住み慣れた那覇を離れ、ひとり暮らしの母親と暮らすため夫婦で帰郷。古里のためにと自治会長を務める。また、政治にも携わり、「地元から市議を出したい」と人材育成に意欲を見せる。
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 宮國恵徳(みやぐに・けいとく) 1951(昭和26)年12月5日生まれ。上野宮国出身。旧宮古農林高校卒、沖縄国際大学中退。97年に那覇市議会議員初当選し、2013年まで通算4期16年務め、建設常任及び議会運営両委員会委員長を歴任。現在、宮国部落自治会長。

●真壁恵修さん 瑞宝双光章(行政相談功労)

行政相談功労で瑞宝双光章を受章する真壁恵修さん=上野字上野の自宅


 宮古地区の行政相談員を20年間務めてきた真壁恵修さんは「今後も相談者の話を真摯に聞いて、アドバイスすることを今後も続けていきたい」と話す。今年度からは沖縄県行政相談員協議会会長と同宮古地区支部長を兼任している。
 受章の知らせを「うれしいというよりも驚いた。身に余る光栄」とした上で「推薦していただけたので、ありがたく頂戴いたしますという気持ち」と語る。
 市民からさまざまな相談を受け、関係する行政窓口への橋渡しをするのが相談員の主な業務。市では5人の相談員が委嘱を受けており、年に2回市役所などで相談所を開設している。
 真壁さんが扱った事例には、側溝から水があふれビニールハウスに流入するという相談を受け現地の写真を添えて市に改善を求めたところ、防止措置が講じられたといったものがあるという。「『無事改善してもらえた』とあいさつに来てくれると、やっていてよかったと思える」と話した。
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 真壁恵修(まかべ・けいしゅう) 1949年3月22日生まれ。旧上野村出身。宮古高校定時制卒。司法書士事務所勤務などを経て、2003年から行政相談員を務める。22年度から県行政相談員協議会会長。

●島尻香雄さん 旭日単光章(地方自治功労)

地方自治功労で旭日単光章を受章する島尻香雄さん=那覇市寄宮


 「自治会では地域にどのような貢献ができるかを常に考えて運営している」と話すのは地方自治功労で旭日単光章を受章する島尻香雄さん(83)=平良下里出身=。在住する那覇市寄宮に自治会がなく、近隣とのコミュニケーションの場を設けることを目的に島尻さんを中心に組織。島尻さんは「地域を明るくしようということで保安灯の設置に尽力したことが最初の仕事だった」と振り返った。
 自治会の活動としては、地域の道路へのジャスミンなどの花を植える活動や近くの真和志小学校での見守り活動などに従事。コロナ禍前のグラウンドゴルフ大会やピクニックでは「多くの人が参加し、盛り上がった」と思い出を語った。
 島尻さんは「宮古への思いは常にある。スポーツ関係などで宮古から沖縄本島に来る人がいたら、会いに行くなど古里への思いはずっとある」と古里宮古への思いを述べた。
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 島尻香雄(しまじり・こうゆう) 1939年9月生まれ。平良下里出身。平良中卒、文化高等学園通信課程中退。在学中から宮古や沖縄本島で時計の修理業を営む。73年那覇交通(現・那覇バス)に入社、99年定年退職。同年から那覇市寄宮自治会長。

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