GMO熊谷氏の会見、弁護士をためらわせる用意周到な「よくできている」点とは
GMOインターネットグループの熊谷正寿氏が2日、不正アクセス問題について会見した。報道によれば、「私の全責任」と述べる一方、以前のセキュリティー上の指摘については、自分は事件後に知ったと説明した。
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経営者として責任を引き受ける発言と、危険を事前に把握していなかったという説明。この二つは、法律上、矛盾するものではない。頭を下げることと、自分の財産から損害を賠償する義務を認めることは違うからだ。
筆者には、この会見は、経営陣個人の賠償責任を否定するための説明として、よくできているように見える。会見準備の内情を知っているわけではない。公表された説明を会社法の要件に照らすと、謝罪の言葉とは別に、法的防御につながる事実が慎重に示されている、という評価である。
会社への責任と被害者への責任
まず、会社と経営者は別の法的主体である。会社が顧客に賠償する場合でも、取締役が当然に同じ額を個人で負担するわけではない。経営者個人の責任を考えるうえで重要なのが、会社法423条と429条だ。
423条1項は、取締役などが任務を怠り、それによって会社に損害を生じさせた場合の責任を定める。適切な注意を尽くしたかが問題となり、通常の過失も責任の対象となる。防止すべき事故を防げず、会社に補償費用などを負担させたのであれば、その費用等について役員の責任が問題になり得る。
請求するのは原則として会社であり、一定の要件の下では株主代表訴訟による追及もあり得る。被害を受けた顧客が、自分への賠償を423条によって直接求める制度ではない。
これに対し、429条1項は、役員がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があり、それによって第三者に損害を生じさせた場合の責任を定める。顧客が役員個人に直接賠償を求める場合に問題になる規定である。
ここでの悪意は、顧客を困らせようという害意を意味しない。会社に対する任務を怠っていると知っていたか、あるいは、任務の遂行に著しい注意不足があったかが問題となる。損害と因果関係も必要だ。第三者に対する加害そのものの悪意・重過失を要求する趣旨ではない。
熊谷氏は、親会社であるGMOインターネットグループの代表であるとともに、サービス提供会社であるGMOインターネットの取締役会長でもある。どちらの会社で、どの職務について義務を負っていたかも区別する必要がある。
最高裁が示した経営判断の原則
最高裁平成22年7月15日判決(アパマンショップ事件)は、事業再編のための子会社株式の買取りについて、将来予測を伴う経営上の専門的判断を尊重し、決定の過程・内容に著しく不合理な点がなければ、取締役の善管注意義務に違反しないとした。経営会議での検討や弁護士への意見聴取も考慮し、取締役の責任を否定している。
これは、経営判断の原則を示した代表的な最高裁判例である。結果として損失が出たことだけでなく、当時の情報に基づく判断の過程と内容を評価する。ただし、同判決は株式取得の事案であり、あらゆる安全管理の不備を免責するものではない。
今回の会見で、何もせず放置したのではなく、対策を講じたが十分ではなかったと説明することには、この点でも意味がある。無対応の問題を、対応の選択や評価という経営判断の問題として争う余地を残すからだ。
知らなかったという説明の法的な意味
熊谷氏は、以前の指摘について自分には報告が上がっておらず、事件後に知ったと説明した。
これは、危険を知りながら自ら放置を決めた、という評価への反論になる。特に会社法423条や429条においても予見ができたということを基礎づける事実を評価する場面では、何を知っていたかは重要である。「責任は私にある」と述べつつ、具体的な認識については線を引く。筆者が会見を「よくできている」と感じる理由の一つだ。
また、確かに、知らなければ責任を負わない、という制度でもない。重要な危険が経営陣に届く仕組みを作り、機能させていたのかという監督の問題が残る。会社が大きいから全てを知ることはできないとしても、だからこそ、重大な情報を選び出して報告する体制が必要になる。しかしながら、この立証は原告側で行わなければならず、その立証は原告にとって証拠集めが非常に困難なものである。
会見では、当時、取締役会に上程する定量的な基準を設けていなかったとも説明された。この点は、報告されなかったという説明を支えると同時に、報告体制が十分だったのかを問う材料にもなるが、「定量的」というところで、基準自体はあり体制はあったという前提での話がされているところも危機回避としては上々である。
対策をしたことと十分な対策だったこと
会社側は、指摘後に4回の緊急メンテナンスを実施し、対応できたと誤認していた旨を説明している。
この説明も法的には意味を持つ。何もせずに放置したのか、対策を講じたものの判断を誤ったのかでは、義務違反や過失の評価が変わる。事故が起きたという結果だけから、全ての経営判断を違法とすることはできない。
しかし、対策の回数だけで合理性が証明されるわけでもない。どの危険を把握し、何を改善し、その効果を誰が確認したのか。専門家からの指摘と実施した対策の対応関係が重要になる。
外部の攻撃者が悪いことは当然である。それでも、攻撃に備えるべき側の義務が消えるわけではない。予見できた危険と、当時取り得た対応を具体的に検証する必要がある。
全責任を取ることと個人で賠償すること
「私の全責任」という言葉は、社会的には重い。しかし、その発言だけで、個人としてどの損害をいくら賠償する義務を認めたのかまで確定するわけではない。発言の文脈や具体的な内容を検討する必要があり、裁判上の自白と同じ扱いにもならない。
熊谷氏の月額報酬は3カ月間30%減額されると公表された。ただし、役員報酬の減額は、423条や429条の賠償義務を清算する制度ではない。公式開示も、今後の検証結果を踏まえ、経営責任のあり方を改めて検討するとしている。
会社が顧客への補償を進めることも、役員個人の責任を当然に消すものではない。役員の任務懈怠(けたい)によって会社がその費用を負担したのであれば、今度は会社に対する423条の責任が問題になる。
なお、役員自身の行為について、民法709条の不法行為責任が別途成立する場合もある。被害者に対する個人責任の全てが429条だけで決まるわけではない。
裁判になる前に弁護士をためらわせる会見
この会見は、実際に訴訟を起こされた後の防御だけでなく、責任追及を考える人が弁護士に相談する段階でも意味を持つだろう。株主が役員の会社に対する責任を追及したいと考えた場合も、被害を受けた顧客が役員個人を訴えたいと考えた場合も、弁護士は会見や公表資料を確認し、請求の見通しを検討する。
その際、会見の説明が事実であり、これを覆す資料も得られていないとすれば、見通しは厳しい。本人には危険の報告が届いていなかった。現場は何もしていなかったわけではなく、対策を実施し、対応できたと判断していた。この説明を前提に、個々の役員の任務懈怠や、必要となる悪意・重過失、損害との因果関係を立証するには、さらに具体的な証拠が必要になる。
会社内部の報告や判断の記録を、相談者が既に持っているとは限らない。説明に疑問を感じることと、その説明を覆して賠償責任を認めさせられることの間には、大きな隔たりがある。
筆者がこうした相談を受ける側であっても、反証のないまま会見の説明を前提にするなら、「現状の資料では責任追及はかなり難しい。このまま訴訟を受任することは難しい」と伝えるだろう。同じように、証拠と見通しの問題から受任を見送る弁護士も少なくないと思われる。会見だけで責任が否定されるのではなく、相談時点で何を主張し、何を証明できるかの問題である。
そう考えると、この会見には、根拠や証拠が十分でない訴訟を相談段階で思いとどまらせ、会社や役員が法務対応に費やす負担を減らす効果も期待できる。実際にそこまで狙って準備されたかは分からないが、経営者の認識や対策判断について慎重に説明することは、提訴前の防御としても働き得る。
謝罪の言葉を受け取るのは顧客や株主だが、法的な説明を読む相手には、その相談を受ける弁護士もいる。責任を取る姿勢は大きく示しながら、責任追及を引き受けようとする弁護士を、相談段階でためらわせる。そこまで含めて、個人の賠償責任を回避するには「よくできた会見」だったというのが、筆者の見方である。
文/松本理平 内外タイムス






