鈴木宗男インタビュー(第6回)ロシアと知の巨人・佐藤優「人生やはり、人と縁」
佐藤優氏の著書「『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』(新潮社)」には鈴木氏についてこんな記述がある。「洞察力に優れ、実行力を持った政治家である」。2人の出会いは1991年6月。当時、外務政務次官だった鈴木氏がソ連を訪問した際、名刺交換をしたことを鈴木氏ははっきりと覚えていた。
そして2人の縁は35年経った現在も続いている。最終回では盟友・佐藤優氏との出会いやロシアのこと、今後の展望などを語ってもらった。
鈴木宗男インタビュー(第5回)国策捜査、437日間勾留にステージ4の胃がん から続く。
佐藤優氏との出会いとゴルバチョフ生存情報
佐藤氏と出会った第一印象について、鈴木氏はこう笑顔で語った。
「ダブダブっていうかね。線の付かない背広を着て、皮のかばんを持って、全く外交官らしくないんです」
鈴木氏と名刺交換した佐藤氏は上司からこう忠告を受けたという。
「鈴木宗男という政治家は野心家だ。お前みたいなのはきっと気に入られる。だからお前は名刺交換だけにしろ。話の中には入るな」
だが2人は一度の名刺交換だけで、何か通じ合うものがあったのだろう。鈴木氏はソ連を発つとき、佐藤氏にあえてソ連の行く末について質問した。
「佐藤さん、ソ連は変わるんじゃないか。そう思うけど、どうだ」
佐藤氏はこう返したという。「変わると思います」
1991年12月25日、ゴルバチョフ大統領が辞任をしたことで翌26日、ソ連ことソビエト連邦は69年の歴史に幕を閉じた。その約4カ月前の8月19日、ソ連崩壊の発端となった共産党保守派によるクーデター未遂事件が起き、軟禁状態にあったゴルバチョフ大統領の安否が世界の関心の的となった、そんなとき、いち早く生存を確認したのが佐藤氏だった。
「『ゴルバは生きている』と。外務政務次官だった私はすぐ官邸に行って『アメリカに知らせろ』と。そしたらブッシュ(GHW/ブッシュ父)が『ワンダフル』と言った。彼はそれくらい仕事ができる男なんです」

「ロシアと言えば鈴木宗男」が語る今後の日ロ関係

その日ロ関係は今、風前の灯だ。2022年2月24日から始まったロシアとウクライナの戦争はすでに5年目に突入しようとしている。
「ロシアといえば鈴木宗男」と自負する中で、やはり日ロ関係を絶やさないように奔走する政治家は貴重な存在ではないか。
「やっぱり誰かがロシアと首の皮一枚つないでおかないといけない。やはり安倍・プーチン時代に戻さないと」
7月下旬、フィリピンのマニラで開催されたASEAN関連外相会議では、ロシアとウクライナの戦争以降では初めて日ロの外相が接触し、言葉を交わした。この実現に向け、奔走したのは鈴木氏だ。
5月の連休中、鈴木氏はモスクワに渡航し、ルデンコ外務次官から直接マニラで行われるASEAN外相会議に「ラブロフ外相が出席する。日本側が希望するなら茂木大臣との会談を設定してもいい」と伝えられたという。すぐに内容を高市首相と茂木外相に報告したところ、高市首相から「これを進めていく」と了解され、実現にこぎ着けた。
日ロ関係のために全身全霊を捧げる政治家・鈴木宗男にとって、現高市政権の対ロシア外交はどう見えているのか。
「高市総理はよく『私は安倍総理の継承者だ』と言われますね。その言葉にロシアは期待してるんです。私は高市首相には、ある日ある時、大胆な、思い切った決断をしないといけなくなる時が出てくると思います。それを期待しながら、私は少しでも環境整備したい」
鈴木氏がロシアで要人と会う場合、日本の外務省に何か頼んだことは一度もないという。全てこれまで鈴木氏が独自に積み上げてきたチャンネルや人間関係の賜物だ。しかも、それらの人脈は「みんなプーチンさんに会える人たち」。
戦後最悪の日ロ関係とも呼ばれるなか、8月13日、プーチン大統領が北方領土の択捉島を初めて訪問した。ただ前日の12日、プーチンは明確なメッセージを送っていたという。
「『俺と安倍晋三の時は良かった』と言っていた。そういう時に外相や官房長官がロシアのしかるべき人に『大統領のメッセージは感銘した。日本も考えるからちょっと時間を貸してほしい』とか『日本もロシアに伝えたいことがある』と話を持っていければ、また結果は変わっていた。それを黙っていたからプーチンさんも『日本も分かってないな』と思いながら択捉島に行ったんだと思う」
検察による「国策捜査」をかいくぐり、78歳となった今も日ロ関係改善のために死力を尽くす不屈の政治家・鈴木宗男。改めて自らの人生を振り返って、こう笑いながら語った。
「外務省も検察も、計算外だったのは私が国政に復帰できたことでしょうね。そして佐藤優氏は今や『知の巨人』と呼ばれ、日本の社会に多くの影響を与えている。人生やはり『人』、『縁』なんですね」

《プロフィール》
鈴木宗男(すずき・むねお)1948年北海道足寄町生まれ。拓殖大学卒。大学在学中から中川一郎議員の秘書を務め、1983年の衆院選で初当選。1997年北海道・沖縄開発庁長官で初入閣、1998年内閣官房副長官、1999年自民党総務局長などを歴任。2002年6月、あっせん収賄など計7つの汚職事件で逮捕。2005年に地域政党「新党大地」を結成。2010年9月最高裁で上告が棄却され、喜連川刑務所に収監。2019年の参院選で日本維新の会から出馬し当選(比例区)、9年ぶりに国政に復帰。2023年10月ロシアに訪問したことが問題になり離党。2025年6月自民党に復党。同年7月参院選に同党の比例代表候補として立候補し当選した。
文/寉見陽平 内外タイムス






