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皇室のファッション その歴史と意味をひも解く

25日、愛子様は、国立新美術館で行われているファッションデザイナーの森英恵さんの生誕100年を記念した展覧会を鑑賞された。きらびやかな洋服が展示された会場に足を踏み入れられた愛子様。その装いに注目が集まっている。

皇室と音楽にまつわる伝統と革新 音に宿る祈りと継承

胸元にリボンのついた黄色のセットアップで、かわいらしさと大人の女性の品格を兼ね備えたスタイリングは、まさに愛子様にぴったりだった。実はこのお洋服、森英恵さんがデザインしたもので、雅子様が30年以上前に着用されたものであり、お召し物だけでなく当日合わせられたバッグもまた、雅子様から譲り受けたもので、「雅子様ファッション」で臨まれた。

皇室と聞くと、多くの人は即位礼で見かける豪華な装束や、園遊会での上品なスーツ姿、あるいは海外公式訪問での華やかなドレス姿を思い浮かべるかもしれない。しかし、皇室の装いは、単なる衣服ではない。そこには日本の歴史そのものが刻まれている。

時代ごとに変化する政治、外交、文化、そして国民との関係。そのすべてが皇室のファッションに反映されてきた。今回は、古代から現代までの皇室の装束の歴史をたどりながら、その意味や背景をひもいてみたい。

時代それぞれでファッションの意味が変わる

現在、即位礼や宮中祭祀で着用される伝統装束の多くは、平安時代に完成したものが基礎となっている。天皇がお召しになる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」はその代表例だ。

黄櫨染は古来天皇のみが着用を許された特別な色であり、日の光によって黄金色にも褐色にも見える独特な色彩を持つ。一方、皇后の装束として知られる十二単も平安貴族文化の象徴だ。

十二単といっても実際に十二枚とは限らず、何枚もの衣を重ねることで季節感や美意識を表現する。桜の季節には淡い紅色と白色を重ね、秋には紅葉を思わせる色彩を組み合わせる。平安貴族にとって衣服は自然との対話だった。

皇室が受け継ぐ装束にも、その日本人らしい感性が色濃く残っている。現代の私たちがファッションで季節感を楽しむ文化も、遠く平安時代の宮廷文化につながっていると考えると興味深い。

鎌倉幕府の成立以降、日本の政治の中心は武士へ移っていく。しかし皇室の装束は大きく変化しなかった。権力の中心でなくなったからこそ、逆に皇室は伝統文化の守護者としての役割を強めていったのである。室町時代や戦国時代になると宮廷財政は困窮し、装束の維持すら難しい時期もあった。それでも即位礼や重要祭祀で必要な装束は守り続けられた。

言い換えれば、日本文化の「最後の保管庫」が皇室だった。もし、皇室が古代以来の装束を維持していなければ、日本の伝統衣装に関する多くの知識は失われていたかもしれない。現代でも京都の織物や染色技術が受け継がれている背景には、皇室儀礼の存在が大きく関わっている。

明治維新が皇室ファッション最大の転換点

皇室ファッション最大の転換点は明治維新だった。近代国家を目指した日本は、西洋列強と肩を並べるために様々な制度改革を進めた。その中には皇室の服装改革も含まれていた。明治天皇は、1870年代から洋装を正式に採用するようになる。それまでは束帯や直衣が中心だったが、軍服やフロックコートを着用する姿が公式のスタイルとなった。

これは単なる流行ではない。西洋諸国に対して「日本は近代国家である」というメッセージを示す外交戦略だったのである。皇后である昭憲皇太后も同様だった。和装が基本だった時代に、西洋式ドレスを積極的に着用した。そのお姿は当時としてはかなり革新的だった。

現在ではドレス姿の皇族は珍しくないが、その始まりは明治時代の大きな決断にあった。興味深いのは、洋装化が進んでも伝統装束は廃止されなかったことだ。宮中祭祀や即位礼では引き続き古来の装束が用いられた。つまり皇室は「近代化」と「伝統維持」を両立させたのである。この柔軟性こそが、長い歴史を生き抜いてきた皇室の特徴なのかもしれない。

昭和天皇の時代になると、皇室の装いはさらに国民に近づいていく。戦前の皇室はどこか遠い存在だったが、戦後になると象徴天皇制のもとで国民との距離を縮める役割が求められるようになった。香淳皇后の着物姿は、多くの日本人女性の憧れとなった。落ち着いた色合いと品格ある着こなしは、「皇室らしさ」の象徴となる。

また、美智子上皇后陛下の登場は、皇室ファッションに大きな変化をもたらした。民間出身の皇太子妃として注目を集めた美智子様は、上品でありながら親しみやすい装いで多くの国民の共感を得た。

帽子の選び方や淡い色彩のスーツ、場面に応じた和装など、その着こなしは常に話題だった。日本中の百貨店で「美智子様風ファッション」が流行したというエピソードも残っている。皇室ファッションが国民生活に直接影響を与えた代表例と言えるだろう。

皇室ファッションはその時代の日本の姿そのもの

現代の皇室ファッションは、国際性と伝統性の両立が大きなテーマとなっている。雅子皇后陛下は外交官経験を持つこともあり、海外公式訪問では相手国への敬意を意識した装いが注目されている。相手国の国旗の色を取り入れたり、その国の文化を尊重したデザインを選んだりすることも少なくない。ファッションが外交の一部として機能しているのである。

愛子内親王殿下にも同じ傾向が見られる。若い世代らしい自然な装いの中にも、皇族としての品格が感じられる。SNS全盛の時代となり、皇室の装いは以前よりも広く、そして瞬時に世界へ発信されるようになった。そのためファッションが持つメッセージ性はこれまで以上に重要になっている。

皇室の装束やファッションの歴史を振り返ると、それは単なる衣服の変遷ではないことが分かる。平安時代の優雅な装束には日本人の美意識が宿り、戦乱の時代には伝統文化を守る役割を果たした。明治時代には近代国家としての決意を表し、戦後は国民との距離を縮める手段となった。

そして現代では国際親善や文化発信の役割も担っている。つまり皇室の装いは、その時代ごとの日本の姿そのものを映し出しているのである。私たちがテレビで見る一着のドレスや和装、あるいは即位礼で着用される古式ゆかしい装束の背後には、千年以上にわたる歴史が息づいている。

次に皇室の方々の装いを見る機会があれば、ぜひ「なぜこの服が選ばれたのか」という視点で眺めてみてほしい。そこには流行を超えた、日本の伝統と時代の変化をつなぐ物語が隠されているのである。

文/志水優 内外タイムス

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