無責任という官僚文化を変えるには…おかしな原子力規制を例に
官僚機構の無責任さをどのように是正すべきか。「小説 原子力規制の舞台裏」(東方義博著、エネルギーフォーラム刊、2026年9月)という本を読んだ。原子力の規制政策を担当した元官僚である匿名著者による小説形式の本だ。自分の経歴を書き残している。この本の書評を交えながら、それを考えてみたい。
本来の姿とはかけ離れた「地方創生」 地方は「原発」か「防衛関連拠点」の2択か
2011年に起きた東日本大震災、そしてそれによる津波で引き起こされた東京電力の福島第1原発の事故は、大変な衝撃を私たちに与えた。
主人公は福島事故当時、国立大学に教授として出向していた。事故の一報を受けて支援のために役所に戻ろうとする。すると一緒に出向していた官僚が言う。
「役所なんかにいたら責任を取らされるぞ。賢い役人はそんなことはしない。事が起こった時は、通り過ぎるまでじっと潜んでいるのが身のためだ」
実際にこのようなことを言ったのならば、その官僚の無責任さに腹が立つ。しかし考えてみると、これは官僚として合理的な考えと行動だ。やる気を捨てて「責任逃れ」「先送り」をすれば、給料はもらえて経歴に傷はつかない。
「無責任が個人の利益」になる仕組み
行政機構は、その活動が法律に基づいて整備されている。税金を使い、公権力を行使する重大な職責を持つ以上、勝手なことを役人がしないための規制だ。
制約と表裏一体だが、その範囲で活動していれば、個々の官僚は無責任な行為をしても、違法な行為をしていないために、組織内で処罰を受けない。民間と違う官僚機構独特の仕事の構造がある。無責任さが、その行動原理に構造的に組み込まれている。
ジェームス・ボーレン(1925-2010)というアメリカの作家は「官僚の三原則」というジョークを残した。彼も連邦政府の官僚の経歴があった。
「責任者のときは熟考するふりをせよ。困ったときは委任せよ。疑わしいときは曖昧に言え」。つまり、「決断をせず仕事をしているふりをする」「他人に仕事を振って責任を逃れる」「難しい問題は曖昧にして逃げる」と、官僚の無責任な仕事の特徴を皮肉っている。
デジタル化が進んだ現代でも、この特徴が変わらなければ、新しい仕組みの上で同じような無責任な行為が繰り返されるだけだ。
無責任さがもたらした福島原子力事故
官僚機構に無責任さがあっても、平穏な変化のない社会なら、問題はなかろう。しかし外部環境が劇的に変わった時や行政の対応策が間違っていた時に、こうした無責任さは、社会全体に悪影響を与えてしまう。私が観察してきた原子力政策、原子力規制政策は、外部の変化に規制当局がついていけなかった。
前述の小説「原子力規制の舞台裏」には、別の場面があった。福島事故の前に、海外での原子力事故の研究や民間での安全対策の進化で、福島原発にあったような旧型原子炉が大規模な事故を起こす危険は認識されていた。
また考古学からの知見で、東北では過去の大地震で巨大津波が現代の原子力関係者の想定以上の規模で広がっていたことが判明していた。
しかし実際の対策は行われなかった。福島事故は、想定以上の大津波で原子炉の主要設備が破壊され、旧型炉が過熱し壊れて放射能が漏れてしまった。
規制当局や関係者の過酷事故はないという思い込み、事故の可能性を認めると反対派に危険だと批判されることのためらいが、対策を遅らせたという。しかし古巣を批判する小説の著者にも、強い自責の念は読み取れなかった。
解決策は米国式行政か
官僚機構につきものである無責任さをどのように是正するべきか。この小説の著者によると、全く別のアプローチがあるという。米国式に、官僚とその関係者が一緒に規制を作っていく方法だ。
米国の原子力規制では、規制当局と原子力事業者が、相互に信頼し、アイデアを出し合う。規制当局は事業者を信頼した上で、実行を確認するという仕組みだ。日本の原子力規制では、能力的に頼りない規制当局が、事業者にルールを押し付けることが今も目立つ。
この小説での提案は、米国式行政をやや理想化しているように思う。米国には、行政も民間も、相手が問題行為をすると、すぐに訴える訴訟文化がある。そうした装置があるために、相手に丁寧に接する態度を取る面があるのだろう。
また米国は人為的な国家のため、行政サービスを国民が作ったという意識があり、官民が対等だ。このような仕組みは、日本の国情に合うのだろうか。
この著者は、米国の原子力規制当局で働いた経験があり、このような主張をしたためか、原子力規制の官僚組織の主流から外されてしまったようだ。
福島事故を受けて日本の原子力規制制度は解体され、原子力規制委員会、原子力規制庁が新しく2012年に誕生した。しかし取材すると、今の規制当局は外部とのコミュニケーションを警戒している印象がある。非常に閉鎖的だ。
そして規制はコミュニケーション不足で関係者に「混乱」と評価されている。安全性は高まる一方で、原子力発電所がなかなか再稼働できず、電力料金の上昇要因になって、国民全体が経済的な損をしている。
このような行政の問題が起きている以上、全く別のアプローチが必要かもしれない。米国式の原子力規制行政は、その新しいアプローチを考える材料の一つだろう。
国民が声を上げ、行政とやり合う仕組みを
この専門的な本を、この一般向けの記事で取り上げた理由は、原子力規制を考えるためだけではない。今の日本の各所に、官僚機構の無責任による、似たような問題が出ているように思うためだ。
政府の問題は、批判だけでは解決しない。また官僚の無責任さは、永遠に消えないだろう。少しでも是正されるために、私たちが規制づくりに参加し、行政との関係を自ら変えるしかない。日本の行政の現状、それとは違う米国式の行政の思考を知ることは、問題を考える一つの材料になると思う。
文/石井孝明 内外タイムス






