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八田與一容疑者はなぜ見つからないのか…弁護士が見た「本人確認社会」の死角、現在の生活は

大分県警は2026年10月30日、別府市で大学生2人が死傷した事件で、殺人などの疑いで重要指名手配している八田與一容疑者の新たな写真を公開した。

写真は2022年、当時25歳の姿を撮影したものだ。現在の写真ではないが、従来より顔立ちが鮮明に分かるという。新しいチラシには英語の説明も掲載され、情報提供が呼びかけられている。

携帯電話にも銀行口座にも本人確認があり、街には防犯カメラがある。それなのに、なぜ見つからないのか。仮に今もどこかで暮らしているとすれば、その生活は何に支えられているのだろう。

ただし、現在の所在や生活状況が確認されたわけではない。20、21日には、足取りが途絶えた別府市内のヨットハーバー付近で海の捜索も行われている。以下は、生活を続けている場合に何が問題となるかを、筆者の刑事弁護の経験から考えるものである。

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名義人が分かっても使用者が分かるとは限らない

「電話会社や銀行に問い合わせれば、誰が使っているか分かるのではないか」。もっともな疑問だ。しかし、契約記録に名前が載っていることと、その人物が実際に利用していることは、同じではない。

私が刑事弁護で扱ってきた事件では、他人名義の携帯電話や銀行口座は珍しくない。契約時に本人確認が行われていても、その後、別の人物が管理・利用している事例が繰り返し登場する。

そのため、名義人が分かれば捜査が終わるわけではない。通信や取引の記録、関係者の供述などを突き合わせ、実際に誰が使っていたかを認定していく。捜査記録を読む際にも、名義人と使用者を分けて検討することは、ごく基本的な作業である。

さらに、使用者が特定できても、現在地が分かるとは限らない。ある時点で事件に関与していたことを示す証拠と、今どこにいるかを示す情報は別だからだ。特殊詐欺事件などでは、その隔たりを強く感じる。

契約名義、実際の使用者、現在の所在。この三つを一つに考えると、「本人確認があるのに、なぜ捕まえられないのか」という疑問への答えを見誤る。

犯罪インフラは映画の中だけの話ではない

他人名義の電話や口座と聞くと、特別な人脈がなければ手に入らないものを想像するかもしれない。しかし、私が担当した事件で見てきたのは、それらを調達し、提供する役割が組織化、分業化されている実態だ。個々の知人が一度だけ名義を貸すという範囲を超え、反復・継続的に供給されている。

SNS型投資詐欺に関係する事件でも、売買・譲渡された他人名義の口座が数多く登場する。事件の実行役とは別に、通信や金融の基盤を用意する人間がいるのである。

警察庁も、不正に譲渡された預貯金口座や、不正取得された架空・他人名義の携帯電話が犯罪に悪用される実態を公表している。

個人名義に限った話でもない。法人そのものや、法人名義の契約・設備などが取引され、不正利用につながる問題もある。通常の企業買収や事業承継とは区別する必要があるが、形式上存在する法人や契約と、それを動かしている人物の実態が一致しない場合がある。

こうした実態を踏まえると、「本人名義の契約が見当たらないから、電話や口座を利用していないはずだ」とは簡単に言えない。

すべてを偽造しなければならないわけではない

別人として生活するという話から、精巧な偽造身分証を思い浮かべる人もいるだろう。私にも偽造・変造された身分証が登場する事件の担当経験はある。ただ、担当した事件の範囲では、それよりも他人名義の電話や口座が利用されている事例の方が、はるかに多い。

本人確認の書類が存在することだけでは、その後の利用実態まで保証されない。身分証が本物かという問題に加え、確認された人物と実際の利用者が一致しているかという問題がある。

もっとも、犯罪インフラが流通しているからといって、それを使えば身元が分からなくなるわけではない。名義と実態の食い違い自体が捜査の対象となり、複数の証拠から使用者が特定されることもある。

八田容疑者がこうしたものを利用していると確認されたわけでもない。ここで示しているのは、別の担当事件で実際に見てきた社会の一面である。

整形していたら 写真の公開は意味がないのか

外見が変わっている可能性を考える際、比較できる実例として、市橋達也受刑者の事件がある。リンゼイ・アン・ホーカーさんの事件では、市橋受刑者が整形手術を受け、千葉県警が整形後の写真を公開したことが報じられた。外見の変化が、実際に人物の特定で問題となった例である。

しかし、その実例があることから、八田容疑者も整形しているとは言えない。今回確認した報道にも、それを裏付ける情報はない。

写真の公開は、顔が完全に一致する人物を見つけるためだけのものとも考えられない。過去に接点のあった人が気付き、情報提供につながる可能性もある。今回の鮮明な写真も、当時の人物像を具体的に伝え、記憶や情報に結び付ける意味があるだろう。

弁護士が推察する八田容疑者の生活

仮に八田容疑者が現在もどこかで暮らしているなら、どのような生活なのだろうか。ここからは、確認された足取りではなく、刑事弁護で見てきた実態を踏まえた私の推察である。

私が一つの可能性として考えるのは、周囲からは、ごく普通に暮らしている人に見えているという姿だ。食事をし、買い物をし、誰かと言葉を交わす。そうした日常があっても、接した人が目の前の人物と指名手配写真を結び付けなければ、発見にはつながらない。

ただし、日常の一場面を過ごせることと、それを何年も維持できることには大きな違いがある。住まいや生活費は継続して必要になる。体調や経済状態、人間関係も変わる。長期間の生活を考えるなら、こうした変化の中で生活基盤がどう維持されているのかが気になる。

私の経験上、犯罪インフラの入手自体を、極めて特殊で困難なこととは捉えていない。ただし、広く顔を知られた指名手配者が利用する場合には、本人の正体に気付かれる可能性という別の問題がある。

そこから、継続的に生活を支える人間関係の存在を考える余地はある。事情を知る人物の援助だけでなく、身元を十分に知らない人との日常的な関係の中で、生活が成り立っている可能性も考えられる。本人が自力で生活を維持している可能性も含め、協力者の存在を前提にはできない。

外から普通に見える生活が、本人にとって安定した生活とも限らない。周囲がいつ自分に気付くか分からない。その不確実さを抱えた日常は、精神的にも落ち着かないものではないかと想像する。

社会との接点はありながら、その生活と本来の身元との結び付きが、まだ捜査で捉えられていない。私は、そのような可能性を考える。もっとも、現在も生活しているという仮定の上に立つ一つの見方であり、具体的な生活像が確認されたわけではない。

経験は可能性を示すが事実を決めるのは証拠である

刑事事件の証拠に接していると、本人確認の記録が存在しても、それだけで実際の使用者や所在が判明するわけではないことを実感する。他人名義の通信・金融の基盤が組織的に供給されている実態も、私が担当事件で見てきた現実だ。

一方、その実態を知っていることは、八田容疑者の生活を知っていることにはならない。組織的な支援、他人名義の利用、整形などは、個々の証拠がなければ仮説にとどまる。

本人確認の記録は、捜査の出発点である。そこから誰の行動に結び付くのかを、一つずつ確かめていく必要がある。経験は可能性を考える手掛かりになる。事実を決めるのは、個々の証拠である。

文/松本理平 内外タイムス

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