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だんじり死亡事故は「自己責任」なのか…法的な見地から考える安全管理の境界、ボクシングや辺野古転覆事故の場合は

大阪府泉佐野市と泉大津市で10月10日、だんじり祭りの事故が相次ぎ、男性2人が亡くなった。泉佐野市では、勢いをつけて角を曲がる「やりまわし」の際にだんじりが横転し、側面でバランスを取る役割を担っていた男性が下敷きになったと報じられている。

この事故を受け、ひろゆきこと西村博之氏は11日、X(旧Twitter)でボクシングの死亡事故を例に挙げ、危険を理解して自ら参加する人の選択を尊重し、第三者が一方的に制限することには反対する趣旨の意見を投稿した。

危険を伴う活動にも、本人が参加を選ぶ自由はある。しかし、参加したことによって、主催者や指導者の安全管理責任までなくなるのだろうか。「危険を知っていた」と「事故について誰も責任を負わない」の間には、法律上、大きな隔たりがある。

危険行為が相次いだ「だんじり祭り」その経済効果は40億円以上

スポーツでもすべての危険を承諾するわけではない

ボクシングでは、ルールに従った打撃によって負傷する危険がある。競技の性質上、通常想定される接触や負傷について、結果だけで相手の責任を問うことはできない。

一方、反則行為や、必要な安全措置を欠いた運営による事故まで、参加者が当然に承諾したとはいえない。例えば、設備の不具合を放置したり、選手の異常を把握しながら競技を続けさせたりした場合には、競技固有の危険とは別に、主催者や指導者の過失が問題になる。

だんじりでも同様だ。危険を理解した成人の参加という事情は、責任を判断する際の重要な要素になる。しかし、速度や経路、人員配置、中止判断など、運営側が管理できる事項について、どのような対策が必要だったかは別に検討しなければならない。

法律上の「過失」は、事故が起きたという結果だけを理由に認められるものではない。基本となるのは、具体的な危険を予見できる状況にあり、その結果を避けるための措置を取る義務があったのに、その義務を果たさなかったという考え方である。

例えば、だんじりの速度や曲がる角度、道路の状態などから、横転して人が下敷きになる危険を予見できたのであれば、減速、経路や人員配置の変更、場合によっては運行の中止など、合理的に可能な回避措置が問われる。「祭りには危険がある」という抽象的な認識だけでなく、どのような事故の危険を、誰が、いつ把握できたのかを確認する必要がある。

そのうえで、取るべき措置を怠ったか、その措置を取っていれば事故を避けられたかを検討する。損害賠償には、義務違反に加え、その違反と被害との因果関係も必要である。参加者自身が具体的な危険を理解していたか、指示に反する行動をしたかも、過失相殺などの判断に影響し得る。

もちろん、安全管理を尽くしても避けられない事故はある。死亡事故が起きたという結果だけで、主催者の責任が決まるわけでもない。

学校行事では誰が安全を判断するのか

学校行事として参加する生徒の場合には、さらに事情が違う。

2026年3月16日、沖縄・辺野古沖で、同志社国際高校の研修旅行中の生徒らが乗った船が転覆し、生徒1人と船長1人が亡くなった。学校法人が公表した特別調査委員会の報告書は、事前調査、旅行計画の策定・実施、生徒や保護者への説明について、学校側の安全配慮義務違反を指摘している。これは調査委員会の評価であり、裁判所の確定判断とは区別する必要がある。

この事故を比較する際に大切なのは、学校行事として乗船した生徒と、抗議活動を担い、船を運航する側の立場を分けることだ。生徒がコースや乗船を希望したとしても、それだけで運航側と同じ危険認識を持ち、出航や航路の安全性まで判断したとはいえない。

生徒は、自分の経験だけでは分からない危険について、学校や船長などの大人による判断に依存する。年齢、説明された内容、危険を理解する能力、参加を断れる状況だったかを踏まえる必要がある。

学校には、外部の専門家を利用する場合でも、その活動を教育行事として実施してよいか確認する役割がある。運航側には、海況や船の状態を踏まえて、安全に運航できるか判断する役割がある。

「船長に任せた」「学校が参加を決めた」という説明だけで、それぞれの役割が消えるわけではない。政治的な立場への賛否と、安全確保の義務も分けて考えるべきである。

見物客や住民はさらに立場が違う

祭りを運営する人、だんじりを引く人、沿道で見る人、近隣に住む人を、ひとまとめに「危険を承知した人」と扱うこともできない。

見物客は祭りを見に来ていても、だんじりの動きや停止方法を管理できない。付近の住民や通行人には、そもそも祭りへの参加を選んでいない人もいる。

そのため、運営側には、参加者の安全対策に加え、観覧区域の設定、立入制限、誘導、通行人への周知など、周囲へ危険を及ぼさないための措置が求められる。今回の事故で見物客や住民が被害を受けたと述べるものではないが、祭礼の安全を考えるうえで欠かせない視点である。

見物客が制止を無視して危険区域に入った場合には、本人の行動も責任判断に影響する。しかし、注意書きを置けば運営側の責任がすべてなくなるわけではない。

事業者と消費者の契約に当たる場合には、事業者の損害賠償責任を全面的に免除する条項などは、消費者契約法によって無効になる。地域の祭礼に同法が適用されるかは運営や契約の実態によるが、「事故は自己責任」と書けば免責される、という理解は正確ではない。

参加の自由と安全管理責任は両立する

伝統行事やスポーツの危険をすべて排除すれば、その活動自体が成り立たなくなることもある。本人が危険を理解して参加する自由は、尊重されるべきだろう。

同時に、本人の選択を尊重することは、管理できる危険を放置してよい理由にはならない。

問うべきなのは、誰がどの危険を理解し、誰がその危険を管理できたのかという点である。成人の経験者、学校行事に参加する生徒、見物客や住民では、その答えは異なる。

今回のだんじり事故についても、具体的な原因や運営状況を確認せず、参加者の自己責任とも、主催者の過失とも断定できない。参加の自由を守りながら、予見・回避できた危険を検証することが、行事を続けていくための安全管理につながる。

文/松本理平 内外タイムス

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