湧川さん「小林市は第二のふるさと」と感謝 学童疎開の「在籍之証」 小林市教委
宮崎県の小林市教育委員会(大山和彦教育長)は10日、戦時中の1944(昭和19)年に宮古島から小林国民学校(現小林小学校)に学童疎開した湧川弘一さん(93)に「在籍之証」を贈呈した。市役所で行われた贈呈式で証書を受け取った湧川さんは、感慨深げな様子で「当時、内地(本土)を見たい、行きたいという一心で希望し、小林市の皆さんにお世話になった。両親と別れて寂しい思いもあったが楽しい思い出ばかり。きょうは激励も受けて感謝している」と話した。
贈呈式には湧川さんの息子の弘範さんや宮城克典教育長、小林市の堀研二郎市長らが同席。大山教育長が「在籍之証」を読み上げて手渡した。
在籍之証には、44年8月から約1年半にわたり小林国民学校に通学されたことを証明すると明記されており、「疎開生活では遠く宮古島の家族に思いを馳せ、冬の厳しい寒さやひもじさに耐えながらも共に疎開した友人や小林市民と心をひとつにして懸命に勉学に励まれた」とたたえた。
そして「宮古島を離れ見知らぬ土地で過ごされた日々は、私たちの想像を超える苦労であったと拝察する。当時の皆さんが苦難を乗り越え、命をつないだからこそ現在の平和な毎日を過ごすことができている。守り抜いた平和な世界の実現に向けて不断の努力を続けていきたい」と誓った。
宮古島からは当時、下地、平良第一、平良第二の国民学校の児童や引率の教諭らが小林市へ疎開した。
湧川さんは「小さい子どもたちが両親と離れて疎開してきたということで婦人会が面倒を見てくれた。皆さんには大変お世話になり、感謝の気持ちが大きい」と話した。
海路での移動中には、米軍の潜水艦に撃沈された「対馬丸」に乗り換える予定だったという。「先生方の判断で対馬丸には乗らなかった。もしかすると対馬丸に乗り換えて犠牲者になったかもしれない」と紙一重の差で命が救われた当時を振り返った。
一方で、当時の疎開生活については今も鮮明に覚えており、「小林市は第二のふるさと」と懐かしそうに語る湧川さん。小学6年生で希望した学童疎開の生活は楽しかったと何度も口にした。
今回の「在籍之証」の贈呈は、宮古島市が昨年11月に小林市で開催した移動平和展の際、参加した宮城教育長が案内された小林小学校に保存されていた児童らの在籍簿があることを知り、湧川さんの名前も確認したことがきっかけで実現した。案内した大山教育長は「名前があり、当時の事を聞いて感銘を受けた。在籍之証を準備したのでお渡ししたい」と述べていた。



