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【投稿】平和学習・教育とは何か?~「平和」の看板に隠された実態を見極める~ 下地在住 浅野 潔

 先般発生した辺野古での痛ましい死亡事故に関し、安全管理上の問題がクローズアップされている一方で、「そもそも平和学習・教育とは何か?」という本質もまた厳しく問われています。尊い人命が失われた今回の事故を契機に、私たちが長年目をつぶってきた「平和」をめぐる教育のあり方について、一言述べさせていただきます。
 この事故をめぐっては、文科省の調査により教育基本法が定める「政治的中立性」に抵触する旨の見解が示されました。事故の直接的な原因は、下見の欠如や教員が同乗しないといったずさんな安全管理の不備にありますが、問題の本質はそれだけではありません。本来、子供たちの命を守り、健やかな成長を支えるべき教育の場が、「平和」という反対しにくい美しい言葉の陰で、生徒たちを特定の政治活動や市民運動の現場へと誘導し、当事者として深くコミットさせる「隠れ蓑」になっていたという、極めて歪んだ実態が明らかになりつつあるのです。
 現在の日本の平和学習、とりわけ沖縄県における教育は、凄惨な地上戦の記憶から独自の歩みをしてきました。しかし、その特殊性ゆえに、戦争の悲惨さを伝える「被害の記憶の伝承」や感情論に過度に依存し、客観的・多角的な視点が著しく欠落しているように思われます。悲劇を語り継ぎ、不戦を誓うこと自体は大切ですが、現在の内容はあまりにもバランスを欠いているのではないでしょうか。
 歴史とは「原因と結果の因果関係」の冷徹な繰り返しです。真に学ぶべきは、「戦争は悪、平和は善」をただ繰り返し、「悪いのはすべて軍部だ」と一方的に決めつけて思考停止することではありません。当時の日本を取り巻く世界恐慌、経済的ブロック化、国際連盟の限界、そして世論の動向といった複合的な要因を科学的に解明し、「なぜ当時の日本が戦争という最悪の選択肢を選ばざるを得なかったのか?」という外交的・戦略的な視点から因果関係を冷静に分析して、得られた教訓を未来に活かすことこそが重要です。  
 しかし実際の教育現場では、「反戦平和」のスローガンや道徳的なアプローチをひたすら唱えれば平和が実現するかのような風潮が根強くあります。火災や事件・事故が起こったときには、その原因を徹底的に調べ、再発防止のためにあらゆる知恵を絞るのが当然の危機管理です。それなのに、国家存亡の一大事である戦争については、なぜその具体的な原因を探求し、戦略的に備えようとしないのか不思議でなりません。
 さらに問題なのは、この「平和」というマジックワードが、行政機関や自治体の現場においても悪用されている実態です。予算要求のプロセスにおいて、「平和のため」という題目を冠しさえすれば、費用対効果の厳格な査定を回避でき、あらゆる事業が承認されやすくなるという「聖域化」の道具に使われています。
私たちは、「平和」を冠する様々な活動や予算を盲目的に信用してはなりません。その使途が本当に正当かつ健全なものであるか、特定の偏った考え方を持つ団体の既得権益や資金源、あるいは政治運動の隠れ蓑になっていないかを、注意深く見極める必要があります。
 海外の平和教育では、安全保障や防衛政策、国際法の現実を反映した「リアリズム」と関連付けて教えられています。これに対して日本では、「平和教育=反戦教育」という固定観念が強く、自衛隊の存在や日米安保条約、あるいは抑止力といった「現実的な安全保障の選択肢」を教えることをタブー視し、意図的に避ける傾向があります。この被害者意識の固定化こそが、現実の厳しい国際情勢から目を背けさせ、結果として我が国の危機管理能力を著しく低下させている要因に他なりません。
 特に、離島で暮らす私たち宮古島市民にとって、周辺の緊迫した地政学的リスクや、有事の際の島民避難、さらにはサイバー攻撃や情報で人々の心を操る「認知戦」といった現代の脅威は、人命と財産の保護に直結する切実かつ避けて通れない課題です。
「なぜ宮古島に陸上自衛隊が配備されているのか? なぜ日米同盟による抑止力や米軍の駐留が必要なのか?」という安全保障の現実を無視し、ただ盲目的に基地反対を唱えるだけでは、大切な家族も愛する郷土も守ることはできません。平和学習・教育とは、感情論で戦争反対を叫んで思考を停止する場ではなく、私たちの島と暮らしを具体的にどう守り抜くか、市民一人ひとりが当事者意識を持って現実的な知恵を絞る対話の場であるべきです。  
 私たちが今なすべきは、平和をただ「祈る」受動的な教育から、自らの手で平和を「つくる」教育への転換です。過去の惨禍をただの悲劇で終わらせず、根本原因を科学的に解明し、未来の戦争をいかに抑止するかを議論する「戦略的リテラシー教育」へ。次代を担う子供たちが、多角的な事実に基いて自律的に物事を判断し、国益を守ることのできる健全な主権者へと成長していく。そんな真の意味での平和学習が、私たちの宮古島、そして日本全体で推進されることを心から願っています。

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