(左から)仲宗根さん、上地さん、狩俣さん =3日、東川根自治会館

昭和世代の貴重な講話 戦前、戦中、戦後の宮古島 3人の経験、知見語られる

 東川根老人ぬくもりクラブ(川上哲会長)は3日、東川根自治会館で地域の講師3人を招いた「ぬくもり講話『あなたの声が聞きたい』」を開催した。仲宗根將二さん(1934年生)、上地慶彦さん(37年生)、狩俣栄吉さん(同)の昭和生まれの3人による卓越した知識と経験からなる戦前、戦中、戦後にまつわる講話に参加した30人は、熱心に耳を傾けた。
 このイベントは、年配者が日々の生活で培った知識と知恵を共有し、先輩を敬う精神と周りをいたわる文化の礎を築くことを目的に開催された。
 イベントでは、佐平幸男部長の開会の言葉に続き、川上会長のあいさつが行われた。川上会長は、仲宗根さんを物知りで博学であること、上地さんを東川根老人ぬくもりクラブの立役者として、狩俣さんを現役の会社社長であり、多彩な才能を持つ人物として紹介。彼らの豊かな経験と知識は、会員にとって自慢であり、顧問としての的確な助言が心強い存在であると述べた。
 仲宗根さんは「バッシラインあの人」、上地さんは「平良市3大事業(水道)の歩み」、狩俣さんは「波瀾万丈のバガ人生」と題して、それぞれの経験や知見を共有した。
 そのうち仲宗根さんは、宮古島の過去の生活や文化について語り、自らの経験をもとに地域の歴史や方言について深く掘り下げた。
 仲宗根さんは戸籍上の誕生日は35年になるが実際の誕生は34年であることに触れ、昔の宮古島では子どもが育つ環境に乏しく生まれてすぐに戸籍に入れるのではなく、3歳まで大きくなってから戸籍に入れる事が多い時代だったそうだ。
 また「2歳上の兄がいるが、隣近所の兄と同じ歳の子どもの家には小学校入学通知が届くのに一向に兄には届かなかった。市役所に行くと兄の出生届は出ていなく、また両親の婚姻届も届けていなかった」と話し、両親の入籍と兄の出生届、自分の出生届、妹の出生届の4つの届け日は同じ期日だったという。
 さらにその当時の人々の暮らしを垣間見ることのできる話もあった。また、仲宗根さん自身の国民学校時の学校の生活、宮崎県に疎開し宮古島に戻って宮古の方言が分からず、方言を学ぶのに方言ノート10冊を作ったという。その後、仲宗根さんは宮古島の文化財保護や市史編さんに従事した経験につながっており、聴衆に宮古島の歴史と文化の重要性を伝えた。

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