辺野古が完成しても普天間は返還されない可能性大…米政府の思惑は
13日の沖縄県知事選では、基地問題がこれまでのように大きな争点にはならなかった。その結果、前那覇市副市長の古謝玄太氏が現職の玉城デニー氏を大差で破り当選した。30日には歴代最年少、42歳の沖縄県知事が就任する。
沖縄の米軍基地「普天間飛行場」は住宅街のど真ん中にあるため「世界一危険な基地」と呼ばれる。そのため、名護市辺野古に新施設を建設して移設する計画を日米両政府で合意したのが基地問題の発端だ。
辺野古での建設工事は進められているが、果たして、完成後に普天間は無事に返還されるのか。専門家などの話を聞くと、どうやらそんなに簡単ではなさそうだ。
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まず、建設中の辺野古の滑走路(1800メートル)は普天間(2700メートル)よりも短く、機能が劣っているという理由で、米軍には辺野古完成後も普天間をキープすべきという“普天間キープ論”がある。また、米国防総省の公式文書には「代わりの滑走路が日本政府によって選定されるまで普天間は返還されない」と記載されている。普天間基地返還の前提条件(8条件)の中に、「緊急時における長い滑走路(民間施設)の使用権の確保」が含まれているのだ。
交錯する日米両政府と沖縄の思惑
では、有事の際に必要となる長い滑走路とはどこなのか。移設計画を進めた元米沖縄総領事のケビン・メア氏はTBS系「報道特集」の取材に「両政府の合意で指定されてないけど、でも想像できるでしょ、那覇の第2滑走路」と示唆した。つまり、辺野古の滑走路では短すぎて代わりにはならないというわけだ。
那覇空港第2滑走路は2020年に完成して運用が始まった。1996年11月の外務省・防衛庁・在日米軍の二国間会合における内部文書にはすでに、那覇空港の“緊急”使用について議論されていたことが記載されている。
沖縄国際大学の前泊博盛教授は、返還されるはずの普天間基地が改修されて日々強化されていることを指摘する。
「米軍の司令官たちに話を聞くと『辺野古って何のために作っているの』とストレートに聞いてくる。普天間は使い続けるという言葉に齟齬(そご)はない。那覇空港が沖合展開したのは、そのためのもう1本の滑走路」
米軍・米政府は、この那覇第2滑走路についてコメントすることはない。黙っていれば、建設中の辺野古の滑走路2本が手に入るからだ。前泊教授は「普天間と辺野古、両方取ると思う」と語る。
那覇空港はもともと1933年に旧日本海軍の「小禄飛行場」として開設されたが、1945年の沖縄戦で米軍が占領。その後、米軍(空軍・海軍)の「那覇飛行場(那覇空軍・海軍補助施設)」として広大な埋め立てと大規模な拡張工事が行われ、現在の空港の原型が形作られた。
1972年の沖縄本土復帰に伴い、飛行場は米軍から日本へ返還され、正式に「那覇空港」として民間主体の運用が始まった。歴史的には米軍による占領・拡張から民間空港として沖合へ発展してきた経緯がある。
沖縄本島で3000メートル級の滑走路を持つ民間空港は那覇空港しかない。日米両政府と沖縄県の思惑が交錯し、普天間返還に絡む米軍のアクセス権として火種となりつつある。
文/横山渉 内外タイムス





