平沢勝栄衆院議員インタビュー(第2回)勝負事が好きなエリート官僚が決断した“人生の大勝負”
当選11回を誇る平沢勝栄衆院議員(81)は、言わずと知れたギャンブラー。警察庁時代、日本国大使館の一等書記官としてイギリスに赴任した当時はカジノに明け暮れた逸話を持つ。
その後も後藤田正晴官房長官の秘書官となり、警視庁防犯部長や岡山県警本部長などを歴任したが、1996年に衆院選出馬を決断。内外タイムスの単独インタビュー第2回は、警察庁時代から政治家に転身するまでの経緯や思いを聞いた。
平沢勝栄衆院議員インタビュー(第1回)丸紅に就職予定も学生運動の影響で警察庁へ
イギリス在住時代「カジノは嫌というほどやりました」
1968年、東京大学卒業を控えていた平沢氏は、大手商社の丸紅に就職するつもりだったが、当時盛んだった学生運動を目の当たりにして翻意。治安維持の必要性を痛感し、卒業直前に警察庁入庁を決めた。
警察庁に入ってからは1971年に米国デューク大学大学院に留学、1980年には在イギリス日本国大使館の一等書記官を務めた。
「イギリスには3年いました。当時の日本大使館はカジノの隣にあったんです。外出から戻ると、まっすぐ帰らないでカジノに入ることもよくありました。カジノでは軽食が無料で、サンドイッチやアイスクリームなどを食べて、コーヒーを飲んでお昼を済ませることができた。無料だ。長くやってると職員の目が光ることもありますが、軽く飲んで食べてプレーしないで帰ることは全く自由で、むしろ歓迎されていたと思います」
元々、勝負事が好きだった。カジノについて語る口調は次第に熱を帯びていく。
「カジノは負けても面白い。それに勉強にもなるんですよ。確かドストエフスキーの本に、この世の中いろんな楽しみがあるけども、カジノほど楽しいものはないって書いてあった。これは世界共通といえます」
政治家となった2008年、パチンコ業界健全化のために「遊技業等の営業の健全化に関するプロジェクト会議」を立ち上げたのも、そんな性分と無関係ではないだろう。
「パチンコは本当に楽しいものです。上皇様の手術をされた天野篤先生は、高校を卒業して浪人されていた時にパチンコを頻繁にやっていたけど、それが手術の時に役立っているとおっしゃっている。これこそけがの功名でしょうが、何事もプラスとマイナスがある」

当然ながらカジノを含む英国型統合型リゾートの誘致には賛成だ。2025年に万博が開催された大阪・夢洲に2030年秋の開業を目指して整備が進んでいる。要は節度の問題で、一定の額を超えて負けた人は、その日はそれ以上のプレーはできないなど何らかの規制を設ける必要はあるだろう。
「カジノは世界で百数十カ国にあると思います。外国で遊べるからいいじゃないかという人がいるんですけど、外国でやることによって税金はみんな持っていかれる。日本にとって大きな損失です。いずれにしろ、最終的には個人の責任です」
ギャンブル依存症対策などトラブルを未然に防ぐ方策を進めつつ、経済的なメリットも享受できるようにすべきだと強調する。それはキャッシュレス化へ進みつつあるパチンコ業界も同じだろう。
「外国から来るお客さんは、確か韓国の場合でも8割から9割がカードでやってるんです。パチンコは景品交換所で(強盗などの)事件が起きますが、キャッシュレス化でそれも解決できるでしょう。お店は脱税もできないし、安心ですよ。キャッシュレス化は時代の流れだと思います。ファンの方には、あまりお金を使いすぎないようにすればよい。例えば、一定の額を超えて負けた人はその日のプレーは終わりにしたらどうか」
後藤田正晴氏の秘書官に
話を警察庁時代に戻そう。1985年には後藤田正晴内閣官房長官の秘書官となり、薫陶を受けた。当インタビューの第1回で「この人となら一生懸命仕事したい、この人とならいつまででもやっててもいいとなるような素晴らしい人なんです」と力説したほどほれ抜いた人物だった。
その後も警視庁防犯部長や岡山県警本部長などを歴任。1994年から防衛庁に出向し、防衛庁長官官房審議官などを務めた。エリートコースを歩んでいたはずの平沢氏はしかし、1996年に衆院選出馬を決断する。勝負事が好きな平沢氏にとって、人生の中でも大勝負だっただろう。

「はっきり言いましたよ。今度、選挙を考えてますので辞めさせていただきますと。防衛庁に出ていて警察にまだ戻っていない段階で辞めました」
自由民主党公認候補として出馬した東京17区には、後に公明党代表となる新進党の山口那津男氏がいたが、見事に初当選。政治家として第二の人生がスタートした。
インタビュー・文/請川公一 内外タイムス編集部
《プロフィール》
平沢勝栄(ひらさわ・かつえい)1945年9月4日、岐阜県大野郡白川村生まれ。東京大学法学部卒業後、警察庁に入庁。外務省在英国日本国大使館一等書記官、内閣官房長官秘書官、岡山県警察本部長、警察庁長官官房審議官、防衛庁長官官房審議官などを歴任。1996年、衆院選に東京17区から自民党公認で出馬し初当選。以降、連続当選11回。菅義偉内閣で復興大臣、福島原発事故再生総括担当大臣を務めた。






