国際興業創業者一族 小佐野匠インタビュー(第4回)骨肉の612億円訴訟 サーベラス撤退後、隆正氏らを相手取って損害賠償請求
国際興業側が資産売却などで現金資産を拡大させたことから、2014年2月、保有していた全株式(55%)をサーベラスから約1000億〜1400億円規模で買い戻すことで合意する。この国際興業の株式売却により、サーベラスの日本における大型投資案件はほぼ解消されることになった。大きな野望を胸に秘め入社した国際興業だが、半年ほどで国際興業エンタープライズ株式会社に出向となる。役職は業務部長。それまで存在すらしなかった、一体何をするのか分からない閑職だった。
国際興業創業者一族 小佐野匠インタビュー(第3回)経営危機の国際興業をサーベラスが買収 相続した15億円がゼロに、株式もすべて紙くずに から続く。
「左遷ですよ、子会社に。2014年2月7日にサーベラスがEXIT(保有株式を売却し、投資資金を回収する出口戦略)しまして。だから、その日のうちに左遷ですね。サーベラスが出ていった瞬間に、私は社内のデータベースなど情報を遮断されました。私と小佐野隆正氏がめちゃくちゃ仲悪いということは、当然みんな知っていることですから。
それでエンタープライズの業務部長って、正直何もやることない仕事でした。1日のうちに午前の終わりと午後の終わりに1回ずつ、部署が出す請求書の紙4~5枚に角印を押すだけの仕事です。あとは何もないです。だから1日中ネットサーフィンしているか、新聞を読んでいるだけです。
エンタープライズは、最初は本社の経営企画部の隣にあったので僕の周りにはいきなり高い壁を突貫工事で作られましたね。情報遮断と社員の皆さんとの交流を断ち切らせたかったのでしょうね。さらにその後、歩いて2~3分の別のビルに移されました。完全に本社ビルに私が出入りすることがないようにってことでしょうね。
高裁判決で負けた日に国際興業に退職願を提出

でも、その頃そんな状態だったから、ありがたかったのは結構レコフの頃のお客さんから連絡が来て、「M&Aの手伝いしてくれ」とか言われていたんですよ。個人で手伝ったりしていたら、正直会社の給料より、そっちの方がもうかるんです。だから『これ、意外と1人でやっていけるな』って、そこで悟りを得たんですよ」
サーベラス撤退直後、2014年5月12日付、匠氏ら親族はサーベラス傘下に入った際の減増資をめぐり、隆正氏らを相手取って110億円の損害賠償請求を起こした。訴額の大きさから印紙代だけで1700万円という大規模の訴訟だった。
「最初が110億円です。要は2004年の10月28日が、その不法行為の起点だっていうことで、110億円で起こして。訴訟を起こしたら、その後、意外と証拠がいろいろと集まったんですよ。これはもう徹底的にやろうって話になって、10年の時効となってしまう直前のタイミングで請求拡張ということで612億円の訴訟になった。一審の印紙代は結果6700万円です。
2014年の5月から、最終的に終わったのが2022年ですね。何月だったか忘れたけれど。最高裁で終わったんだけれど、実質、高裁判決で負けた2021年の11月ですね。もうそこで私の中ではほぼ終わりでした。だから私はその高裁判決が出た日に国際興業に退職願を出して、会社を辞めました」
骨肉の612億円訴訟。実質の判決である高裁判決まで6年かかった。匠氏の訴えを認めなかった高裁判決について、どのように受け止めたのだろうか。
「最後、1億円ぐらい取れればいいかな」

「地裁判決は、すごく悩んで考えてくれたと思う。地裁判決を書く1人前の裁判長は、かなりこちらに良い心証を持ってくれていたのは間違いないです。和解協議でなんとか終わらせようと、向こうのことを相当説得しようとしてくれていた。
ある和解期日、私たちは2時間ぐらい裁判所の弁論準備室前で待たされて。つまり、それだけ裁判官が向こう側を説得してくれているわけですよ。2014年に裁判が始まって、地裁判決が出たのが2020年ですから、地裁だけで6年かかっているわけですよ。証人尋問があったのがコロナ前の19年の冬だから、地裁自体もかなりこちらの言い分も認めながら進んでいった。ただ、地裁判決は簡単に言うと『一部しか請求は認められないよ。自分たちは、ここはあんまり判断すべきことじゃないから、高裁で判断してもらってね』みたいな逃げ方をされてしまったんですよね。
高裁は最初、充実した審議のためということで、お互いに分厚い準備書面を3、4往復させました。それで1回目がかなり大きな法廷で開かれたのですが、即日結審になって。うちの弁護士たちとは、おそらく双方の控訴棄却で、一審判決そのままだろうってくらいに考えていたのが正直な見立てでした。そうしたら、一審判決で勝った分までも取り消されたので、その当日は相当落ち込みましたね」
高裁判決を受けて1、2時間はぼう然としていたという匠氏。ただ高裁判決後、最高裁に上告する。当時の経緯をこのように語る。
「私も裁判の本とか相当読んでいましたから、こっちにとってそんないい判決になることはないっていうのは自分の中ではありましたよ。『双方控訴棄却か。大体そんなもんだろうな』ぐらいで。その日も『最後、1億円ぐらい向こうから取れればいいかな』くらいのイメージでいたんで」
高裁判決が出たその日のうちに担当弁護士たちから、「なんとか最高裁までやらせてくれ」という要望を受ける。乗りかかった船ということで、匠氏の中では終わった訴訟だが、弁護士に一任した。
勝ち目はないと分かっていた最高裁上告
「最高裁って民事訴訟では事実認定がもうされないんで、高裁の事実認定を元にしか判断しないんです。そうなると高裁の事実認定がめちゃくちゃに間違っている中で、勝ち目はないですから。
だから正直、自分の中でほぼ無意味なことだとは思ったのですが、まあ弁護士がやりましょうって言ってくれるから、訴額1億円だったら印紙代は50万円とか60万円くらいだったんで。それぐらいなら最後までお付き合いしますよという話をして、やってもらいました。そこからまあ1年ぐらいかかったわけです。自分の中では、十数名の弁護士さんたちが本当に一生懸命やってくれているから『やれるとこまでやってみましょうね』くらいの心持ちでしたね」
2019年には、かいじキャピタル株式会社、2023年にかいじ人材株式会社を設立した。それぞれM&Aと外国人材紹介という2つの事業を柱に据えた事業を展開している。
「かいじキャピタルは2019年に作った会社です。これは当時、地裁で裁判長が和解させようとかなり頑張ってくれていたんですよ。和解っていうのは、当然、私がなんらかの形で社長になれるよう模索して、そうなると国際興業の株式が必要になる。実際地裁の時に裁判所から出てきた和解案も、向こうが一定の株式をこちらに渡すっていうのが和解案として出てきたんです。
その受け皿になるため、和解できた時にもともとは国際興業株式の受け皿に、事業承継税制を使うために作った会社なんです。当時はまだ祖母が94歳で健在でしたので、受け取ってすぐに祖母が他界してしまうと、相続税でまたとんでもないことになってしまう。だから、事業承継税制をうまく使える形を考えて、私が100%出資している会社ではあるんだけど、祖母と私の2名を代表取締役にした会社にしたんです。
私が100%株主ですし、それでM&Aの仕事がだんだん増えてきた中で、信用面でも税制的にも個人事業主で受けるより、自分の会社として受けた方が便利なんです。だから私がM&Aの仕事受ける時の受け皿会社としてあったんですよ」
国際興業創業者一族 小佐野匠インタビュー(第5回)「隆正氏はこの世の中で一番敵対的な人間」 小佐野ファミリーの現在と国際興業への思い へ続く。20日18時公開。

《プロフィール》
小佐野匠(おさの・しょう)1981年生まれ。東京都出身。国際興業株式会社の創設者、小佐野賢治氏の実弟で、帝国ホテル会長や国際興業社長を務めた政邦氏の孫。賢治氏は戸籍上は伯父にあたる。1994年慶應義塾幼稚舎卒業、1997年慶應義塾普通部卒業、2000年慶應義塾湘南藤沢高等部卒業、2004年慶應義塾大学経済学部経済学科卒業、2006年3月早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際経営学専攻MBAコース修了。2006年株式会社レコフ入社。2013年国際興業株式会社経営企画部担当部長、2014年国際興業エンタープライズ株式会社へ業務部長として出向。2019年かいじキャピタル株式会社、2023年にかいじ人材株式会社を設立、代表取締役を務める。






