フランクリンはDNAのX線画像「Photograph 51」の完全性を認識していた 新分析が「らせん構造を理解できなかった」との通説を見直す
DNAの構造解明に重要な役割を果たしたロザリンド・フランクリンは、有名なX線画像「Photograph 51」が示す意味を十分に理解していなかった――。ノーベル賞の発表が続く10月、科学史に残る発見をめぐる新たな研究が発表された。長年広まってきたこの見方を見直す研究を、米Science History Instituteなどの研究グループが発表した。
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研究成果は2026年10月5日、科学史専門誌「Journal of the History of Biology」に掲載された(https://doi.org/10.1007/s10739-026-09866-7)。研究チームは、フランクリンが残した実験ノートや写真、当時使われた撮影装置を詳しく調べた。
その結果、彼女はPhotograph 51を撮る前から、DNAがらせん状の構造を持つことを認識し、その形を示す重要な数値まで計算していたと結論づけた。
DNA研究の歴史では、1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重らせんモデルを発表したことが大きな転機となった。同年4月25日付の英科学誌「Nature」には、モーリス・ウィルキンスらの論文と、フランクリン、大学院生レイモンド・ゴスリングによる論文も掲載された。
ワトソンとクリックは、フランクリンらが得たX線データなども手掛かりにモデルを組み立てた。その後、ワトソン、クリック、ウィルキンスの3人は1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞したが、フランクリンは1958年に亡くなっていた。
さらに1968年に出版されたワトソンの回想録「二重らせん」によって、「フランクリンは自分のデータの意味を見抜けなかった」というイメージが広く定着していった。
「Photograph 51」の前にらせんを読み取る
今回の研究で鍵となったのは、有名なPhotograph 51ではなく、その直前に撮られた「Photograph 49」だった。フランクリンとゴスリングは1952年5月、DNAにX線を当ててできる模様をPhotograph 49として記録した。フランクリンは現像したその日のうちに詳しい測定を始め、DNAの構造が34オングストロームごとに繰り返されることを割り出した。
さらに、当時知られていた塩基の間隔をもとに、らせん1回転に10層の塩基が並ぶことを計算していた。後にワトソンとクリックが示したDNAモデルでも重要になる数値だった。
Photograph 49には欠点があった。撮影装置の位置がずれたため、模様の一部が切れていたのだ。解析には十分使えたものの、研究成果を示す写真としては不完全だった。
そこでフランクリンは、同じDNA試料を使い、同じ条件のまま装置の位置を直して撮影し直した。これがPhotograph 51だった。実験ノートには、Photograph 49で切れていた部分まで写すことが、撮影を始める前から記されている。
研究チームによれば、Photograph 49は新しい事実を調べるための「研究用の画像」で、Photograph 51は、すでに得られた結果をより鮮明に示すための画像だった。つまりPhotograph 51は、何が写るか分からないまま撮られた偶然の一枚ではなく、フランクリンが結果を理解した上で意図的に撮り直したものだった。
「意味を見抜けなかった」という通説を再検証
Photograph 51をめぐるイメージに大きな影響を与えたのが、ワトソンの回想録だ。ワトソンは、Photograph 51を見た瞬間にDNAがらせん構造だと理解したと記した。一方で、フランクリン自身はその意味を十分に理解していなかったように描かれた。この見方は、その後の科学史や報道にも広く引き継がれた。
今回の研究は、その物語と実験記録が食い違うと指摘する。フランクリンがPhotograph 51について実験ノートに詳しい分析を書かなかったのも、重要性に気づかなかったからではない。Photograph 49ですでに詳しく調べ、Photograph 51で何が写るかを分かった上で撮影していたため、改めて同じ分析を書き残す必要がなかったと研究チームはみている。
ただ、フランクリンがワトソンとクリックより先にDNAの完全な二重らせんモデルを完成させていた、という研究ではない。彼女は1953年2月の時点でも、らせんが2本の鎖からできているかを検討していた。今回見直されているのは、「フランクリンは自分の写真が示すらせん構造を理解できなかった」という評価だ。
ノーベル賞の季節には、科学史を変えた発見と、それを成し遂げた人物に改めて光が当たる。だが、大発見は一人のひらめきだけで生まれるとは限らない。実験を設計し、データを読み、結果を確かめ、他の研究者にも伝わる形に仕上げる仕事も発見の一部だ。
70年以上前の実験ノートと、一枚の不完全な写真を読み直した今回の研究は、DNA二重らせん発見の歴史とともに、科学者の功績が後世にどう語り継がれるのかも問い直している。
文/吉田光男 内外タイムス






