パソコンは売れないのに、グラフィックボードだけが売れている——AIがPCに、“20年ぶりのキラーユースケース”を与えた
パソコンのメモリーが、1年で3倍以上になった。
パソコン専門店大手のドスパラでゲーミングPCを注文すると、メモリーを16GBから32GBに増やすだけで、いま5万6100円が上乗せされる。64GBなら15万4000円。1年前なら1万円台で済んだ作業である。
理由は単純で、AIのデータセンターが世界中のメモリーを買い占めたからだ。メモリーを作れる会社は世界に3社しかなく、その3社が利益率の高いAI向けに生産を寄せた。
米中AI戦争の行方とその周りで稼ぐ国々 半導体は港で止まる、AIモデルは止まらない
部品が上がれば、パソコンの値段も上がる。上がれば売れなくなる。実際、同じ値上げを食らったスマートフォンは、2026年に統計開始以来最大の落ち込みを記録している。パソコンも売れていない。
ところが、パソコンの中でいちばん高い部品だけが、売れている。グラフィックボードである。画面の描画を専門に受け持つ部品で、10万円を超えるものも珍しくない。
この部品も安くはなっていない。基板に載る専用メモリー(VRAM)が同じ高騰の直撃を受け、主流モデルの実売価格はこの9か月で4割上がった。
つまり、4割高くなったものが、前の年より多く売れている。
4台に3台が、グラフィックボード付きになった
市場全体を見れば、パソコンは崩れている。米国の市場調査会社IDCによれば、2026年4〜6月期の世界出荷は前年同期比4.9%減の6820万台。2年以上ぶりの前年割れである。日本はもっと激しく、調査会社のMM総研は2026年度の国内出荷を前年度比37.8%減と予測している。前年度の1806万台が1123万台になる。1年で700万台近くが消える計算だ。
ところが同じ時期、グラフィックボードの出荷は前年同期比28.3%増えている。パソコン向け半導体を長年追ってきた米国の調査会社Jon Peddie Researchの集計では、2026年1〜3月期に1180万台。
同じ四半期、デスクトップPC本体の出荷は25%減っている。それでいて、グラフィックボードを積んだデスクトップの比率は76%まで上がった。前の四半期から33%の跳ね上がりである。安い事務用が売れなくなり、高い計算用だけが残った。
跳ね上がった原因は「ゲーム」ではない
高いグラフィックボードが売れているなら、まずゲームを疑う。過去はいつもそうだったからだ。当時の最高画質をうたった「Crysis」が出た年も、「Cyberpunk 2077」が出た年も、世界中のゲーマーが買い替えに走った。
ところが2026年上半期、パソコン向けゲームの最大手配信サービス「Steam」で最大のヒットになったのは「Slay the Spire 2」である。カードを集めて戦うゲームで、同時接続50万人。数年前のノートパソコンでも動く。前年10月に出た大作射撃ゲーム「Battlefield 6」が初日に74万人だったから、規模でも及んでいない。
グラフィックボードを買い替えないと遊べないゲームは、2026年に一本も出ていない。
ゲーム機の側は、もっとはっきりしている。グラフィックボードの二大メーカーの一角、米AMDの2026年4〜6月期決算で、ゲーム部門の売上は前年同期比31%減の7億7900万ドルだった。同社が減少要因に挙げたのは、プレイステーション5やXbox向けに供給しているチップの落ち込みである。実際、同じ四半期のPS5の販売台数は36%減っている。
ところが同じ決算資料には、上半期のRadeon——同社が作るパソコン用グラフィックボードのブランドだ——の販売が増え、落ち込みを一部相殺したと明記されている。
ゲーム専用機のチップは3割減り、パソコン用のグラフィックボードは増えた。同じ会社の、同じ決算の中で。
ここが要点である。パソコンというハードには、この20年、ゲーム以外に高い性能を必要とする理由がなかった。表計算も、メールも、動画の再生も、10年前のPCで足りる。買い替えを引っ張っていたのはゲームだけであり、そのゲームが2026年は引っ張っていない。
にもかかわらず、値上がりした高いPCが売れている。そのハードを買う理由になるほどの用途が、ゲーム以外に現れた。
我慢できる客と、我慢できない客
なぜ値上げが効かないのか。購買層の種類が違うからである。
ゲームのために買う人は、値段が上がれば我慢ができる。一つ下のグレードにしてもいいし、画質の設定を落としてもいい。それでもゲームは動く。だから高くなれば買い控える。
AIを動かすために買う人は、我慢ができない。
AIのモデルには、これだけのVRAMがなければ動かないという決まった容量がある。それをわずかでも下回ると、モデルは遅くなるのではなく、そもそも起動しない。ゼロか1なのだ。
ここで、AIの側に起きた変化が効いてくる。
ChatGPTのようなAIは、クラウドと呼ばれる遠くのサーバーで動いていて、利用者は指示を送って結果を受け取るだけだった。ところがここ2年ほどで、AIの中身そのもの——重みと呼ばれる数十GBのファイル——を無料で配る会社が現れた。オープンモデル、あるいはローカル生成AIと呼ばれる。ダウンロードして自分のパソコンに置けば、ネットにつながっていなくても動く。
2026年8月、中国のネット大手アリババが「Qwen3.8」の中身を無料で公開すると表明した。自社の最上位モデルまで配るのは初めてである。これまでクラウド越しにしか触れなかった最前線のAIが、個人の机の上で動くようになった。同時に発表された小型版のQwen3.8-27Bは、およそ17GBのVRAMがあれば個人のパソコンで動くとされている。
17GBという数字が意味するのは、16GBのカードでは足りないということだ。1GB足りなければ、そのモデルは動かない。24GBが要る。
いくら値上がりしても、必要な容量のカードを買うしかない。
この違いは統計に出ている。Steamを運営する米Valveが毎月公開している利用者のパソコン構成調査で、2026年7月、VRAM16GBのグラフィックボードが初めて8GBを追い抜いた。ここまでは、メーカーが16GBを標準構成にした結果とも読める。
ところが、ゲームでは使いきれない24GBの層が5.43%まで増え、パソコン本体のメモリーも64GBの層が伸び続けている。64GBを必須条件にするゲームは、少なくとも一般的ではない。
その計算量を必要としているのは、映像である
そして、これは文章を扱うAIだけの話ではない。
チャットを1回投げて返事をもらうくらいなら、クラウドに任せておけばいい。料金は無視できる水準だ。文章のやり取りだけでは、10万円のカードを買い足す動機になりにくい。
桁が変わるのは映像だ。10秒の動画を1本生成する計算量は、文章とは比較にならない。しかも映像の仕事は1本では終わらない。広告のクリエーティブは7日から10日で飽きられる。10本の切り口を試し、5つの市場に作り分ければ、それだけで数十本になる。クラウドの従量課金でこれをやると、請求書のほうが先に破綻する。
手元のグラフィックボードなら、かかるのは電気代だけだ。一晩かけて動かして、朝に結果を見ればいい。
そして2026年の夏、映像を作るAIにもオープンモデルがそろった。
7月31日、上海のAI企業MiniMaxが「MiniMax H3」を出した。映像とステレオ音声を一度に生成するモデルである。8月3日に中身のファイルが無料公開された。8月11日には、写真加工アプリで知られるイスラエルのLightricksから独立したLTXが「LTX 2.5」を出している。こちらも中身が公開されており、年商1000万ドル未満の企業は無償で使える。
この12日間だけで、業界が注目する動画生成モデルが三つ出た。うち二つは、中身が配られている。
LTXは前の版で、データを圧縮した軽量版を使ってようやく16GBから24GBの個人向けカードで回せる、と案内していた。フル品質なら32GB以上が要る。文章のモデルより、はっきり一段重い。
24GB。Steamの調査で伸びていた層と、同じ数字である。クラウドの高額な従量課金でしかできなかった映像生成が、自分の机の上に降りてきた。手元で動かす動機は、機密でも通信環境でもない。量である。
パソコンの仕事が、20年ぶりに変わった
それでも、意味は変わり始めている。
市場が4割縮むと言われている国で、この分野の会社だけが伸びている。パソコンメーカー大手のマウスコンピューターなどを傘下に持つMCJの2026年3月期は、売上高2243億円、営業利益211億円。いずれも過去最高だった。
Steamの同時接続者数も、2026年3月に4231万人という過去最高を記録した。2020年の巣ごもり需要のピークが2480万人だから、7割増である。動いているパソコンの数そのものが増えている。
この20年、パソコンの仕事は書類を作ることだった。表計算を開き、メールを打ち、資料を印刷する。その大半はスマホに移り、パソコンメーカーはずっと守勢だった。高い性能を必要とする理由は、ゲームしかなかった。
いま、その仕事が変わりつつある。数十GBのモデルを読み込ませ、一晩かけて映像を吐き出させる。クラウドの請求書ではなく、自分の電気代で計算を回す。パーソナルコンピューターという名前が、久しぶりに額面どおりの意味になる。
スマホがPCを不要にした。その同じ机の上へ、AIがPCを呼び戻している。






