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トム・クルーズ最新作「DIGGER/ディガー」は、イメージチェンジでも、体力の限界でもない、メタ視点による自身と演技の混線によって獲得した新境地

ハリウッドを代表する名優トム・クルーズが主演する最新作「DIGGER/ディガー」が、10月9日から公開される。

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トム・クルーズといえば、「トップガン」シリーズや「ミッション:インポッシブル」シリーズに代表されるアクションスターを思い浮かべる人が多いだろう。ところが本作で彼が演じるのは、石油採掘会社を率いる、傲慢(ごうまん)で強欲な権力者ディガー・ロックウェルである。大金持ちでありながら、皮肉屋で、下品な言葉を平然と吐き出す、どこかさえない初老の男の姿は、これまでトム・クルーズがスクリーン上で体現してきた身体から、あまりにも遠く見えるだろう。

しかし、これは単純な「イメージの刷新」ではない。むしろ「DIGGER/ディガー」は、トム・クルーズという俳優が、これまで何を演じてきたのかを、自ら振り返るような映画なのである。トム・クルーズ自身、この役を「演じられるようになるまで40年かかった」と語っているが、その言葉どおり、本作は彼のキャリアそのものを映し返す、鏡のような一作なのである。

そもそも、トム・クルーズのキャリアは、現在知られているアクションスター像だけから始まったわけではない。フランコ・ゼフィレッリ監督の「エンドレス・ラブ」でデビューした彼は、「卒業白書」のみずみずしい演技で注目を集めた後、「7月4日に生まれて」のような社会派作品や、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」のような作家性の強い作品にも出演してきた。

大きな転機となったのが、「トップガン」の世界的な成功と、その後「ミッション:インポッシブル」シリーズで自らプロデューサーを務めるようになったことだろう。ここから、危険なスタントを自らこなし、アクションを肉体美と運動によって披露する「トム・クルーズ」というスター像が確立されていく。

トム・クルーズは自己目的化していた

2010年代以降の彼は、「ミッション:インポッシブル」に加え、「アウトロー」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」など、アクション映画への出演を重ねてきた。つまり、彼の身体そのものが、ひとつの映画的スペクタクルになってきたと言える。

そうしたことを踏まえると、今作「DIGGER/ディガー」における、この初老の男の肉体は奇妙に映る。そこにいるのは、超人的な身体能力を見せるトムではない。欲望にまみれ、嘲笑し、他人と下品な言葉を交わす、どこか卑俗な男である。

ところが、映画を見進めると、この人物像そのものが揺らぎ始める。ここから先はあえて詳述しないが、ディガーという人物には「演じられているもの」と「演じているもの」の二重性が仕掛けられている。

この構造は、今作のメガホンを取ったイニャリトゥの映画群に一貫している。「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」や「バルド、偽りの記録と一握りの真実」においても、現実と虚構、俳優と役柄、人生と演技の境界は、絶えず揺さぶられてきた。「DIGGER/ディガー」もまた、演技する人間とは何者なのかを問い返す作品という点で一貫している。

その意味で本作から想起される映画の一つが、劇中でもポスターとして登場する、ジョン・カサヴェテス監督の「オープニング・ナイト」だろう。この作品は、ある出来事を契機として、舞台上の役柄と俳優自身の人生が混線し、「演じる」とは何かが問われる映画である。「DIGGER/ディガー」にもまた、演技する身体と、その身体を演じる身体との境界が崩れていく構造がある。

だからこそ、今作でトム・クルーズが演じているのは、単なる新しいキャラクターではない。彼が演じているのは、ある意味で「トム・クルーズ」そのものなのだ。トム・クルーズは、アクションスターとして肥大化した自分の身体をいったん脱構築し、そこに別の人物をまとわせ、さらにその人物を演じることとは何かを考察している。その入れ子構造によって、トムは自らのスターイメージを客体化することに成功する。

「DIGGER/ディガー」が示す新境地とは、トム・クルーズがアクションスターをやめて「演技派俳優」になることではなく、これまで「トム・クルーズ」を演じてきた自分自身を、もう一度演じ直すことである。アクションによって自らの身体を消費してきたスターが、今度は「演じる」という行為そのものを映画の主題にする。そのとき、トム・クルーズというスターは、ようやく自分自身を――これまで「トム・クルーズ」という役を生き続けてきた、一人の俳優を――スクリーンの上で演じ直すことができるのだ。

文/小城大知 内外タイムス

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