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【福田淳の対談闊歩】齋藤健(第2回)エリートキャリアを捨てて出馬した選挙でまさかの落選 生活費に困窮して妻は倒れ、子どもはいじめに遭う

経済産業省の官僚として着実にキャリアを積んでいたが、その輝かしい経歴をなげうち、2006年衆議院千葉7区の補欠選挙で自民党の公募に応募。選挙に出馬する。自民党への風当たりは強かったが、それでも当選すると想定していた選挙だった。選挙活動に退職金をすべてつぎ込み、まさに人生をかけて必死に闘った。だが結果は落選。生活は困窮を極める。暗憺(あんたん)たる状況の中、一本の電話が齋藤氏のもとにかかってくる。

福田 政治の世界では、ショート動画が投票結果を左右するということが起きていますね。東京都知事選(2024年)以降、顕著になっているわけですけれど。

齋藤 これは非常に由々しき事態だと思いますね。みんな時間が長いものは見ないという傾向になってきていて。だけど、本当に大事なことって一言では語れない。論争があるようなものは一言では語れないですよ。私はポッドキャスト(さいとう犬チャンネル)をやっているんですが、だいたい30分くらいの長さですね。

福田 分かりやすくていいですよね、齋藤先生のポッドキャストは。

齋藤 逆に「短いならやらない、見たくない人は見なくて結構です」っていうぐらいの気概がないと。中途半端に再生回数だけ稼ぐ目的ではないから、しっかり聞いてほしいですね。

福田 1983年に通産省に入り、日米自動車交渉やエネルギー政策の最前線を歩まれました。国の産業を動かす官僚の立場から、これは政治でしか変えられないと痛感されたことがあったんでしょうか?

齋藤 通産省、今は経産省ですが、そこにいれば当然、政治との接点というものが出てきます。大臣秘書官もやっていたので、カバンを持って一日中ずっと大臣に同行するということもやってきました。その中で、やっぱり日本はこれから大変な局面になるという実感を持ちましたね。政治の重要性っていうものもだんだん分かってきた。

しかし、これから日本が大変になってくる中で、本当に今の政治で乗り越えることができるんだろうかと、実際に肌で触れる中で感じるようになってきたんですね。

私はいいことを“言う”よりも、いいことを“やる”ほうに価値を感じる人間です。だから、出るなら絶対に自民党じゃなきゃダメだと。一つでも物を前進させる。やるほうじゃなきゃダメだと思っていたんです。でも、自民党ってなかなかポストが空かないですよね、選挙区が。だから、もう半ば諦めていたところにチャンスがめぐってきて、やってみようと思ったんです。

優秀な日本の若者に期待

福田 官僚としての仕事の限界を感じながら、政治の方がより大きな立場で世の中を変えられるだろうと。

齋藤 そうです。より大きな仕事で。日本って今、そういう時代だと思ったんです。

福田 失われた30年なんてよく言われますけど、これからの日本は少しは良くなるのでしょうか?

齋藤 私は若い人に期待しています。日本の若者は間違いなく優秀です。日本の若者がチャレンジして、そして大人が全力でサポートしていけば、相当可能性があると思っています。

福田 本当に優秀ですよね。こんなにいろいろなイノベーションを起こすアイデアにあふれた国ってないですよね。ただ、やっぱりスタートアップが少なかったりして、マーケット改善のようなものがあれば心強いですね。

齋藤 本当ですね。だいぶ変わってくると思いますけどね。スタートアップは伸びますよ、これから。

福田 2006年の補選で敗れ、2009年の総選挙で初当選ということですが、安定した官僚の椅子を捨て、地盤も看板もない中で選挙を戦いましたね。

齋藤 (補選で)落選をしました。でも、私は当選できると思っていた選挙だったんですね。だから落選のことは考えてなかったし、退職金まで全部使ってしまった。当然、仕事も失いましたよね。子どもの学費がなくなって、家内があまりに大変だったもので、倒れて救急車で運ばれるということもあった。子どもは学校でひどいいじめに遭いました。

全国的にテレビでずいぶん報道されて、揶揄もされました。そういう状況において、もう一回自分がやるべきかどうかというのは、当然考えますよね。それで悩んでいる時に、ある人から電話があったんです。その人がこう言ったんですよ。「もう一回やれ」と。

「これから日本は大変厳しい時代になるだろう。その時に君みたいな奴がやらなきゃダメなんだ。俺は君を心配してるんじゃない、国を心配してるんだ」と乱暴な電話がありましたね。

再起を決めた一本の電話

福田 それは実業界の方?

齋藤 その系列です。それで私はその時に目が覚めたんです。選挙ってあまりに大変だったので、見失っていたなと。「よし、自分のためならもう二度と嫌だけど、国のためにもう一回だけやろう」と本当に決心しました。決心すればね、あとは体育会系の出身ですから。

それまでも国のためと思っていたけど、本気じゃなかった。自分がすべてを失った中で、本気で命懸けでもう一回やらなければという気持ちになったのは、やっぱりその電話だった。私は天の声じゃないかと思ったんだよね。だけど選挙がなくてさ。3年4カ月浪人しました(笑)。

仕事しないからお金もなくて。お金がなくなると支援者のところ行って、「お金ください」って物乞いみたいなことをやったこともあります。やるしかない。だって仕事したらさ、選挙に向けた活動ができないんだから。

福田 しかも3年と、まあまあ長い期間。

齋藤 長い。1年ぐらいだったら頑張れるけれど、3年は厳しい。先も見えないし。

福田 それでも支援してくださる方はいたわけですね。

齋藤 その人もそれまで政治家にそんな支援をしたことがなかったんだけど、「齋藤だったら」っていうことで寄付してくれた。もちろん、政治資金規正法に基づいて処理していますけど、そういった人の寄付がなければやっていけなかったわけです。

だから、今企業献金はいけないって一般論で言われても、ちょっと全部一緒にしないでくれって思う。

福田 いや、本当そうですよ。だって、全く先の見えない安定のないお仕事ですから。

齋藤 人間は弱いもので、後押しっていうものがあるとないとでは、全然違うと思うんだよね。

福田 よく分かります。

自民党の新人当選者は4人。自分、元総理の息子、元市長2人という厳しい選挙

齋藤 そうやって3年間は過ごしたんだけど、その間、自民党はどんどんダメになっていくわけですよ。要するに、政権交代した時の選挙を迎えるわけですよ。週刊誌によく当落予想が出るでしょ。どの週刊誌も全部落選の予想で、新人なんか通る余地ない。支援者も「いつも黒三角(マーク)ですね」とか、「応援しても無駄なんじゃないか」とか言われて。

それで最後、選挙を迎える直前にスタッフに言ったんだよね。「一人の人間が命を懸けるということは、こういうことだということをみんなに見せるから、付いてきてくれ」って。ハンドボールのキャプテンと一緒なんだよね(笑)。

そのおかげか、2万票の差をつけられたんだけれど、なんとか比例復活で初当選ができて。その時、新人で当選するのは厳しい選挙だった。私を含めて4人だけ。自民党の歴史の中で、新人当選が4人しかいないというのは前代未聞ではないかな。

福田 すごい、その中に入っていらっしゃるんだ。

齋藤 あと3人はね、1人は総理の息子、小泉(進次郎)氏。もう1人は高岡市長(橘慶一郎氏)で、あとのもう1人は釧路の市長(伊東良孝氏)だった。市長経験者か総理の息子しか当選できない選挙だった。落下傘候補で、選挙的な地盤がない人間が、何とか引っかかった。

福田 それで落選したら、もうちょっとね…。

齋藤 二度続けて落選したら終わりだと思ったからね。僕は何とか拾われた。

【福田淳の対談闊歩】齋藤健(第3回)「やらないリスク」より「やるリスク」を取る人生 農協改革から半導体交渉、書店支援に挑む に続く。22日18時公開予定。

《プロフィール》
齋藤健(さいとう・けん)1959年東京都新宿区生まれ。1983年東京大学経済学部卒。卒業とともに通商産業省(現・経済産業省)に入省。1991年ハーバード大学大学院に留学。1994年通商政策局米州課で日米間の自動車交渉を担当。1999年に深谷隆司通商産業大臣の秘書官、2004年上田清司埼玉県知事の招聘を受け埼玉県副知事に就任。2006年衆議院千葉7区の補欠選挙で自由民主党の公募に応募、出馬するも落選。2009年衆議院議員総選挙の比例南関東ブロックで初当選。2017年第3次安倍第3次改造内閣で初入閣、農林水産大臣に就任。2023年経済産業大臣に就任。2026年2月の衆議院議員総選挙で7選。好きな作家は司馬遼太郎、塩野七生ほか多数。公式YouTubeチャンネル「さいとう犬」を配信中。

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