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【下地幹郎氏独占寄稿】沖縄を前へ進めるために、私は決断した―知事選出馬見送りと、これから果たす責任―

内外タイムスに寄稿する機会をいただき、心から感謝申し上げます。

政治家として、「世界はどうあるべきなのか。日本はどうあるべきなのか。そして、私たちの沖縄はどうあるべきなのか」について、これからこの場をお借りして、その時々の政治課題だけでなく、沖縄の未来、日本の未来について、私自身の考えを率直に書いていきたいと思います。

最初に書かなければならないテーマは決まっています。

沖縄県知事選挙です。

そして何より、私、下地幹郎が一度表明した立候補を見送ったことについて、まず私自身の言葉でお話ししなければならないと思っています。

下地幹郎氏が出馬取りやめ 自民と政策協定、知事選は一騎打ちへ

「立候補を見送る」という決断

立候補を表明した政治家が、その決断を翻すということは、非常に厳しい決断です。

私を信じ、期待し、友人や知人に声をかけてくださった方、仕事や家庭の時間を割いて準備をしてくださった方、「今度こそ下地幹郎に沖縄を任せたい」と言ってくださった方、そうした一人ひとりの顔を思い浮かべ、心から申し訳なく思っています。

「裏切られた」「なぜ最後まで戦わなかったのか」と叱られるのは当然で、政治家として、その批判から逃げるつもりはありません。

実際、「一度出馬を表明した以上、最後まで戦い抜くことが政治家としての筋ではないか」「自分を信じて動いてくれた人たちに、どう説明すればいいのか」「ここで退けば、下地幹郎という政治家自身が終わるかもしれない」と悩みました。

それでも最後に私の背中を押したものは、「沖縄のための政策を前に進める」という一点でした。

政治家の目的は、自分が選挙に出ることでも、議席や立場を守ることでもなく、政治によって県民の暮らしを良くし、沖縄を一歩でも前へ進めることです。

どれだけ立派な演説をしても、どれだけ素晴らしい公約を掲げても、具体的な政策として実現されなければ、県民の暮らしは変わらないのが政治なのです。

復帰54年、沖縄は本当に豊かになったのか

沖縄は1972年の本土復帰から54年を迎え、道路、空港、港湾、学校、病院など、社会基盤は大きく整備された一方で、一人当たり県民所得は今なお全国最低水準にあり、子どもの貧困も深刻です。

2015年度調査で沖縄の子どもの貧困率は29.9%(全国の約2倍)、2026年5月に公表された沖縄県のこども調査を見ると、理想とは異なる進学先を選んだ生徒の66.6%が「進学に必要なお金が心配」と回答し、低所得層では77.4%にまで上がります。

これは、沖縄に生まれた子どもが、家庭の所得によって、自分の夢をあきらめなければならない現実があるということを如実に示しており、私は、これを変えたいのです。

だからこそ私は、今回の知事選挙でも「教育の完全無償化」を大きな政策として掲げていたのです。

鈴木宗男先生との3時間

8月23日、自民党の参議院議員・鈴木宗男先生が沖縄を訪れ、私は約3時間にわたって先生と会談しました。

「ワンチームで県政を奪還しよう」というお話でした。

前述しましたが、私には、私を信じてここまでついてきてくれた支援者がいますから、当然、簡単に決められる話ではありません。

しかし、次に鈴木先生からかけられた言葉が、私の心に刺さりました。

「玉城デニー県政のこの8年間、沖縄県知事と内閣総理大臣が膝を突き合わせ、沖縄の未来について十分に語り合えない状況が続いてきた。この状態が、さらに4年間続いたら沖縄はどうなるのか」

「あなたが訴えている子どもの貧困も、教育の完全無償化も、鉄道も、沖縄だけで完結できるものではない。国と協議し、国を動かし、具体的な政策として実現しなければならない」

この言葉を聞いたとき、私は改めて、「私は何のために政治をしているのか」「自分のためなのか」「沖縄の未来のためなのか」、自分自身に問いかけることになりました。

それでも私は、私を信じてくれた皆さんの顔が浮かび、単に「保守を一本化するから立候補を取りやめてほしい」という話だけでは決断できませんでした。

私が選挙に出ないことで、沖縄に何が残るのか。

私が訴えてきた政策を、どうすれば実現に近づけることができるのか。

出馬を見送る以上、少なくとも沖縄を前へ進める具体的なものを残さなければならないという強い思いだけは譲れませんでした。

そして25日、自民党の鈴木俊一幹事長、西村康稔選挙対策委員長と鈴木宗男先生、下地幹郎の四者で、改めて協議を行い、その結果、4項目の政策について合意したのです。

私にとって、この政策合意は今回の決断そのものです。

4つの政策を、沖縄の未来への約束にする

一つ目は、「沖縄県の子どもの貧困対策予算を300億円確保すること」。

生まれた家庭の所得によって、食事、学習、進学、スポーツ、文化活動、将来の職業まで左右される社会を変えます。

二つ目は、「5年以内に鉄道を着工すること」。

私が衆議院議員時代、初めて沖縄の鉄道の調査費をつけてから16年、もう実行する時期です。

三つ目は、「2030年G7サミットを沖縄県に誘致すること」。

2000年の九州・沖縄サミットから30年、もう一度、世界のリーダーを沖縄に迎え、

世界へ平和のメッセージを発信します。

四つ目は、「米軍普天間飛行場の返還期日を明らかにすること」。

「賛成か反対か」だけを繰り返す政治から卒業し、現実に普天間飛行場がいつ返還されるのかを明確にし、騒音と危険性から宜野湾市民を一日も早く解放しなければなりません。

これは「取引」ではない

この合意は、沖縄を前に進めるための政策です。

私は、「下地幹郎が立候補すること」と「沖縄の政策を前へ進める可能性」を天びんにかけ、そして後者を選びました。

しかし、この決断によって傷ついた支援者がいることは間違いなく、この決断を結果につなげなければならないという責任を、私はこれから背負い続けます。

航路を変えても、目的地は変わらない

一度決めたことを変えず、「最後まで筋を通した」と言うことはできますが、政治における「筋」とは、一度口にしたことを何があっても変えないことでしょうか。

私は違うと思います。

政治家が本当に守らなければならない筋とは、県民との約束を実現し、暮らしを良くすることです。

船が目的地に向かう途中で嵐に遭えば、船長は航路を変えることがあります。

航路を変えることと、目的地を変えることは違います。

私が今回変えたのは、「沖縄を前へ進める」という目的ではなく、その目的にたどり着くための航路です。

もちろん、この航路変更が正しかったかどうかは、今の段階では誰にも分かりません。

それでも、自分自身の思いより、沖縄を前へ進める可能性を選ぶべきだと判断しました。

沖縄を前へ

今回の決断が正しかったのかどうかは、県民の皆さまが判断することです。

今回の決断によって沖縄に何が生まれたのか。

子どもたちの暮らしが変わったのか。

鉄道が動き出したのか。

沖縄の未来が本当に前へ進んだのか。

その答えは、これからの私の仕事で示します。

それが、私を信じてくださった皆さまへの責任であり、立候補を見送った政治家・下地幹郎が果たさなければならない責任だと思っています。

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