• 全国
  • 【あの時、何が】弘中惇一郎弁護士(第1回)日産自動車元会長カルロス・ゴーン氏が逃亡していなければ勝っていた、人質司法の問題点と有罪率99.9%の絶望とは
  • HOME
  • 全国
  • 【あの時、何が】弘中惇一郎弁護士(第1回)日産自動車元会長カルロス・ゴーン氏が逃亡していなければ勝っていた、人質司法の問題点と有罪率99.9%の絶望とは

【あの時、何が】弘中惇一郎弁護士(第1回)日産自動車元会長カルロス・ゴーン氏が逃亡していなければ勝っていた、人質司法の問題点と有罪率99.9%の絶望とは

カルロス・ゴーン氏が逃亡したときは、さすがにショックを受けた――。

しかし彼は無罪だと確信しているし、それを明らかにすることも可能だったと語る弘中惇一郎弁護士。

「無罪請負人」「カミソリ弘中」の異名をとる氏が、日本の「人質司法」の問題点、ゴーン氏に対して検察がとった仕打ち、そして、日本の司法がどのように彼を追い詰めたのかを語ってくれた。

ヤメ検から引き継いだゴーン氏の弁護

――ゴーン氏の弁護を引き受けることになったきっかけは何ですか。

弘中 最初はヤメ検(検察官出身)の弁護士が担当していたそうですが、ゴーン氏としては、その方にはあまり検察と戦う姿勢が見られないと考え、保釈も認められない状態が続いていたため、非常に不満を抱いていたようです。そんな折、ある人を介して「一度、奥さんと話をしてほしい」と依頼されました。

その結果、レバノンにいる奥さんと、通訳を交えてZoomで面談したのです。そこで彼がいかに気の毒な状況に置かれているかを知り、本人に会うだけ会ってみようと考えました。当時、私はすでに70歳を超えていたため「荷が重いのではないか」という思いもありましたが、面会もせずに断るのはあまりにも不憫(ふびん)だと感じたのです。とにかく一度お会いした上で、丁寧にお断りしようという気持ちで向かいました。しかし、実際に拘置所に出向いてゴーン氏から話を聞いているうちにだんだんと同情の念が湧いてきて、「では、何とかしてみましょう」と引き受けることになりました。

――着手金は相当な額だったのではないですか。

弘中 いわゆる一括の「着手金方式」ではなく、海外の法律事務所に多い「タイムチャージ(稼働時間に応じた請求)方式」をとっていました。仕事をした分だけその都度請求書を出し、支払ってもらう形です。ただ、最後の2カ月分ほどは、彼が日本を離れて(逃亡して)しまったため、結果的にうやむやになってしまいました。

家族とのきずなさえ引き裂く保釈条件の残酷さ

――世間では、ゴーン氏に対して「非情なコストカッター」という冷徹なイメージもありましたが、実際の印象はいかがでしたか。

弘中 彼は、日産内部で作られた偽の取締役会によって日本におびき寄せられ、逮捕されたのです。当時の日産社内には「彼を何とかして追い出したい」という機運があり、かつてあれほど恩恵を受けたはずの人間たちが彼をハメた。非常にフェアではないと感じました。しかも、日本に連れてこられてからは拘禁されたままで、身近に相談できる相手もいない。彼自身も強く訴えていましたが、日本の「人質司法」は本当にひどいものでした。

私たちは様々な条件をクリアして、何とか保釈を勝ち取りました。しかし、提示された保釈条件は極めて過酷でした。特に「家族と会ってはならない」という条件です。具体的には「娘とは会ってもいいが、息子と妻には会ってはならない」というものでした。検察側は「妻が事件に多少の接点を持っているからだ」と主張していましたが、実際にはきわめて薄い接点であり、検察側の証人候補リストにすら入らないレベルの話です。異国の地で家族、特に妻と会えないことは、彼にとって耐えがたい苦痛でした。

私たちは裁判官を必死に説得し、ようやく「Zoomで1時間だけ」という条件で妻との会話を認めてもらいました。ゴーン氏が「もっと話したい」と言うので、私は「もう少し頑張れば、きっと直接会えるようになりますから」と励ましていたのです。

「まだ話すことがあるのか」裁判官の無神経

弘中 ところが2週間後、彼が「もう一度妻と話したい」と言ったため裁判所に申請したところ、裁判官は「2週間前に1時間話したばかりなのに、まだ話をすることなどあるのですか?」と言い放ったのです。このような言葉が出てくる感覚自体、私には理解できません。

ゴーン氏は、この時に日本の司法へ完全に絶望したのだと思います。しかも、裁判が進まなければ妻に会えないという状況であるにもかかわらず、検察側は「これから証拠集めをするから、まだ裁判は開けない」と、公判期日を入れることに反対し続けました。「逮捕すれば後から証拠が出てくるだろう」という見込みで逮捕・起訴しておきながら、「これから証拠を集めるので裁判を待ってくれ」と言うわけです。いつ立証手続きが始まるかも分からず、裁判が終わるまで妻にも会えない。もし自分がその立場に置かれたら、やはり絶望的な気持ちになると思います。

――保釈にあたって、裁判所からは具体的にどのような条件を課せられていたのですか。

弘中 彼自身のパソコンはすでに押収されていましたが、新たにパソコンを使用するのであれば「私の事務所内に限る」という条件がつきました。また、自宅には監視カメラを設置し、携帯電話の所持は禁止、パスポートは弁護士が保管するなど、厳重な制約がありました。パソコンが私の事務所でしか使えないため、彼は毎日のように私の事務所に通ってきましたよ。そのために、会議室を一部屋空けて、彼専用にずっと確保していました。

裁判に備えホテルも予約していた

――結果的に逃亡されてしまったわけですが、ゴーン氏は「日本の司法は99.9%が有罪になる」と批判しています。弘中先生はその高い壁を何度も覆してきた弁護士ですが、彼に逃亡されたことへのショックは大きかったですか。

弘中 もちろん、逃亡するなど想像すらしていませんでした。こちらも堂々と裁判で無罪を勝ち取るつもりでいましたから、大変なショックを受けました。

逃亡された翌年の1月には、模擬証人尋問を実施するためにホテルを予約するなど、すべての準備を進めていたのです。当然、彼が逃げたことで私に対する社会的信頼も損なわれました。しかし、彼の心情を推し量ると、有罪か無罪かという問題以前に、「裁判がいつ始まるかも、いつ終わるかも分からない」「いつになったら妻に会えるのかも分からない」というプロセスの不透明さに絶望し、日本の司法に対する信頼を完全に失ってしまったのだと思います。

裁判をそのまま続けていれば勝てたという自信はあります。結果的に、日産の元代表取締役であるグレッグ・ケリー氏も、大半の罪状で無罪判決を勝ち取っています。ですから、ゴーン氏の事件も十分に無罪を勝ち取る可能性はありました。

――ゴーン氏が逃亡した結果、世間からは「やはり人質司法(身柄拘束)は必要なのだ」という声も上がりましたが、これについてはどうお考えですか。

弘中 あれは司法制度の問題ではなく、完全に出入国在留管理(入管)の問題です。プライベートジェットの荷物検査において、あのような大型の箱を無審査で通してしまうこと自体、想定外の怠慢でした。チェック体制の不備によって通り抜けてしまったのです。入管が本来の機能を果たし、きちんと検査していれば防げた事態です。しかし、検察側が「保釈した弁護士が悪い」「お前が逃がしたようなものだ」としたため、私に対して弁護士会へいくつもの懲戒請求が出される事態にまで発展してしまいました。

追い詰められた彼を気の毒に思う気持ち

――その後、ゴーン氏から連絡はありましたか。

弘中 直接的なものではありませんが、一度、海外で彼の逃亡事件をテーマにした映画を作るという話があり、そのインタビューに応じたことがあります。

その映画が最終的にどうなったかは分かりませんが、その際、間接的に「ぜひ協力してほしい」というメッセージが彼から届きました。直接肉声で話したわけではありません。

――「裏切られた」という形で急にいなくなられたわけですが、その連絡に対して不快感を覚えたりはしませんでしたか。

弘中 「逃げ出したくせに、今さら何だ」というような怒りや不快感はありませんでした。彼はそれほどまでに追い詰められていたのだと、気の毒に思う気持ちの方が強かったからです。ですから、インタビューを受けて事実をありのままに語ることくらいは協力しよう、というスタンスでした。

(第2回に続く)

《プロフィール》
弘中惇一郎(ひろなか・じゅんいちろう)1945年山口県生まれ。東京大学法学部卒業後、1970年弁護士登録。クロロキン、クロマイ各薬害事件、ロス疑惑事件、薬害エイズ事件、郵便不正事件、陸山会事件など数々の事件を無罪に導く。通称「無罪請負人」。カルロス・ゴーン氏の弁護人もつとめた。

関連記事一覧