「毒親」「親ガチャ」で注目される親子問題 昔の作品にも描かれていた“家族の呪縛”
SNSなどで見かける「毒親」「親ガチャ」といった言葉を一度は目にしたことがあるだろう。親子問題そのものは昔から存在し、文学や映画、漫画などさまざまな作品の中でも描かれてきた。
近年では以前よりも親子関係にまつわる問題が言語化されるようになっている。では、昔と現在の作品では、親子問題の描き方や私たちの捉え方に、どのような違いがあるのだろうか。
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現在の作品と過去に描かれた親子問題
現在の作品と、過去に描かれた親子問題を比較していく。タイザン5氏による「タコピーの原罪」(集英社)では、複雑な家庭環境が生々しく描かれている。まりな・しずかの女子2人と東という男子を中心に物語が描かれているが、それぞれの母親は見事に対照的である。まりなの母は娘に対して過干渉気味である一方、しずかの母はネグレクト、東の母は東を「キミ」と二人称で呼びかけるなど、教育的なモラルハラスメントが描かれている。
押見修造氏の「血の轍」(小学館)では、主人公・長部に対する母・静子の過剰な愛情と執着が描かれている。自然な関係の中にある「愛情」と「支配」の境界が上手く描かれており、作者の押見氏はインタビューで、「(前作で)自分のテーマの一つである親子関係がまだ描き切れていないという思いが湧いてきたんです。」と語っている。
亜月ねね氏の「みいちゃんと山田さん」(講談社)では、過干渉な山田さんの母親とネグレクト気味のみいちゃんの母親が対比として描かれている。最終話では、過干渉気味に見えていた山田さんの母が、実際には本当の意味で娘を気にかけていたことが明らかになる。そのことで、序盤から描かれてきた母親像も、また違ったものに見えてくる。
2018年に起こった滋賀医科大学生母親殺害事件を題材にした齊藤彩氏の著書「母という呪縛 娘という牢獄」(講談社)は、母親から医学部合格を強く求められていた娘が、母親を殺害するに至った経緯を描いた作品である。X(旧Twitter)に投稿された「モンスターを倒した。これで一安心だ。」という投稿は話題となった。
辻村深月氏が2009年に刊行した「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」(講談社)は、チエミの母親は過保護である一方、みずほの母親は教育ママとして描かれている作品である。物語の中に「すべての娘は、自分の母親に等しく傷つけられている」というフレーズが登場する。一見すると良好に見える親子関係であっても、その内側には見えない傷や執着があるという作品のテーマを、鋭く切り取った言葉である。
今回取り上げた作品では、母親と子どもの関係が中心的に描かれている。現在と過去の違いは何か。過去の作品は親の行動や親子の確執を描いているが、現在は親側にも事情があり、子ども側から見た親の姿と、別の角度から見た親の姿が異なる場合もあるというのを描いている。そして、それを受け取る側も一面的な見方ではなく、子どもの立場から親子関係を捉え直すようになっているのではないだろうか。
なぜ今、可視化されるようになったのか
親子問題そのものが、現代になって突然生まれたわけではない。では、なぜ今、私たちは親子関係をこれまで以上に細かく捉え、それを言葉にしようとしているのか。
背景の一つとして、SNSの普及によってこれまで家庭の中だけで抱えられてきた悩みや違和感を共有しやすくなったことが考えられる。「毒親」「親ガチャ」といった言葉が広く使われるようになり、自分が経験してきた親子関係を個人的な問題としてだけではなく、社会の中にある一つの問題として捉えられるようになったからではないか。
また、以前であれば「親なのだから子どもを愛して当然」「家族なのだから我慢するもの」と考えられていた関係についても、現在では「それは本当に当たり前なのか」と振り返り、問い直す。価値観の変化や言葉の広がりによって、これまで見過ごされてきた親子関係の複雑さが、より細かく可視化されるようになったと言えるだろう。
文/佐藤杜美 内外タイムス






