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「文明」は「文化」を破壊するのか パリで目撃した暴動から「見境ない門戸開放」がもたらす未来

競馬世界最高峰「凱旋門賞」の取材で赴いたフランス・パリ。

日本馬のチャレンジは実らなかったが、私が「花の都」で目撃したのは「移民問題」が絡んだ暴動だった。高校生の切なる願いから始まった抗議は変な方向に発展、フランス全土に広がっている。

これこそが、40年近く世界的なスポーツイベントを取材して筆者が恐れていたシナリオ。日本も決して対岸の火事ではない。

「迷惑外国人」が近所に住んだら クルド人問題に直面する川口市民の「生の声」

外国人受け入れと「文化の破壊」

現在の日本は、一つの大きな過渡期にある。政府は「移民」という言葉を慎重に避けながらも、「育成就労制度」の創設や「特定技能2号」の対象拡大など、実質的な外国人労働者の受け入れと定住化の道をなし崩し的に広げている。

背景にあるのは人手不足にあえぐ経済界。すなわち「文明の利便性」の要請に応える形だが、その先にある国家のアイデンティティーや社会秩序の崩壊。すなわち「文化の破壊」という代償を、どれほど真剣に見据えているだろうか。

今回、愛知アジア大会が終わったばかりだが、1994年の広島アジア大会でも物議を醸した事件がある。ルールやおもてなしを誤解した外国人選手たちの「テレビ持ち帰り騒動」だ。しかし、SNSが普及した現在も根っこの部分は変わっておらず、いや、SNSが普及したが故に複雑化しているように思える。

フランス渡航で感じた「集団の豹変」

今回の渡仏は図らずも激動する世界の境界線をひしひしと肌で感じる旅となった。往路は予定していたタイ航空が現地での激しい洪水の余波により、空港職員が空港へ出勤できないという突発的なアクシデントに見舞われた。急きょ、ターキッシュエアラインズに変更し、イスタンブールを経由してパリへ。そして復路は予定通りバンコクを経由し関空へ戻った。

その帰国便、バンコクから関空へ向かう機内で私はムスリムの家族連れに囲まれる形になった。母親たちが子どもに向ける愛情は深く、日本の子どもたちと同じようにアニメを食い入るように見つめていた男の子の無垢(むく)な姿も印象的だった。

だが、その時、私はふと感じた。どれほど家族愛が美しくとも、こうした個々の人々がひとたび独自の宗教的・文化的アイデンティティーを持つ「大きな集団」を形成したとき、その様相はしばしば豹変(ひょうへん)する。「郷に入っては郷に従え」という原則は機能しなくなり、やがて社会に対して無理難題を突きつけるようになる。悲しいかな、それは個人の資質の良し悪しを超えた集団としての構造的な問題なのだ。

この「集団の豹変」を予見できずに門戸を開け放ち、現在進行形でコミュニティーの分断に苦しんでいるのが欧州の国々である。今回のフランス暴動は教育環境の改善や予算不足を端緒とする抗議活動が全土に拡大。参加者が25万人を超える規模に膨れ上がっている。

一部の若者や極端な活動家が暴徒化し、警察と激しく衝突してこれまでに数千人が拘束、多くの負傷者を出す深刻な治安悪化を引き起こしている。パリ在住の友人は語る。

「移民の数は20年前とそれほど変わらないように思いますが、年々フランスらしさは失われているように思います。SNSのない時代。社会に溶け込むのはそりゃ、大変でした」

日本の大分県日出町の事例

これと同列に語れないが、日本の大分県日出町で持ち上がったムスリムによる大規模な土葬墓地計画をめぐる対立は、まさにその縮図である。伝統的な火葬を重んじ、大切な水源地を守ろうとする地元民に対し、教義を理由に土葬の開設を求めるムスリム側の主張は平行線をたどった。

結果として、反対を訴えた新町長が当選したことで町有地の売却は見送られ、計画は事実上の頓挫したものの、地域社会には深い分断と警戒感がいまも生々しく残っていると聞く。

家族で訪れたエジプトでの体験

当然ながら、どこの国でも市井で暮らす人々はほとんどが善良だ。私は1年前、結婚35周年を祝い、妻と娘の3人でエジプトを訪問。カイロの野犬の多さに驚き、早朝に響き渡るコーランの音に悩まされながらも異国情緒を楽しませてもらった。

ナイル川クルーズの際に停泊した港近くの公園ではサッカーをしていた父子にまじってパスごっこをした。別れ際に「サラーになれよ」。私がそう声を掛けると怪訝(けげん)そうな顔の息子に父親は「エジプトの英雄だぞ」と誇らしげに語りかけた。

その旅を支えてくれた添乗員の“さっちゃん”もまた細やかな気配りができる男だった。彼はカイロ大で日本の歴史や文化を学び、自らの信仰であるお祈りは、私たちに配慮してこっそり行っていた。

旅の終わり、さっちゃんから友情の証として贈られたのはヒエログリフで「ヤマモト」と刻まれた青のTシャツ。これこそまさに互いの文化をリスペクトし合えた「賜物」と思え、私の宝物だ。

周囲にいる「日本社会に調和する努力」を重ねる外国人

日本にも多様な友人がいる。神戸大学を卒業して韓国水泳連盟の幹部をしている在日の方。日本人女性と結婚して東京に居を構え、第一線で活躍する韓国人の有能なテレビマン。あるいは甲南大学で英語を教えるカナダ人のナイスガイ。なんと彼はドラ検定1級を持っている。

そんな彼らと接していて心から素晴らしいと思うのは、それぞれ立場や出自は違えど「日本という社会に向き合い、そこに溶け込み、調和するための並々ならぬ努力」を重ねてきた点にある。

日本への深い敬意と感謝を持ちながら、同時に自身の母国への誇りも忘れない。彼らが見せるその高い「節度」こそが、異文化を持つ個人が社会に受け入れられるための、唯一にして絶対の前提条件なのだ。

最後の選択に迫られる日本

しかし、現在の拡大政策によって流入してくる大量の外国人労働者層に多くを期待するのは難しいだろう。文化やマナー、さらには理屈抜きで生理的な拒絶感を生む体臭や衛生観念の違いといった生身の摩擦を、簡単に法律や「多文化共生」という言葉だけで解決することは不可能に近い。

なぜ、これほど明確なリスクを前にして、日本は規制に踏み切れないのか。企業が目先の利益を優先するのは致し方ない面もあるが、一方で定住化に伴う教育や治安維持などの社会的コストを一般国民や自治体に丸投げされてるのもいかがなものかと思う。単なる低賃金労働の代替品としてとらえているとしたら、その考えには、いますぐ強い「栓」をしなければならない。

企業がまず目指すべきは技術革新や国内労働者の処遇改善。文明の効率にだけ目を向ければ、国と文化は衰退を免れない。

36年前に初めてパリを訪れ、その後も訪問する旅に気になっていた違和感。イスタンブールやバンコクを経由した機内で日本がまさに最後の選択に迫られていることを実感した。いつか来た道にならなければいいが。

文/山本智行 内外タイムス編集部

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