広陵高校元部員がSNS投稿者らを提訴――「被害者の味方」は別の生徒を傷つけていなかったか
「被害を訴える生徒を守りたい」。そう考えて投稿を広めた人もいただろう。しかし、加害者として扱われた生徒の側には、どれだけ目が向けられていたのか。
広陵高校の元野球部員が、SNSで加害者と名指しされ名誉を傷つけられたとして、投稿者や拡散した人物にそれぞれ286万円の損害賠償を求めて提訴したことが、5日に報じられた。原告は指摘された行為を否定している。今回の訴訟で、投稿の真偽や被告らの責任について結論が出たわけではない。
それでも、告発を伝えた大人たちの発信が、別の生徒への加害を生んでいなかったかを振り返る必要がある。
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「広陵の問題」でひとくくりにしてはいけない
まず、同校をめぐる問題には、別々の事案が含まれている。
今回の提訴報道が言及するのは、2023年の被害を訴えた元部員について、2025年6月に設置された第三者委員会の調査である。学校が2026年2月に公表した概要では、88件の申告を裏付ける証拠や証言が得られず、事実認定は困難とされた。ただし、行為が一切存在しなかったと結論づけたものではない。学校の組織体制や対応の問題も指摘された。
一方、2025年1月に別の生徒に対して起きた暴行事案では、2026年5月公表の調査結果で、集団的な暴力行為と学校側の不適切な対応が認定されたと報じられている。
ある暴行が確認されたからといって、別の申告や別の生徒の関与まで裏付けられるわけではない。「学校の説明は信用できない」という不信感も、特定の生徒の加害を認定する証拠にはならない。
申告を受け止めることと加害者の公表は違う
被害を訴える子どもの話を真剣に聞き、安全を確保し、調査につなげる。その入口で、裁判に通用する証拠をすべて用意するよう求める必要はない。
しかし、特定の生徒を社会に向けて加害者として公表する段階では、別の慎重さが求められる。切実な訴えがあることと、その内容が客観的に確認されたことは同じではない。
申告者を支えるために、名指しされた側の説明を聞かなくてよいことにはならない。調査を求める発信と、相手を加害者として社会的制裁にさらす発信の間には、越えてはならない隔たりがある。
とりわけ、性的な行為など重大な非難を伴う情報は、名前と結び付けば、後から説明を加えても印象を取り除くことが難しい。「被害者を疑うのか」という言葉で、確認まで封じてはならない。
2025年8月、学校側は、爆破予告や生徒が登下校中に追いかけられる事態が生じたと説明していた。学校への批判が、個々の生徒の安全を脅かす方向へ広がっていなかったかが問われる。
完全な人違いだけが問題なのではない。一部の行為への関与を理由に、未確認の別の行為までしたと扱うことも、同じ学校や部に所属するだけで責任を負わせることも許されない。批判する大人たちは、その言葉を受け止める側にも子どもがいることを、意識していただろうか。
専門家の肩書が未確認情報に信用を与える
代理人が依頼者の主張を伝えることは、中立的な第三者として事実認定をしたこととは異なる。外部の専門家も、取材で示された資料や報道だけを基に解説している場合がある。
ところが、読者には「弁護士が言うのだから、事実も確認されているのだろう」と受け取られやすい。
実際、2025年8月15日付の弁護士ドットコムの記事では、学校が確認できていないとする性的強要の申告を紹介した後、専門家コメントで、その行為があったことを前提とするように読める表現が使われていた。これは2025年1月の別事案の記事であり、今回の原告についての認定ではない。また、当事者の代理人による発言と確認できたものでもない。
その表現だけで違法性が確定するわけではないが、前段で未確認と説明しても、続く解説が断定的に読めれば、留保が伝わらないおそれがある。「申告が事実であれば」という法的評価と、事実の断定は明確に分けるべきだ。
もっとも、関係者全員が個人攻撃をあおったと扱うことも適切ではない。2025年1月の事案では、被害生徒の保護者とみられるアカウントが、実名や顔写真の投稿中止と削除を求めていたとの報道もある。批判する側にも、誰が何を発信したかの確認が必要である。
「依頼者のための発信」で済むのか
とりわけ、事件に関係する弁護士や専門家の取材対応やプレスリリースには、問題を可視化して調査や救済を促す意義がある反面、依頼者の利益を図る目的だけで、発信方法まで正当化されるわけではなく、後述する通り慎重な配慮が必要である。
裁判所や調査機関に主張を提出することと、不特定多数に一斉発信することでは、影響が異なる。受け手は証拠一式を検討できず、相手方の説明も知らないまま判断することがある。
その段階で公表する必要があったのか。生徒の特定につながる情報まで必要だったのか。相手方の否定や調査中であることを十分に伝えたのか。発信前に検討すべき点は多い。
「調査中」と一言添えても、見出しや説明全体が加害を断定するように読めれば十分ではない。「名前は出していない」としても、学校名や学年、部内の立場から人物が分かる場合がある。特定や攻撃が始まれば、追加説明や拡散抑制も検討すべきだろう。
第三者による中傷や脅迫の責任を、最初の発信者にすべて負わせることはできない。法的責任は発信内容、確認状況、被害との因果関係などから個別に判断される。ただ、それとは別に、専門家自身の発信が不確かな加害者認定を後押ししていなかったかは問われる。
学校を動かすために世論の力を借りるなら、その矛先が関与していない生徒に向かう危険も考えなければならない。専門家には、怒りが強いときほど、何が分かり、何が分かっていないのかを示してほしい。
報道機関にも同じことがいえる。会見や発表があったという事実は、内容の真実性を保証しない。強い見出しで告発を伝えたなら、反論や後の調査結果も丁寧に扱うべきだ。注目が薄れた後にこそ、誤った印象が残っていないかを確認する必要がある。
「信じて拡散しただけ」は免責理由にならない
民事上の名誉毀損では、公共の利害に関する事実を専ら公益目的で発信した場合でも、重要部分の真実性や、真実と信じた相当の理由が問題になる。善意や正義感だけで責任は否定されない。
拡散も、「最初に書いたのは自分ではない」という理由だけで免責されるわけではない。原投稿、添えたコメント、前後の文脈から、何を伝え、当時どのような確認をしていたかを検討する必要がある。
もちろん、全員に同じ責任が生じるわけではない。しかし、原投稿者も拡散者も、報道機関も専門家も、他人の主張を紹介したというだけで、自らの発信への検討を免れることはできない。
事実認定は多数決ではない
今回の提訴を理由に、今度は被害申告者を攻撃するのであれば、同じ過ちを繰り返すことになる。裏付けが得られなかったことは、故意の虚偽の証明ではない。提訴も、投稿者らの違法性が確定したことを意味しない。
後の調査結果だけで当時の発信を評価せず、その時点で何が確認され、どんな留保が伝えられていたかを検証すべきである。そのうえで、未確認情報が報道や専門家の解説を通じて確定事実のように受け取られ、別の生徒への非難につながった可能性を見過ごしてはならない。
刑事裁判の誤判とは区別されるが、根拠なく加害者扱いされる「社会的な冤罪(えんざい)」の危険はある。被害を訴えた生徒と、関与が確認されていない生徒は、同時に守られなければならない。
生徒の名前に結び付いた疑いは、進学や就職、人間関係に影響し得る。発信した大人が次の話題へ移っても、その生徒の生活は続いている。
「依頼者のためだった」「被害者の味方だった」だけでは、新たに傷つけられた生徒への答えにならない。専門家の役割には、世論を動かす前に、その矛先を誤らせないことも含まれるはずだ。
事実認定は、多数決ではない。守るべき子どもを、世論の支持率で選んではならない。
文/松本理平 内外タイムス






