「悪いやつならたたいていい」のだろうか――KENZO逮捕と伊東純也選手の件から考える、ネットの“犯人認定”と救済の限界
逮捕された人も、告発された人も、有罪が確定するまでは無罪と推定される。これは事件を考える際の出発点だ。「悪いことをしたならたたかれて当然」という前に、その犯罪は何によって確かめられているのだろうか。
推定無罪は刑事手続の原則であり、疑惑の報道や批判を一律に禁じるものではない。しかし、捜査や報道の存在を「犯罪の証明」に置き換えてよいわけではない。
患者動画の無断投稿、顔を隠せば問題ないのか…類似事件から考えるプライバシーと損害賠償
捜査機関の報道発表も無制限ではない。犯罪捜査規範は発表者を責任者などに限り、警察庁も、関係者の権利利益、公表による公益、捜査への影響を考慮し、発表の適否や内容を組織として判断する運用を説明している。それでも、公表された容疑は裁判所の認定事実とは限らない。
「KENZO 新宿109」として活動するYouTuberが、男性を詐欺師とする趣旨の動画を投稿したとして、10月14日、名誉毀損の疑いで逮捕された。男性は投稿翌月の2025年7月に亡くなり、母親は2026年10月15日、動画投稿などが自殺の原因になったとして、KENZO氏ら3人に約2億3000万円の損害賠償を求めて提訴した。投稿と死亡との法的な因果関係や各人の責任は、今後の審理で判断される。
捕まえる権限と、懲らしめる権限は違う
刑事訴訟法は、一定の要件の下で、一般の人にも現行犯逮捕を認める。ただし、私人が逮捕した場合は直ちに警察官などへ引き渡さなければならず、実力行使も必要かつ相当な範囲に限られる。
相手を懲らしめる制度ではない。逮捕が適法でも、顔や氏名を公開してさらす行為まで当然に正当化されず、名誉やプライバシーの侵害が別に問題になる。「相手が犯罪をした」ことは、追及する側の行為を無制限に許す理由にはならない。
そもそも「犯罪者」と断定できるのか
疑惑追及動画では、犯罪があったかという前提自体が争われる場合もある。お金を返してもらえない、約束と結果が違うというだけで、詐欺罪が成立するわけではない。取引時に相手をだます行為や認識があったかなどの検討が必要だ。
刑法上の名誉毀損では、公共の利害に関する事実について、専ら公益を図る目的があり、真実と証明された場合には処罰されない。これらの公益性・目的の要件を満たす場合、確実な資料や根拠に照らし、真実と信じたことに相当の理由があれば、犯罪が成立しない場合もある。「正義のため」という目的だけでは足りない。
被害申告を受け止めることと、その説明を検証せず犯罪者と断定することは違う。本文では「疑惑」としながら、タイトルやサムネイルで犯罪者と強調する発信も問題だ。表現全体の受け止め方が問われるため、疑問形や「疑惑」の一言で責任を免れるとは限らない。
伊東純也選手の件が示すもの
2024年のアジアカップ期間中に伊東純也選手の疑惑が報じられた際、日本サッカー協会は当事者の主張が異なると説明した。伊東選手は最終的に代表から離脱したが、これは裁判所による有罪認定ではない。
同年8月9日、大阪地検は、準強制性交致傷容疑で捜査された伊東選手と、虚偽告訴容疑で捜査された女性2人を、いずれも嫌疑不十分で不起訴とした。
この結果から伊東選手を犯罪者と決めつけることも、女性側の申告を虚偽と断定することもできない。不起訴は、対立する主張のどちらかが全面的に真実と認定されたことを意味しない。告訴、捜査、報道と、犯罪の立証は区別する必要がある。
刑事・民事の救済には、どんな壁があるか
名誉毀損などで刑事責任を追及する方法はある。しかし、被害届は被害を届け出るもの、告訴は処罰を求める手続であり、相談すれば直ちに受理・捜査されるとは限らない。犯罪の成立や証拠の不足などを理由に受理に至らず、事実上、入口で対応が止まる場合もある。被害者は資料を整理し、説明を重ねる負担を負う。刑事処分がされても、削除や賠償が自動的に実現するわけではない。
民事でも、違法な投稿と認められることと、請求した損害額が認められることは別だ。仕事の喪失と投稿との因果関係や、得られたはずの収入を示す必要がある。大量の投稿が重なれば、各投稿と損害との関係も問題になる。民事訴訟法248条は、損害の発生が認められ、金額の立証が極めて困難な場合に裁判所が相当額を認定する仕組みを設けるが、因果関係の立証まで当然に不要にする制度ではない。
また、重要な大会への出場機会などは、仮に賠償対象になっても、その機会自体を取り戻せない。金銭による評価と、失われた時間や経験の回復は異なる。
さらに、これらの法的手続を行う費用的・精神的な負荷も見過ごしてはならない。
削除や謝罪は、疑惑を知った人に届くのか
元の動画が消えても、転載、切り抜き、検索結果、アーカイブなどは残り得る。削除を求めるには、原則として相手方と対象の投稿・表示を特定する必要があり、元の投稿者への命令が第三者の転載に当然に及ぶわけではない。拡散先を探し、一つずつ対応する負担も被害者にかかる。
民法723条は名誉回復のための処分を認め、謝罪広告などが問題になる。しかし、掲載を命じる判決を得ても、疑惑を知った人が読み、認識を改めることまでは保証されない。
不起訴や勝訴が当初の疑惑と同じ規模で報道される仕組みもない。訂正・謝罪の実効性は掲載場所や期間、SNSでの告知などに左右される。判決や和解で具体的に定めない部分は媒体側に委ねられる余地があり、和解では告知方法まで詰める意味がある。それでも、最初の発信と同じ人々に届くとは限らない。
最高裁もネット上で損なわれた名誉の回復は容易でなく、ネット上の反論で十分に回復できる保証はないと指摘している。
犯罪被害の告発や根拠のある批判には社会的意義があり、有罪確定まで一切発信できないわけではない。しかし、その目的だけで、裏付けの乏しい断定や攻撃をあおる発信が許されるわけではない。これはKENZO氏自身への発信にも当てはまる。逮捕や提訴は、有罪や賠償責任の確定ではない。
救済制度があっても、取り戻せないものがある。「間違っていたら後で謝ればよい」では済まないからこそ、疑惑を断定に変えない姿勢が求められる。
文/松本理平 内外タイムス






