#12 国連で通用せぬ「排除の論理」 ――取材権剥奪の危機を乗り越えて考えたこと
国連人権理事会の「先住民族権利専門家メカニズム(EMRIP)」第19会期を取材中、沖縄問題の議論とは別の意味で、看過できない出来事に直面した。宮古新報の特派員として正式なメディア承認を受け現地取材を行っていた筆者が、取材活動を妨害され、一時的に国連の取材承認(プレスパス)を取り消される事態となったのである。
事の発端は会場内での出来事だった。琉球独立を主張する関係者に自己紹介を行い、発言者に撮影許可を求めようと近づいたところ、複数の関係者から一斉に拒否され、「出て行け」などの言葉を浴びせられた。筆者は撮影を強制したわけではなく、許可を尋ねた上でその場を離れたが、その後も警備員やEMRIP関係者による身分確認が繰り返された。誰かが国連側に「記者ではない」と虚偽の通報を行ったためである。その結果、一時は入館証が無効化される事態にまで発展した。
しかしその後、国連職員やEMRIP事務局、警備担当者による聞き取り調査が行われ、筆者が取材経緯と報道機関としての正規の資格を説明したところ、取材活動に一切の問題は認められなかった。一度は取り消された入館証は無事に復活した。
この経過は極めて重要である。最終的に国連が筆者の取材資格を回復させたという事実は、ルールを守って取材を行う報道陣を、不当な通報によって排除してはならないと国連側が判断したことを意味するからだ。
もちろん、通報した側にも何らかの言い分はあるだろう。しかし、自分たちと異なる立場の報道機関であるという理由だけで取材を妨害しようとしたのであれば、それは議論ではなく「報道の排除」そのものである。
実際、ECOSOC(国連経済社会理事会)の協議資格を持つ複数のNGOも、特定団体による筆者への対応や会議運営への影響について、EMRIP宛てに改善を求める要望書を提出している。人権や多様性を尊重すべき場において、批判的な報道に対して排除で応じようとした姿勢は、極めて残念と言わざるを得ない。
琉球独立運動は、自己決定権や人権の尊重を理念に掲げている。ならばこそ、自らに批判的な報道に対しても寛容であるべきだ。記事に不満があれば反論すればよい。事実誤認があるなら訂正を求めればよい。それこそが民主社会における言論の原則である。
今回、国連が正当な手続きを経て筆者の取材権限を戻したことは、「ルールに基づく報道の自由は守られるべきだ」という当たり前の原則を示している。人権を訴える運動であるならば、その理念は身内だけでなく、異なる立場の人々にも等しく向けられなければならない。「言論には言論で応じる」――その民主主義の基本が、今あらためて問われている。 (ジュネーブ特派員 吉岡綾子)





