【福田淳の対談闊歩】高須克弥(第1回)漫画家になりたかった少年時代 祖母から言われた医師免許を取る理由
「YES!高須クリニック」でおなじみの高須克弥氏が登場。江戸時代から続く医師の家系で、自身が医師になることは宿命だったのかもしれない。同時に僧侶でもあり、28日に熊本で発生した地震の被災地へいち早く寄付を行い、支援物資を輸送するという慈悲深さを持つ。歯に衣着せぬ物言いで世間をバッサ、バッサと斬る高須先生は、これまでどのような人生を歩んできたのだろうか。いじめられたという幼少時代から、謎の多い組織「フリーメイソン」への入会、AI時代について思うことなど、濃密な81年の人生を全3回で紹介する。
福田 お忙しいところありがとうございます。できれば、高須先生の幼少期からお話をお聞きしたいんですけど。
高須 そんなことをやったら数時間かかりますよ。
福田 多分10時間コースになると思いますね。愛知県一色町(現・西尾市一色町)のご出身で、少年時代はどんなお子さんだったのでしょうか? Wikipediaにはやんちゃなお子さん、でも、天才だったと載ってます。
高須 Wikipediaに載ってたらその通りです。天才は自分が天才だとは思わないからね。
福田 いろんなことに興味があって、利発なお子さんだった?
高須 今でもいろいろなことに興味がありますよ。
福田 変わってないということですね。幼少期には、おばあ様のお話もよく出てきますね。
高須 おばあさんは2人いますけど、父方のおばあさんも面白いんだけど、母方のおばあさんも面白くて、2人ともすごく面白い。だけど、両方とも敵同士なの。片方は医者で完全な科学者。もう1人は浄土真宗の偉いお寺のお嬢様上がりで、バリバリの浄土真宗の門徒でね。
福田 全然違いますね。
高須 僕が蚊に刺されるとね、医者のおばあちゃんは“パシッ”ってたたいて殺して、「蚊に刺されるとマラリア」になると言ってね。もう1人のおばあちゃんは、蚊を殺そうとすると「何をする、血を分けた兄弟じゃないか」って止められるの。「しっかり血を吸って、いい子どもを生めよ。さようなら」って。考え方が違うから、2人で会うと大げんかになっちゃう。
福田 でも、それが後々にお医者さんになられたり、僧侶になられたり、両方のおばあ様の思想を受け継がれたんですね。
高須 受け継いでいるのではなくて、基本的に喜ばれることが好きなんですよ。先天性のものなのか、後から教えられたものなのか自分でもよく分かりません。
一番なりたかったのは漫画家
福田 蚊を“ピシャッ”とやっつける人と、兄弟だっていう人がいて、それを矛盾なく幼少期に受け入れてお過ごしになったわけですね。幸せに過ごせたんですか?
高須 幸せじゃなかったですよ。田舎の学校でしたからね。僕は戦時中に防空壕の中で生まれたんですよ。物心ついた時は敗戦国だって…。
福田 おばあ様がいなかったら、うまく生きていくこともできなかったと。
高須 よく知ってるじゃない。そのネタを今から数十分でしゃべるのは到底無理ですから。
福田 触りだけお願いします。
高須 子どもの時はね、学校の先生がみんな赤(共産主義)だったもんだから、だからプチブル(プチ・ブルジョア)の子どもはいじめていいんだって。僕、典型的なプチブルで、家にピアノがある色白の豚のように太った医者のガキだった。まあ、散々いじめられてね。医者の方のおばあちゃんは、あの愚民たちは許しちゃいかんって怒っていた。
福田 相手にするなじゃなくて、許しちゃいかんと。
高須 うん。でも、もう1人のおばあちゃんは「これは仏様が与えた試練だから、これを楽しみなさい」って逆のことを言うんですね。こうやって自分は磨かれて、立派になっていったんだな。
福田 でも、その両方を受け取られたんですね。
高須 だからちょっと分裂しています。
福田 少年時代の夢は漫画家になることだったそうですね?
高須 漫画家に一番なりたかった。子どもの頃は一生懸命、漫画の練習ばっかりやっていました。おばあちゃんから医師免許だけは取れって言われていたんです。バカではないことを証拠したのであれば、あとは自分の好きにやっていいって。漫画家にもなっていいって言ってくれてね。
福田 フレームがはっきりしていていいですよね。条件をきちんと出されていて。
西原理恵子から「かっちゃんが若い頃に描いていた絵はいい」

高須 全く同じことを僕の長男(高須力弥氏)に教えたの。長男は教えを守って、医師免許を取って、もう漫画だけ描いている。売れないけど。長男のX(旧Twitter)を見てください。いっぱい描いているけど、売れない。
福田 でも、先生は医師免許を取っても漫画家にはならなかったんですね。
高須 漫画家は、なる、ならないではなくて、売れなければ漫画家じゃないですから。売れない漫画家はいくらでもいますよ。
福田 でも実際、漫画はたくさん描いていたんですよね?
高須 当時はいっぱい描いていましたね。(パートナーの)西原(理恵子)に言わせると、「かっちゃんが若い頃に一生懸命描いていた絵はいい」って褒めてくれた。なぜ、こんなに下手になっちゃったんだろう。(大学医学部の)6年間は全く描かなかったからね。
福田 毎日描き続けないとダメなんですね。その時のテーマは何だったんですか? SFとか空想ものですか?
高須 あの頃、僕が大好きだったのは「赤ん坊帝国」って漫画でね。赤ん坊たちで世界を作るっていうストーリーだった。
福田 面白いですね。
高須 そのテーマでパクリを作った。
福田 でも、パクリから始まってオリジナルが生まれますから。
高須 パクリを繰り返しているうちに、自分ができてくるんです。医学もみんなそうですよ。先人があれこれやって、これをやったら死んじゃったって。
福田 死んだらまずいですよ。
高須 それで死なない方を選ぶんだけど、後になればなるほど医学は進歩してくる。
福田 オリジナリティーが出てくるんですね。
高須 最初にナマコなんか食った人は偉いでしょ。
福田 本当に偉いですよね。ウニでも偉いと思いますけどね、最初に食べた人は。それで漫画家は諦めて、お医者さんになろうと?
高須 医者はやらなくてもいいから、医師免許証だけは取れって言われていた。親戚には医師免許証だけ取って、葬儀屋をやってすごいお金持ちになっている人もいる。文学で売れない作家になってダメになった人とか、いろいろな親戚がいますよ。
バカでないことを証明するため医師免許を取得

福田 ご親族の方もおばあさんをはじめ多種多彩というか、ユニークな方がそろっていますね。
高須 家業だもの。医師免許を取ったの、僕が一番早いんだよ。新制度で、日本で最初に医師になった人間なの。僕たちの直前にインターン制度が廃止された。僕らの前の人たちは、もう1年余分にやらなければいけなかった。僕は早生まれだから、日本で一番若くして医師免許証持っていた。新制度のやつはね。
福田 じゃあ、インターン経験なかった?
高須 インターンなんかない。インターン制度を粉砕するのに成功した最初の卒業生なの。一緒にやっていた学生たちは、「インターン制度粉砕万歳」って言ったら、全員留年になったよ。
福田 すごい時代ですね。
高須 だから、同い年で東大の医学部卒業しているやつは、みんな僕のことを目の敵にしていた。すごい嫉妬心なんだろうね。どこに行ったって僕の方が偉いんだもの。
福田 小さい頃からスーパーマンだったんですね。だから嫉妬もされるし、いじめにも遭ったし。
高須 スーパーマンなんてそんないいものじゃないですよ。医者もできるっていうだけでね。何かすべていいように見えるけど、おばあちゃんの言われた通りにしただけなんですよ。バカでない証拠に医師免許を取っただけです。
福田 それを証明した上で25歳の時にドイツに行かれた。美容に触れられたということですけど、当時は最先端だったんですか?
高須 最先端から外れた医学ね。最先端はアメリカ医学だった。ドイツ医学をやっているのは時代遅れなの。
福田 ドイツを選ばれた理由は?
高須 教授は全員、ドイツの教育を受けた教師しかいなかったの。カルテもドイツ語だったしね。教授になる時にドイツへ留学して、箔(はく)をつけて帰ってくるため。行く人がいなくてさ。
【福田淳の対談闊歩】高須克弥(第2回)大学院時代に海外留学、催眠術のアルバイト 人生で初めて落とされた僧侶の得度試験 に続く。30日18時公開。

《プロフィール》
高須克弥(たかす・かつや)1945年1月22日、愛知県生まれ。医学博士。美容外科「高須クリニック」院長。東海高校、昭和大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。大学院在学中からドイツやイタリアなどに研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。「脂肪吸引手術」を日本に普及させた。江戸時代から続く医師の家系。2010年に紺綬褒章を受章。著書に「私、美人化計画」(祥伝社)、「ここが違う!高須克彌の美容整形」(KKベストセラーズ)、「ブスの壁」(新潮社、西原理恵子共著)など。






