袴田巖さんの姉ひで子さんインタビュー(後編)「無実の人間を処刑されてたまるか」 再審制度の改正はすべてが中途半端
袴田巖さんは2014年3月27日、静岡地方裁判所で再審開始と刑の執行停止が決定されたことを受け、同日夕方に東京拘置所から釈放された。逮捕から48年の月日がたっていた。2024年9月26日に静岡地方裁判所が巖さんに無罪判決を言い渡し、同年10月9日に検察が上訴権を放棄したことで無罪が確定した。
袴田巖さんの姉ひで子さんインタビュー(前編)死刑の確定で弟は孤立し、妄想の世界に入っていった から続く。
袴田事件では、2014年に地裁で再審開始決定が出たにもかかわらず、検察が不服申立て(抗告)をした結果、再審公判が始まるまでに9年もの年月がかかった。検察側からの重要証拠の開示がなかったことも要因の一つだ。長期化につながるばかりか、審理の不公平さを指摘する意見もある。
「60年も昔の話ですからね、司法、検察に対してどうこう思っていませんよ。それより巖が(東京拘置所から)出て来た喜びで浸っておりましたから。でも、このごろちょっと落ち着いてきてね。これでは黙っているわけにはいかんと思って、再審制度の改正に大いに物申しておりますの」
“開かずの扉”と言われた再審請求。袴田事件を教訓に、今国会で再審制度の見直しに関する刑事訴訟法改正案が提出された。改正案は、再審開始の決定に対する検察の抗告を「原則禁止」とする規定などを盛り込んでいる。
「もう再審開始になったら、悪い証拠も、良い証拠も全部出して、裁判にかけるのがフェアじゃないかと私は思っている。それを検察が即時抗告して、しかも何も証拠も出さずに『有罪だ、有罪だ』って言っているだけでしょ。そんなことをいつまでもやっているから58年もかかるんですよ。これまでは再審なんて見向きもされなかった。政府、法務省は私たちを見向きもしなかった。だけど、世間の声もあって、ようやく見てくれるようになったの。それで大胆に改革すると思ったら、全然そんなことない。即時抗告も証拠開示の目的外使用も、全部が中途半端ですよ。ちっとも大胆ではない」
再審制度は5年ごとではなく随時の見直しが必要

「えん罪はなくなることはない」というひで子さんだが、その言葉どおり、近年、再審無罪となるケースが相次いでいる。
滋賀県日野町で1984年に起きた「日野町事件」の再審について、大津地検は6月19日、強盗殺人罪で無期懲役が確定した阪原弘さん(故人)が有罪だと主張しない方針を示した。阪原さんの無罪が確実になった。
阪原さんは再審請求中の2011年3月に75歳で病死し、12年に遺族が改めて再審を請求した。殺人事件では戦後2例目となる元受刑者の死後に再審が開かれる「死後再審」となる。
「検察の対応を今さらどうこう言ってもしょうがない。だから検察を恨んだりはしない。今度は阪原さんの件でも諦めたようだけどね。もっと早く諦めて、白旗あげればいいのよ。そうすれば恥をかくこともないでしょ。とにかく法体制をしっかりしてもらわないことには(えん罪を生み出す社会は)直らない」
77年間、大きな見直しが行われてこなかった再審制度だが、今回の改正法施行後の見直しについても、「5年ごと」に検討を行い、必要な措置を講ずるとしている。
「5年ごとではなく、随時見直してくれればもっといい法律に変わると思っている。法務省は法律を変えることはしないんですよ。昔からの法律を大事に守って、粗相のないようにと思ってやっているでしょ。だからこういうことが起こるんですよ。時代に合った法律が必要なんですよ。法律は人間の作ったものなのだから間違いはあります。その間違いを認めないっていうのが役所の姿勢。そこから改めて抜け道を作ろうとするんです」
「巖だけが助かればいいってもんじゃない」

「袴田事件」は2024年、死刑判決から再審無罪という形で58年の闘いに終止符を打った。だが、ひで子さんはえん罪被害者を救済するための活動を今も続けている。
「最初はえん罪という言葉も知らなかったぐらいで、何で巖だけがこんなにひどい目に遭っているのかと思っていたら、それどころじゃないわけ。大勢が苦しんで、泣いて、叫んで、無罪を求めている人がいくらでもいるの。だから、やっぱり巖だけが助かりゃいいってもんじゃない。即時抗告はすぐにやめてもらって、証拠は開示してもらって、きちっとした法律を作ってもらわないと、えん罪被害者は救われない」
しっかりとした受け答えで、威勢良く話すひで子さん。93歳を迎えたがまだまだ老い知らずだ。6月末にはフランス・パリで開かれた死刑廃止を訴えるNGO団体のイベントに招待され、スピーチを行った。
「私は動いてないと調子が悪いからね。一服するどころか、せっかく58年も闘ってきたんだから、元気なうちは大いに頑張っていこうと思っています。(巖さんの逮捕時が)33歳のことで、再審開始になって無罪になったのが91歳ですよ。91歳のババアになっちゃったわけ。私はね、年なんかと闘っている考えはないですよ。無実の人間を処刑されてたまるか、と思う気持ちで頑張ってきたんですよ」
時代に合った法改正で、司法の過ちを正せる社会に
健康のため日々運動を継続して、食事にも気を遣っている。きっかけは巖さんのいる拘置所に面会に行くためだった。
「毎朝30分運動してるんです。これは拘置所に行く時に足腰が弱くなっちゃいかんと思って、それから体操を始めたんです。ヨガを始めて、ストレッチ、ラジオ体操とか、いろいろ取り入れて、毎朝40年近く体操しています。食事は一日2食。朝食はパンとみかんジュース。お昼はご飯を2膳、おかずもしっかりと食べます。それで晩ご飯は食べない。2食なんです」
今も頭脳明せきで、取材対応や講演活動などをこなし、多忙な日々を送っている。体だけでなく頭の老化防止も大切だ。ひで子さんは、ちょっとした物忘れをそのまま放置しないようにしている。例えば、ある人の名前を忘れてしまったら、50音のあ、い、う、え、と順番にたどっていき、その人の名前を思い出すまで繰り返すという。
「たまたま大勢の方と知り合って、みなさんと一生懸命にやっています。若さの秘けつというものは、あってないようなもの。気力というか、気の持ちようだと思う。『ババアになっちゃったなぁ』と思うと、ババアになっちゃう。『私は若い』と思っていれば、若くいられると思っている」
巖さんのえん罪に立ち向かい、人生の多くの時間を費やしてきた姉。弟を救った今、これからの活動に終わりはあるのだろうか。
「終わりはないでしょ。えん罪ってものは次から次へと出てきて、これでパタッとなくなることはない。人間のやることです。裁判所だって間違えることもある。だから法律できちっとしてもらわないとね。それで、間違いが間違いではなくなるんです」

《プロフィール》
袴田ひで子(はかまた・ひでこ)1933年生まれ。巖さんの姉。中学卒業後、浜松の税務署に事務見習いとして就職。税務署を退職後、民間の税理士事務所に入り、経理の知識を身に付けた。知人が経営する会社で経理として住み込みで働き、70代まで40年近く勤めた。1966年に巖さんが逮捕されて以降、面会から社会への周知など、全面的なサポートをしてきた。2014年に巖さんが釈放、2024年に無罪が確定した後も、えん罪被害者のための活動を続ける。






