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悠仁さま一人しかいない 皇室典範改正案、今月国会提出へ「600年前に枝分かれ」の是非

皇室典範の改正案が、今月中にも国会へ出される。

10日、衆参両院の正副議長4人が与野党13党派と開いた全体会議で、「立法府の総意」が正式に決定した。その内容は女性皇族が結婚後も皇族身分を維持する案と、旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎える案の、「いずれも了とする」という一言に尽きる。

この文書はその日のうちに国会内で高市早苗首相に手渡され、高市首相は「速やかに法律案の骨子案を示せるように進める」と応じた。

皇位継承問題を「難しくてよくわからない」まま放置してきた人たちが、今週はじめてこの問題と向き合うはめになった。X(旧Twitter)のタイムラインには「男系維持派の勝利だ」「いや女系容認への抜け穴になる」「旧宮家って誰」「そもそも悠仁さましかいないってこと?」という投稿が入り乱れ、コメント欄は両陣営の激論で動かなくなった。

なぜこんな騒ぎになっているのか。

現行の皇室典範では、皇族の女性は結婚すると皇室を離れる決まりになっている。愛子さまも佳子さまも、結婚すれば「ただの一般人」になる。天皇陛下の次の世代で皇位継承の資格があるのは悠仁さまただ一人だ。このままでは皇室を支える担い手が急速に細る……というのが問題の核心である。

これに対して国会が出した答えが、今回の2案だ。第1案は「女性皇族が結婚後も皇族として残れるようにする」。第2案は「終戦直後の1947年に皇籍を離れた旧宮家11家の男系男子子孫を、養子縁組で皇族に迎える」という内容だ。

両案とも「皇族の数を増やす」ための措置であり、今上陛下から秋篠宮殿下、悠仁親王殿下という皇位継承の流れ自体は変えない、というのが立法府の立場である。

しかし、Xが燃えているのはここからだ。

保守派の一部は「旧宮家の男系男子が復帰するなら男系維持が守られた」と歓迎する。一方でリベラル側は「女性皇族の夫や子を皇族にしない、と明記されているなら、女系天皇への道は依然閉ざされたままだ」と批判する。立憲民主党は養子案については慎重な立場を崩さず、公明・立民は森英介衆院議長が「養子の子に皇位継承権を」と発言したことを「不適切だ」と反発した。

世論調査では「女系天皇を認める」が69%に達しているとも報じられており、「民意とかい離した密室政治」という声が保守・リベラル双方の外側から噴き出している。

さらに炎上に油を注いでいるのが「一定年数ごとの見直し規定」だ。旧宮家養子案についての「立法府の総意」には、「皇族数の確保の状況等を勘案し、必要があると認めるときは、一定年数ごとに見直すものとする」という文言が盛り込まれた。

つまり、今回の答えはあくまで暫定であり、将来の見直しの余地を残している。「これは本当の決着ではない」と見る向きも少なくない。

旧宮家の竹田恒泰氏は女系のつながりだった

そもそも旧11宮家が皇籍を離れたのは1947年のことで、今から80年近く前になる。しかも、旧11宮家はすべて「伏見宮系統」の子孫だ。現皇室との血の分岐点は室町時代中期、後花園天皇の弟にあたる伏見宮貞常親王にさかのぼる。共通の祖先まで600年以上離れているわけだ。

例えば「明治天皇の玄孫」として各メディアに登場し、男系維持論の急先鋒として知られる竹田恒泰氏も、この旧宮家の出身だ。ただし「明治天皇の玄孫」という肩書には、知られていない事実がある。竹田氏が明治天皇と血でつながっているのは、母方を通じた「女系」でのつながりにすぎない。

父方の男系をたどると、やはり行き着くのは室町時代の崇光天皇……こちらも600年以上前だ。「女系はダメだ」と主張する本人が、明治天皇とは女系でしかつながっていない。それゆえにXでは竹田氏の主張が矛盾するのではという声もみられる。

とはいえ、長い歴史の中で古く枝分かれした皇族が天皇になった事例も、もちろんある。

第26代の継体天皇が、それだ。「古事記」「日本書紀」によれば、第25代武烈天皇が跡継ぎを残さずに崩御した後、大伴金村や物部麁鹿火など有力豪族の支持を受けて即位した。その家系は、応神天皇の5世の子孫(来孫)とされている。

これだけ家系が離れていると即位は一筋縄ではいかなかったようで、記紀の記述では当時の政治的中心地である大和に入るまでに20年かかったとしている。さらに、その治世には九州の有力者・磐井が反旗を翻す大乱まで起きた。

このことは5世の子孫でも、正統性に異議を唱える者が多かったことを示している。「日本書紀」では、その正統性の根拠として最初の候補であった仲哀天皇の5世子孫・倭彦王を大伴金村が迎えにいったところ、山に逃げて行方不明になってしまったこと。

継体天皇は何度も固辞したこと。さらに、武烈天皇の姉・手白香皇女を皇后にたて、その皇后が産んだのが後の欽明天皇となったとして正統性を確保している。

5世離れているだけで、これだけの困難があったのだから「男系か」「女系か」が一筋縄ではいかない問題であることがよくわかる。

血の近さだけが正当性の根拠ではない

その後の歴史の中でも天皇の正統性をどう確保するかは重要な問題となってきた。その中でももっとも優れているのは南北朝時代に北畠親房が記した「神皇正統記」における理論である。

親房の理論の核心は、「血の近さだけが正統性の根拠ではない」という点にある。三つの柱で成り立っている。

そのひとつが、三種の神器だ。親房は、鏡・玉・剣を帝王が持つべき三つの徳(正直・慈悲・知恵)と結びつけ、この三つを正しく受け継いでいるかどうかが、天皇たる資格の第一条件とされた。

さらに親房は天皇には「徳」が必須だとしている。ここでは、承久の乱で後鳥羽上皇が幕府に敗れた事実を、「天も許さぬことであったのは疑いない」と断じ、むしろ善政を敷いた北条泰時を評価した。武家であっても徳があれば正しい……すなわち、天皇中心の史観にありながら、血統論に収まらない解釈をしている。

もうひとつが連続性だ。皇統は枝分かれしながらも、天照大神から連なる一本の流れとして続いてきた。その流れを絶やさないこと自体が、正統性の証しとなると親房は主張している。

重要なのは、親房がこの三本柱のどこにも「血の近さ」を絶対条件として置いていないことだ。正しい手続きと徳の裏付けがあれば「正理」として認められる。逆に、血が近くても神器を持たず徳を失えば「偽主」に転落するというわけだ。

この親房のロジックから見ると現代の皇位継承論争は甘い。「男系の血さえ引けば正統」という単純な血統論は、親房の理論からは導けない。600年前に枝分かれした旧宮家の男系男子を「復帰」させることの正統性を親房の論理で問えば、血統ではなく、国民が象徴天皇として受け入れられるかどうか、つまり「徳」と「連続性」が問われることになる。

政府は今国会中の皇室典範改正を目指すとしており、法案の骨子は月内にも示される見通しだ。80年来の積み残し問題が、夏前に本当に決着するのか。それとも「一定年数後の見直し」という逃げ道がいつか開くのか。「立法府の総意」という重い言葉の後ろに、どれだけの合意が本当に詰まっているのかが試されるところだ。

文/昼間たかし 内外タイムス

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