国際興業創業者一族 小佐野匠インタビュー(第5回)「隆正氏はこの世の中で一番敵対的な人間」 小佐野ファミリーの現在と国際興業への思い
2019年にかいじキャピタル株式会社、2023年にかいじ人材株式会社を設立した匠氏。それぞれM&Aと外国人材紹介という2つの事業を柱に据えた事業を展開している。特にかいじ人材株式会社は、人手不足に悩む企業に優秀で日本語堪能な特定技能外国人材を紹介し、登録支援機関としてサポートを継続。時代の波に乗り事業は順調に成長し続けている。
国際興業創業者一族 小佐野匠インタビュー(第4回)骨肉の612億円訴訟 サーベラス撤退後、隆正氏らを相手取って損害賠償請求 から続く。
「かいじキャピタルは受け皿会社として使い始めて、今は国際興業の経営企画部の時に一緒にいた人を1人連れてきて、その彼と2人でM&A仲介や各種コンサルティングを中心にやっています。かいじ人材は、ありがたいことにもともと私のM&Aのお客さんがいっぱいいて、いろいろと人不足の話とかを聞いていたんですね。ちょうど大学の同級生がミャンマーで学校やっていて、彼のところのミャンマー人の受け皿と、僕らの営業力を使って、信用と営業力をはめ込んだんです。その子たちの働き場所にもなりますから。
それで、かいじキャピタルでマジョリティを出資して、かいじ人材の方も起こして。だから今、両方のチャネルで顧客と接点が持てるのが非常にありがたいなと思って、多国籍チーム7名ほどでやっています」
M&Aと人材を両輪として事業を展開する匠氏。かいじキャピタル、かいじ人材について今後どのようなビジョンを描いているのだろうか。
「私は国際興業とか、M&Aでもたくさん企業の失敗を見てきました。だから、まずは潰れない会社にしようっていうことを念頭に、丁寧に経営をやってきました。正直、かいじキャピタルはもうほぼ私の個人技というか、それでやれてしまう会社ですから、事業の運営上は借り入れも何もいらない会社ですよね。ただ、成功報酬モデルのため、プレッシャーが強くかかります。かなり頑張って仕事をしても、ほとんどお金にならないで終わってしまう案件もありますし」
今の国際興業は小佐野隆正氏が会長に、社長は隆正氏の妹の旦那

「一方のかいじ人材の方は、最初はかなり苦労しました。でも今はもう毎月ちゃんとキャッシュフローもプラスで、もちろん利益もきちんと出してやっています。こちらはストック型のビジネスなので、努力した分は着実に成果となります。変に背伸びしないで、きちんと従業員のみんなを安定して食わせていけて、幸せになってもらえればと思っています。
今、高市(早苗)首相の政策を見ていると、外国人系の事業は結構厳しいんですよ。おそらく競合他社は結構つぶれていくと思っています。うちの場合は、僕のM&Aの方でも稼いでいるし、二本柱でやっているので、引き続き安定してやっていけるのかなと。無理のない形で、しかるべき成長をしていけば、おのずといい結果につながると思っています」
世間の荒波にもまれながら自分自身で新しい道を切り開き、時代のニーズをくみ取り、起業した会社を軌道に乗せた。生まれた時から常にそばにあった国際興業という存在。今はどのような感情を抱いているのだろうか。
「正直、あまりポジティブな気持ちはないですよね。小佐野隆正とその一族がやっていますから。今の国際興業は会長が小佐野隆正で、社長が黒滝(寛)氏で、隆正の妹の旦那ですよ。小佐野隆正家が住むために、今、今年6月に亡くなった英子(賢治伯父の妻)さんが長年住んでいた6000坪の迎賓館の土地にプール付きの豪邸を作っているみたいなんですよね。
もう完全に小佐野隆正ファミリーのものになっているんで、私からすればこの世の中で一番、敵対的な人間なのは間違いない。理不尽に思いますがどうしようもないので、しょうがないですよね」
裁判でともに闘った弟、歌人・小説家の小佐野彈との交流

匠氏には弟小佐野彈(だん)氏がいる。歌人・小説家で台湾で暮らしている。裁判では隆正氏を相手に、祖母・母とともに4人で争った。また、彈氏は同性愛者であることを公表している。メディアで「親ガチャで行ったら圧倒的な勝ち組。でも苦悩だらけ」と弟なりの苦悩を吐露している。
「彈とは今も仲良く交流していますよ。彈はとにかく、いかに自分が派手に生きているかを見せたい人間なんです。私は真逆でして、とにかく“死に金”を使うのは嫌いで、見えのための贅沢(ぜいたく)をすることはない。飛行機も大抵はエコノミーで、普段、都内でもすべて地下鉄と徒歩で移動して、タクシーはほぼ使わない。無駄なお金は使わないっていうことを徹底しています。出張も1泊数千円のビジネスホテルが大半ですし、服も着古したユニクロとかが大半です。
彈を見ていると、ちょっと危なっかしいなと思いますね。彼はセクシャリティーの問題とかもいろいろあるから。彼なりに苦しいところはあったのだろうと思いますけどね。基本的に自分の話を延々とし始めてしまうので、なかなか皆さんコミュニケーションを取るのが難しいタイプではあるんですよ。作家なので、話は面白いのですが」
匠氏はこれまで45年の人生の中で、想像を絶する数多くの困難に直面してきた。これまでを振り返り、人生最大の「ハードシングス」は何だったのか。またその困難をどのように乗り越えてきたのだろうか。
「やっぱりね、2004年に国際興業を追い出された時が一番ショックだったんじゃないですかね。でも、その時はまだ幸い若さがあるんですよね。若さがあって、まあ、そこそこの学歴もあったから『必死で仕事すりゃなんとかなるかな』って。とりあえず、もう必死でできるだけのことやろうと思っていましたよね」
今はサーベラスに感謝している
「そういう意味では、後に裁判なんかも結果は思うようにはいかなかったけれども、その時は家族もいるわけだし、必死になってやれれば。あと、人に対して常に誠実に、裏切らないでやっていればどこかでめぐりめぐってきちんと返ってきますから。どんな逆境の時でも常に人の信頼を失うことだけはしないようにしようとやってきましたね。
実際、その思いを持って、独立して一人でやってこれた。私はレコフという会社は、居心地が良かったのでなかなか自分からは出ていこうとは思わなかった。自分でビジネスやってみようとも思わなかった。でも、あの時は国際興業の件という立派な大義名分があったから。そういう意味ではレコフに対しても、失礼のない形で出ていくことができたと思っています。レコフには育てていただいた御恩を今でも感じています。
そして、自分を拾って国際興業の件を挑戦させてくれたサーベラスの人達にも、実は感謝しています。レコフ時代には経験できないような大きな仕事を経験できた。今の仕事に役立つ多くのことを学ばせてもらったのも、サーベラスからですね。
結果的に国際興業の件はうまくいかなかったけど、独立してそれなりにやれている。本当は国際興業の人たちに、『小佐野家の人間として、国際興業から離れるというのは無責任なのでは』と言われることもあるんです。でも、私の場合、裁判までやってすべて『もう、しょうがないよね』っていうとこまでやり切りましたから。自分なりにベストを尽くした結果ですね」

《プロフィール》
小佐野匠(おさの・しょう)1981年生まれ。東京都出身。国際興業株式会社の創設者、小佐野賢治氏の実弟で、帝国ホテル会長や国際興業社長を務めた政邦氏の孫。賢治氏は戸籍上は伯父にあたる。1994年慶應義塾幼稚舎卒業、1997年慶應義塾普通部卒業、2000年慶應義塾湘南藤沢高等部卒業、2004年慶應義塾大学経済学部経済学科卒業、2006年3月早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際経営学専攻MBAコース修了。2006年株式会社レコフ入社。2013年国際興業株式会社経営企画部担当部長、2014年国際興業エンタープライズ株式会社へ業務部長として出向。2019年かいじキャピタル株式会社、2023年にかいじ人材株式会社を設立、代表取締役を務める。






