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元AKB48劇場支配人・戸賀崎智信インタビュー(第2回)「よくこんなブサイク集めたね」と言われても…秋元康の「あえて完璧を求めない」AKB48戦略

「秋葉原で会いに行けるアイドル」という無謀とも思える構想は、いかにして動き出したのか。グループ名「48」誕生の知られざる裏側や赤字必至の劇場運営――。キャバクラ店長時代のノウハウを存分に注入した独自の組織論とともに、未完成な少女たちが国民的グループへと「弾けた」熱狂の原点を明かす。

元AKB48劇場支配人・戸賀崎智信インタビュー(第1回)「悠仁さま」も通った超名門校の落ちこぼれが、キャバクラ「年収1000万」店長を経て秋元康と出会うまで

酒席のノリで決まった「48」と合格者不足の最終審査

「秋葉原で会いに行けるアイドルを集め、毎日ショーを行う」――その構想が固まるまでには時間がかかった。AKB48という名前にもこの「48」という数字が入っているが、とある酒席の勢いで決まったという。

「秋元先生と芝くん、のちにAKB48のオーナーとなる窪田さんと会食しているときに秋元先生が『50人くらい集めてショークラブをやったら面白いと思わない?』という話になり、そのとき芝くんが『どうせやるなら48人にしてください』と言ったんです。そうしたら先生が『いいじゃない、48って』(笑)。それで『48』になりました。でも第1回オーディションの最終審査では残った子が46人しかいなくて、秋元先生が『全員受かっても48人いねーじゃねーか』(笑)と。本当に人前に出せる子が少なかったんです。そのうちにオーディションが常態化していきましたが、本当は1回で完結するはずでした」

芝氏に誘われて関わることになったAKBプロジェクトだが、華やかとされるエンタメ業界への憧れは全くなかった。むしろショーパブ時代の経験が生かせるのではないかというビジネス上の嗅覚が、戸賀崎氏を突き動かした。

「秋元先生の『ショークラブをやりたい』というコンセプトを聞いたとき、水商売の経験から『スカウトマンが声をかける』『時給で引き抜かれる』『男ができて辞める』など様々なパターンを見ていたので、そうしたリスクはないなと思いました。シャンパンの売り上げもなく、歩合や高額時給もないのであれば、秋元先生のお名前がある以上、どう計算しても利益が出る。『いける』と踏んだんです」

秋元流「完成されてないからこそいい」選考基準

AKB48のオーディションは、決してビジュアル最優先ではなかった。

「僕自身はビジュアル重視だったのですが、キャバクラ出身ということもあり、つい最低ラインを考えてしまうんです。『こんな子を入れたらファンもつかなくて本人がかわいそうだし苦しむのでは』と。でも秋元先生は、誰か一人でも『いいね』と言えば合格になる。『全員が手を挙げるような子は面白くない』というスタンスだったので、背の高い子から小柄な子まで多様な人材が集まりました。最初のオーディションの際、業界関係者からは『よくこんなにブサイクを集めたね』と言われたほどです(笑)」

結果として、粗削りな少女たちが一生懸命に一流のアイドルを目指して努力する「成長物語」にファンは共感した。最初から完成されていては成長する余地がなく、その「未完成な余地」にファンを巻き込んでいったのだ。

家賃月800万・入場料500円の無謀な計算

しかし現実は想像以上に厳しかった。2005年12月にオープンしたAKB48劇場。秋葉原のドン・キホーテ8階に借りた劇場の家賃は月800万円。開幕当初の入場料は500円だった。

「まったく計算が合っていませんでした(笑)。250人入っても12万5000円です。でも秋元先生が『500円』と言うから『わかりました』と言うしかないじゃないですか。要するに、誰も何も考えていなかったということです!」

秋元康氏は言わずと知れた偉大な作詞家でありプロデューサーである。しかし成功の陰には失敗作もつきものだ。AKBが壮大に失敗し、はしごを外される心配はしなかったのだろうか。

「当時は周りから『気をつけろ』というか『セガの件も失敗しているし、他にも失敗しているから大丈夫か』といった横やりがたくさん入りました。でも秋元先生は『大丈夫だ、俺が見ている限りは』と言ってくれて。実際にはしごを外されることはありませんでした。最後の最後に外されましたけどね(笑)。でも外したのは秋元先生ではありません。先生はそんなことをする人ではないです」

ナンバーワンになりたいと思っていないやつに何を言っても無駄

メンバーやファンの管理には、キャバクラ店長時代のスキルが役に立った。特に「付け回し」(客の好みに合わせて適切な女の子をテーブルにつかせること)のセンスが抜群だった戸賀崎氏は、女の子の長所を把握した上で「客が何を求めているか」「女の子が何を提示できるか」を瞬時に判断できた。客をファンに、女の子をAKBメンバーに置き換えたのだ。

「支配人になって一番大事にしたのはファンの声です。『一人3分間クレームを聞きます』という『支配人部屋』を実施し、1日10時間から12時間ほど立ちっぱなしで対応していました。休憩もタバコを吸いに行く程度でしたが全然苦ではありませんでした。それはキャバクラ経験のおかげです。またメンバーの管理についてキャバクラ時代に分かったのは、本人がナンバーワンになりたいと思っていないのにナンバーワンにさせることはできないということ。なりたいと思っている奴しかナンバーワンになれませんし、なりたくない人に指導をしても全く刺さらないんです」

そのため、AKBのメンバー管理は「管理しない管理」だったという。基本は自己責任。年齢に関係なく、自ら手を挙げて加入してきたのだから自分で考えて行動してほしいという方針だった。

「だから彼氏ができても別に仕方がないけれど、見つかったらそれは……自己責任ですよという方針です。夢に向かって頑張っている高校球児が一生懸命白球を追いかけているからみんな応援するのに、裏で集団いじめをしているようなもので、アイドルが裏でデートしているというのは、当時は少しどうなのかと思っていました。今は『恋愛禁止なんて人の感情を抑えつけるのか』とたたかれてしまうでしょうから言えないかもしれませんが、当時はギリギリそういう風潮が残っていた時代でした」

「応援しがいのある存在であるべき」アイドルとしての覚悟

最近も、AKB48のメンバー(当時)である花田藍衣氏とファンとの交際が発覚し、丸刈り謝罪のうえ契約解除となったニュースが話題を呼んだ。

「別に法律に反したわけではないので自由でいいと思うんです。ただ僕は『応援していただく資格』というか、『応援しがいのある存在であるべきだ』と思っています。もし自分が応援するなら『裏でオタクとつながっているメンバー』と『ひたむきにレッスンや配信を頑張っている子』のどちらがいいかと考えたら絶対後者ですし、『普通はこっちだろう』と。恋愛したいなら辞めてからやればいいと僕は思うんです。だから善悪の話ではなく選択の問題で、そういう道を選ぶのを見ると『お前はそんなものなのか』と冷めてしまうんですよね。『アイドルごっこ』をやっている子も多かったですし、全盛期のAKBでは『入ったらもう上がりだ』と勘違いしている子もたくさんいました。そうなると芸能人とつながりたがったりして、実際にそういう子が入ってきたりするんです。若いし人を好きになる気持ちは抑えられないので仕方ないですし、現場でそれを完全に封印するのは難しい。それでも『私はこれがやりたいんだ』と、恋愛など目に入らないくらい情熱を傾けてくれる子がいたらいいなと思いますし、そういう子に売れてほしいと思っています」

原宿に4000人の行列「ポップコーンが弾けた」瞬間

鳴り物入りでスタートしたAKB48だったが、世間に認知されるまでにはかなりの時間を要した。順風満帆とは程遠い道のりだった。

「最初は秋元先生のお名前もありますし、1年くらいで紅白歌合戦に行けるんじゃないかと話していたんです。でも全然無理で、すごく時間がかかりました。世間に認知していただけたのは2009年の『選抜総選挙』だと思っていて、売れてきたと感じたのは2007年ごろでしょうか。当時いた大島麻衣ちゃんが卒業する際の握手会を原宿で行ったのですが、日本青年館のあたりまで列ができて4000人ほど集まったんです。そのとき『あ、何か弾けたな』とポップコーンのように実感しました。全盛期は『ヘビーローテーション』がヒットしていた2010年頃ですね」

(第3回に続く)

《プロフィール》
戸賀崎智信(とがさき・とものぶ)1973年富山県生まれ。筑波大学付属小・中・高を経てキャバクラのボーイに。ひょんなことからAKB48プロジェクトに参加、劇場支配人になりキャバクラで培った手腕を発揮する。現在は、ロケ弁・仕出し弁当宅配の「お江戸弁当」を経営している。

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