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【インタビュー】元プロ野球・川口和久氏が語る鳥取Uターン移住の真相――マルチな才能が魅せる「農業×地方創生」の新境地

元プロ野球・広島や巨人で左腕エースとして活躍し、引退後もマルチな才能を発揮してきた川口和久さん(67)は故郷の鳥取県へUターン移住し、今年で米作り5年目を迎える。その一方で、そこは多芸な川口さんらしく高校野球の指導、解説や地元の資源を活用した野球道具の監修など多方面で活躍中だ。だれもが直面する60代からの生きがいと移住の真相に迫った。(内外タイムス・山本智行)

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米作り5年目、いまや16反に

――最近は農業に従事する野球選手が増えた気がします。川口さんは現役引退後はキャスターやモデル、CM出演、ボートレースのゲスト解説など、マルチな才能を発揮してこられました。その川口さんが、なぜ故郷の鳥取へ移住を?

川口 広島から東京へ移り、21年。60歳をすぎ、この先どういう方向性を見つけようか考えていたんです。そんななか、コロナもあってちょこちょこと鳥取へ帰省していました。

移住の一番の決め手は奥さん(淳子さん)が気に入ってくれたことですね。女性は田舎暮らしを嫌がりがちなんだけど、彼女は広島時代から夏休みを利用して子どもたちと一緒に鳥取へ来ていたのでなじみがあったのかもしれません。

2020年11月にお袋が他界し、その葬儀のときに親戚が30~40人集まってね。奥さんが『いいとこだよね。楽しいよね。住もうよ』となった。そこから何回かに分けて引っ越しをして。本当に自然の流れの中で移住することになったんですよ。移る前は神奈川に住んでいて、私たち夫婦と三女が移住しました。あと娘が2人、東京にいます。

――移住されてから、なぜ未経験の「米作り」をスタートされたのでしょうか。

川口 鳥取へ帰ってきて、さあ、何をしようかと。そんなとき、休耕地がたくさんあったこともあり、奥さんの提案で米作りを始めたんです。最初は2反から始まって、4反、6反となり、今年は16反にまで広がりました。想像がつかない広さでしょ?1反が300坪。なので16反だと4800坪。余計分かんなくなりますね(笑い)。作っている銘柄は鳥取のブランド米である星空舞。まいはコメではなく舞うの方です。

吉岡温泉町は米作りには最適な場所

――米作りは何かと大変だと思います。実は私も先日、田植えを初体験したばかりですが、思った以上に大変でした。雑草や害虫の駆除も必要で気苦労は絶えないのでは。

川口 今年は5月19日に田植えをしました。田んぼの水があったまると地中のヘドロのようなものが発生するのでこの時期は適度に週3回ほど水を入れ替えています。やっぱり、美味しいお米はいい水から作られる。幸い、私の育った吉岡温泉町は山沿いにあり、いい水が流れている。それに米作りに大切な寒暖差もあるので、米作りには最適な場所。農薬も必要最低限にし、ほぼ無農薬で作っています。

――手間暇かけているんですね。これから収穫へ向けては。

川口 7月の後半は田んぼから水を抜く作業があります。中干しと言うんですが、あえて水を抜いて稲にストレスを与えるわけです。そうすることによって水がほしいから稲の根っこが地中へ向かって伸び、栄養分を吸収し、より稲穂が実るというわけです」

――いやぁ、勉強になります。負荷を掛ける大切さ。スポーツや習い事に通じるところがありますね。

川口 その通り。手塩にかけて育てています。それといまは米作りに加えてみそ作りにも励んでいます。地元の大豆と大山町の藻塩を使って。高校時代に対戦したチームの1人がいま、塩の会社を経営していて。そんなご縁もあって。塩と縁でね(笑い)みそ作りも楽しいですよ。それに、この塩が大人気でいま、なかなか手に入らなくなっているんですよ。

鳥取に移住後もマルチな才能を発揮

川口さんは22年に移住促進やスポーツ振興を進める「とっとりへウェルカニスポーツアンバサダー」に就任。23年には甲子園2勝目を目指すなど高校野球全体の強化を担う「鳥取県スポーツ特別アドバイザー」にも就任した。また「鳥取大学広報アンバサダー」として大学の魅力や地域連携の取り組みを全国に発信してもいる。

――思えば、川口さんとは縁があって私がスポーツ紙に勤務していたころ、ボートレース業界を活性化するにはどうしたらいいかという異業種交流会のメンバー同士でもあった。そのころからアイデアが豊富でした。

川口 ありがたいことに鳥取の平井伸治知事から熱心に誘っていただき、鳥取県のスポーツ強化や地域活性化に協力させてもらっています。地方は人口が減少し、農地が荒れ果て、それが加速している状況。お門違いと思われるかもしれませんが、鳥取に生まれ育った自分が何か協力できることがあれば、という思いです。

――私は隣の岡山出身。故郷にUターンして地元に貢献している川口さんがうらやましくもありますし、凄いと思う。

川口 一番の思いは農業をしながら子どもたちとふれあい、生きる力みたいなものを養ってもらえたらと。それが地方活性化につながればいうことありません。山陰ではバスケの島根スサノオマジックとサッカーのガイナーレ鳥取が頑張っているし、スポーツコメンテーターとしても貢献したい。また今夏の高校野球鳥取大会から解説の仕事をすることになり、楽しみにしています。

――川口さんのコントロールを良くする指導には定評があり、指導の成果も少しずつ出始めているとか。

川口 プロジェクトが始まって4年。教え子たちが大学で活躍しているのがうれしいですね。いま仙台大学の1年生で4番を打っている瀬川亮太郎くんは境高校出身。指導したチームの境高校は投手が力をつけ、春季県大会で岩美を下して23年ぶりに優勝しました。母校の鳥取城北は2年連続で夏の甲子園に出場していますし、切磋琢磨(せっさたくま)して甲子園で1勝、2勝と勝ち上がってもらいたいです。

――だれかに頼りにされるのは素晴らしいこと。鳥取に移住して良かったところはたくさんありそうですね。

川口 海が近いので夏は孫たちと海水浴へ。ゴルフ場へもスッと行ける。東京だと高速道路が渋滞して時間が読みにくいけれど、こちらではそんなことはない。解説の仕事で東京方面へ行くときも空港まで10分ほど。買い物も近くて便利だし食材が新鮮。四季折々に旬なものがあり、県が発信しているように食のパラダイスです。星がきれいで、空気もうまい。ノーストレスです。関西方面からは近いですから、ドライブがてらみなさん、遊びに来てください。

県の特産品を使ったグラブや木製バットを監修

――衣食住、充実した生活ぶりが伝わってきます。

川口 そうそう、いまね。鳥取のブランド和牛、鳥取和牛の革を使ったグラブを監修しており、T-Wingsというメーカーから発売されています。開発元はつなぐ株式会社(鳥取県倉吉市)なんですが、軽くて使いやすいと評判。地元の高校生も使ってるんですが、これが人気で生産が追いつかないほどなんです。色は3色あり、砂丘をイメージしたもの、カニをイメージしたオレンジ、そして黒。売り上げの一部は畜産家に還元しています。

――それは素晴らしい試みです。余ったものを有効活用。いい循環になっていますね。

川口 鳥取和牛の名前も全国に広がれば、と思います。食べると、本当に美味しいですから。あと、実は今月から鳥取県産の木材を利用した軟式用の木のバット作りも始めました。今後はビヨンド(ウレタンバット)が使用禁止になるので木のバットが一段と注目されると思うんですよ。智頭杉や八頭で取れた堅い木を圧縮してつくり、手ごろな価格で販売予定。技術向上には木製バットは欠かせませんから。これからも農業、野球、スポーツをうまく掛け合わせながら貢献していければと考えています。やることはたくさんあります。

肩肘張らず、それでいて何事にも前向きで尽きることのない探究心と行動力。それがアイデアの源となり、マルチな才能の下地になっているのだろう。農業と地元の産業を掛け合わせた地方創生への取り組み。60代で見つけた新たな生きがいについて川口さんは「野球界で届かなかった『沢村賞』を、この米作りで獲りたい」と話し、笑顔を浮かべた。

《プロフィール》
川口和久(かわぐち・かずひさ)1959年7月生まれ。鳥取県出身。鳥取城北高卒業後、大阪にあった社会人野球のデュプロを経て80年ドラフト1位で広島に入団。86年から6年連続2ケタ勝利、最多奪三振3回など3度のリーグ制覇に貢献した。その後、94年オフに長嶋茂雄監督のラブコールに応え、巨人にFA移籍し、98年に引退。通算139勝135敗4セーブの成績を残す。

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