東大総長選、過半数得票の候補を選ばず 「選ぶ権限」と「説明する責任」は別問題
東京大学の次期総長選考で、学内の意向投票で過半数を得た候補ではなく、得票数2位の藤垣裕子教授が選ばれた。投票結果と最終判断の違いをめぐり、選考の透明性や説明責任が問われている。
大学側には、投票だけでは判断できない経営能力や将来構想を評価する役割がある。一方、大学の自治を担う機関が、構成員の意思と異なる判断をするなら、その理由をどこまで説明すべきなのか。選考権限の所在と、自治を支える信頼は、分けて考える必要がある。
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意向投票で過半数を得た候補が選ばれなかった
東大は2026年9月28日、総長選考・監察会議で藤垣氏を次期総長予定者に選出した。文部科学大臣の任命を経て、2027年4月から6年間の任期に就く予定だ。
同日の意向投票では、2回目の投票総数2169票のうち、染谷隆夫氏が1107票、藤垣氏が553票、山本隆司氏が451票を得た。染谷氏は白票を含む投票総数の約51%を獲得していた。なお、投票資格は一定の教員・管理職等に限られ、学生を含む全構成員による投票ではない。
東大は、所信表明や面接、意向投票などを総合的に考慮したと説明。藤垣氏について、学術への信頼を回復する能力や、文理融合、学内外のコミュニケーションを通じて大学を変革する力を評価したとしている。選考理由が全く示されていないわけではない。
ただし、9月29日の会見では、候補者ごとの具体的な議論は明らかにされなかった。東大新聞によると、国谷裕子議長は意向投票を選考資料の一つと位置づけ、結果と異なる選任について批判は予想されるものの、大きな問題が生じるとは考えていないとの認識を示した。
投票1位を選ばなければ違法なのか
国立大学法人法12条では、学長選考・監察会議の選考に基づく法人の申出を受け、文部科学大臣が学長を任命する。選考は、人格、学識、教育研究活動を運営する能力について、会議が定めた基準に従って行われる。
東大の総長選考・監察会議内規16条も、候補者資料、推薦書、調査、所信表明、意向投票の結果を「総合的に考慮」して総長予定者を決めるとしている。最多得票者を自動的に選ぶ仕組みではない。したがって、投票1位が選ばれなかったという事実だけで、今回の選考を違法とはいえない。
もっとも、選考権限があることと、説明が不要であることは別問題だ。国立大学法人法と同施行規則は、選考結果だけでなく、選考理由や過程の公表も求めている。文部科学省も、選考基準に照らして適任と判断した根拠を、可能な限り具体的に示すよう説明している。
今回の公表内容が法的に不十分かどうかは、資料全体と制度に即した検討が必要である。ただ、「ルール上選べる」と説明するだけでは、なぜその候補を選んだのかという疑問への回答にはならない。
最高裁が認めた大学の自治は何を守るのか
憲法23条は学問の自由を保障している。その自由を実際に確保するため、大学には一定の自治が認められる。
最高裁大法廷は、東大ポポロ事件の昭和38年5月22日判決で、大学の自治は特に研究者の人事について認められ、学長や教授などが大学の自主的判断に基づいて選任されると述べた。自治の目的を、研究、研究成果の発表、教授の自由の保障に結び付けている。
ただし、この判決は現在の国立大学法人の選考制度を判断したものではなく、学内投票の最多得票者を選ぶことまで要求してはいない。大学の自治と、特定の選挙方式は同一ではないのである。
多数決に拘束されなくても、多数意思への応答は必要
学問は、政治や行政、企業の判断を、証拠や論理に基づいて検証する役割を持つ。権力に都合の悪い研究や批判が抑え込まれれば、社会が政策の誤りに気付く機会も失われる。その意味で、学問の自由には民主主義を支える意義がある。
大学の人事が政治的な意向に左右されれば、研究者は批判をためらいかねない。自治が重要なのは、こうした干渉から学問を守るためである。大学内部の意思決定に目を向けるときも、この目的を忘れてはならない。
もちろん、大学運営では、人気や得票数だけで測れない能力の評価が必要になる。学内の多数派が常に正しく、少数意見を退けてよいわけでもない。選考会議が投票結果と異なる結論に至ること自体を、直ちに権威主義的だと断定するのは適切ではない。
しかし、裁量があるからこそ、その使い方が問われる。今回のように投票者の過半数が1人の候補を支持した場合には、その意思をどう評価し、何を重視して異なる結論に至ったのかを説明する必要性が高まる。
「総合的に判断した」という説明は、判断方法の概要を示す。しかし、それだけでは、重視した評価項目や投票結果の位置づけが見えにくい。藤垣氏の長所を示すことと、他の候補を上回る評価に至った理由を示すことには、なお距離がある。
候補者のプライバシーや率直な審議を守るため、発言や評価をすべて公開できない事情はあるだろう。それでも、優先した基準、投票結果を扱った方法、意見が分かれた点と結論の理由など、個人の不利益を避けながら説明できる事項はあるはずだ。
学外委員がいることだけで、公正さは保証されない
学外の視点には、学内の利害や慣行から距離を取り、判断を検証する意義がある。一方、「学外者を含む会議が決めた」という形式だけで、公正さが確保されたことにはならない。
委員の選出過程、候補者との利害関係への対応、評価基準の事前公表、審議記録の保存などが、判断を信頼するための土台になる。今回、縁故による選任や不当な介入があったと断定できる資料はない。批判するのであれば、人物への憶測よりも、制度と運用の検証可能性に焦点を当てるべきだ。
また、選考の説明責任は、まず判断をした会議にある。選ばれた藤垣氏本人に、非公開の審議内容まで説明させるのは適切ではない。
今回の問題は、投票1位を選ばなかったことだけではない。学内の意思と異なる判断について、選考機関が納得可能な説明を示せるかにある。
説明が不十分だからといって、大学の自治という憲法上の保障が失われるわけではない。しかし、学問の自由を守るはずの自治が、内部の批判に応答しない運営へ傾けば、その社会的な正当性は弱まる。外部の権力からの独立と、内部の権限に対する説明責任を両立させることが、自治を持続させるために必要である。
文/松本理平 内外タイムス






