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人知れず冤罪を訴え続ける桶川ストーカー殺人「首謀者」、5月に棄却された再審請求の中身

「本件再審請求を棄却する」

私の手元にある、さいたま地裁第3刑事部作成の計15枚の決定書(謄本)の主文はそう記されている。作成日付は今年5月29日。これに該当する再審請求棄却のニュースは当時も今も見かけないので、知る人は関係者以外にいないと思われる。

この再審請求棄却決定を受けたのは、かつて社会を騒がせた桶川ストーカー殺人事件の「首謀者」とされる人物だ。名は小松武史。逮捕された時は33歳だったが、60歳になった現在も千葉刑務所で無期懲役刑に服している。彼はこの無期懲役刑に納得しておらず、逮捕された27年前から冤罪(えんざい)を訴え続けているのだ。

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冤罪の疑いを指摘する報道は皆無だが…もともと不可解だった捜査の結末

桶川ストーカー殺人事件は、ストーカー規制法が制定されるきっかけにもなった有名な事件だ。だが、その「首謀者」とされる武史について、冤罪の疑いを指摘する報道は過去にテレビや新聞で一切行われてこなかった。そのため、武史が冤罪を主張していること自体、この記事で初めて知る人も多いと思われる。

だが、虚心坦懐(きょしんたんかい)にこの事件の経緯を見直せば、むしろ武史は冤罪の疑いを指摘されないほうが不思議な人物だ。

1999年10月26日、JR桶川駅前で刺殺された女子大生の猪野詩織さん(当時21)は事件前、ストーカー化した元交際相手の小松和人(同27)が営む風俗店の従業員らから凄絶(せいぜつ)な嫌がらせを受けていた。実行犯の久保田祥史(同34)や、犯行をサポートした伊藤嘉孝(同32)、川上聡(同31)の両名も和人が営む風俗店で働いていた人物だ。となれば、この事件の首謀者は和人だと考えるのが素直だろう。

ところが、埼玉県警は当時、久保田や伊藤、川上を猪野さん殺害の容疑で逮捕しながら、和人を猪野さん殺害の容疑で追及しようとしなかった。逃亡していた和人を指名手配するにはしたが、容疑は「殺人」ではなく、配下の者らに猪野さんを中傷するビラを猪野さん宅周辺にまかせるなどした「名誉毀損」だった。

結局、和人は逃亡先の北海道で自殺し、本人が真相を語る機会は永遠になくなった。埼玉県警は、和人が経営する風俗店の現場トップの立場だった兄の武史を「首謀者」として逮捕し、浦和地検(現・さいたま地検)も警察捜査を追認して武史を起訴したが、武史自身に猪野さんを殺害しなければならない事情は何も見受けられず、捜査の結末は不可解さが残るものだった。

裁判で反乱を起こしていた「検察側の最重要証人」

大きく報道されなかったので、知る人は少ないが、実は武史の裁判でも「首謀者は武史」とする検察側の筋書きに疑問を抱かせる出来事があった。それは、「検察側の最重要証人」という立場だった実行犯の久保田が起こした「反乱」だ。

そもそも、県警と地検が武史を猪野さん殺害の首謀者と断定した最大の根拠は、久保田が逮捕後の取調べで「武史に頼まれてやった」と証言したことだった。その久保田が武史の裁判で証言を覆し、「武史に頼まれたというのはうそだった。被害者を刺したのは、自分が暴走してやったことだった」という“新証言”をしているのだ。

実は弟・和人を嫌っていた武史「和人のために殺害の依頼などしない」

久保田の“新証言”は要するに、(1)風俗店の店長として働く中、和人にはよくしてもらったが、人を見下したような態度の武史のことは嫌いだった、(2)猪野さんにふられて落ち込む和人の無念を晴らしてやりたいと思い、「ナイフで顔でも切りつけてやる」というつもりで猪野さんを襲ったが、現場で緊張し、誤って背中と胸を刺してしまった、(3)犯行後、もともと嫌いだった武史が自分のことを「トカゲのシッポ切り」のように切り捨てようとしたため、復讐(ふくしゅう)で武史に罪を着せた--という内容だった。

結果、裁判でこの久保田の“新証言”は信用性を否定されたため、武史は裁判でも「首謀者」と認定され、無期懲役とされた。しかし、少なくとも久保田の“新証言”は、「武史に猪野さんを殺害しなければならない事情は何も見受けられない」という根本的な疑問に対し、1つの答えを示していた。

実を言うと筆者は事件の真相に関心を持ち、10数年前から武史と文通するなどして取材を重ねてきた。武史によると、そもそも和人のことは嫌いだったそうで、「和人のために殺害の依頼などするわけがない」という主張はむげに否定できないと思えた。

また、筆者は、すでに社会復帰している久保田とも、彼が宮城刑務所で懲役18年の刑に服していた頃に文通により取材させてもらっていた。久保田によると、裁判で「本当のこと」を話したのは、武史に濡れ衣(ぬれぎぬ)を着せた罪の意識や、「被害者遺族にも本当のことを話さないといけない」という思いからだったそうで、このような久保田の説明にも相応の信ぴょう性があると思えた。

再審開始のために提出した証拠は実行犯の告白手記だったが…

ここで内幕を明かすと、武史がさいたま地裁に今回の再審請求を行うにあたり、「無罪の新証拠」であるとして提出したのは、筆者が編著者として制作した「桶川ストーカー殺人 実行犯の告白」というタイトルの電子書籍だった。久保田が服役中だった2014年ごろ、冤罪専門誌「冤罪File」に掲載するために書いてもらった手記50枚を掲載しつつ、解説を加えたもので、手記では久保田は武史の裁判での“新証言”以上に詳しく事件の内幕を綴っている。

さいたま地裁は再審請求棄却決定書において、手記の内容は久保田が武史の裁判で証言した内容と重複があることから、〈「新たに発見された証拠」に当たるとは言えない〉と判示し、再審開始に必要な「新たに発見された無罪の明白な証拠」であることを否定した。しかし弁護側はすでに即時抗告し、「久保田が2014年の時点でも裁判の供述を維持し続けていること自体、供述の信用性において考察の対象となるべき事柄だ」と反論しており、まだ決着がついたわけではない。

武史「獄中で生涯終える可能性高い」 あきらめの境地も…

当の武史は冤罪を訴え続けてはいるが、歳月が過ぎる中で弱気になり、「お金もないし、再審請求は今回で最後でしょう」などと手紙に書いてくるようになった。無期懲役刑が終身刑化している現状も承知しており、自分は獄中で生涯を終える可能性が高いと考えているようだ。もう還暦だから、無理はない。

武史は事件前、和人らが行っていた猪野さんへの嫌がらせには関与しており、決して真っ白な人間ではない。仮に今後、猪野さんの殺害については冤罪だと世に広まっても、同情する人は少ないだろう。しかし、筆者は武史のような人間も法の裁きは事実にもとづいて受けるべきだと思い、取材を続けてきた。この再審請求の行方に少しでも多くの人が関心を持ってくれたら幸いだ。

文/片岡健 内外タイムス

《メモ》
桶川ストーカー殺人事件 1999年10月26日、埼玉県桶川市のJR桶川駅前で、当時大学2年生だった猪野詩織さん(21)が元交際相手の小松和人らからストーカー被害を受け、刺殺された事件。和人の兄で首謀者とされた小松武史、和人が営む風俗店従業員の久保田祥史、伊藤嘉孝、川上聡の計4人が殺人容疑で逮捕され、武史が無期懲役、他3人は懲役18~15年が確定した。2000年のストーカー規制法成立の契機ともなったが、事件を巡っては、県警による調書改ざんや捜査怠慢が発覚するなど、警察の対応も疑問視された。

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