「これから」だった龍玉師匠を失って 53歳で逝った落語家、その芸と人柄を惜しむ
そこに行けば、否応なしに現実を突きつけられることになることは分かっていた。
8月11日、東京・谷中の全生庵。その日は、幕末から明治にかけて活躍した落語家・三遊亭円朝の命日で、菩提寺である同所で毎年、落語協会主催(林家正蔵会長)の円朝忌が営まれている。法要の後、奉納落語と扇子のお焚き上げが行われるという流れ。
落語家約150名と一般の落語ファン約50名が本堂に座し、“大円朝”をしのんだ。
円朝は近代落語の祖と称される偉大なる先人で、「真景累ヶ淵」や「怪談乳房榎」「文七元結」「死神」「鰍沢」といった多くの作品を残し、時代を超えて落語家に蜜をもたらしている。現在、東京歌舞伎座で上演されている「怪談牡丹燈籠」も円朝の作品だ。
そんな円朝作に熱心に取り組み、同業者からもファンからも一目置かれていた落語家・蜃気楼龍玉(しんきろうりゅうぎょく)師匠の写真が祭壇に飾られていた。
法要では、過去1年間に亡くなった落語協会員の遺影が並び、弔われる。龍玉師匠が亡くなったという現実が、そこにあった。今年6月11日、円朝の祥月命日に病死。53歳、落語家としては夭折だった。
師匠の人間国宝・五街道雲助師匠(78)は公式サイトで「近年は自らの芸風を確立し始め、圓朝ものや長編の人情噺では、当今屈指の存在になってきました」(原文ママ)と追悼した。命日といい、取り組み続けた噺といい、大円朝との一本の糸につながれたような人生。
最後の高座は亡くなる5日前の6月6日、株式会社いがぐみが企画制作した独演会で、かけたネタも円朝作「怪談乳房榎」だった。噺仕舞いも円朝ものだった。
今年3月30日朝9時過ぎに、電話をもらった。「体調が悪いんで休みたいんですが」。くぐもった声だった。原稿書きの一方で私は、世界のLGBTQ+の街、新宿二丁目でミニミニ演芸場「シン・道楽亭」を経営している。龍玉師匠には頻繁にご出演いただいていたが、休んだのは初めてだった。
「これからが本領発揮の時と思っていたのに」
「道楽亭」の橋本前オーナーから「シン・道楽亭」を受け継ぎ運営することを決めた際、2024年7月21~31日の間を運営サイドのトレーニング期間と位置づけ、プレオープン4公演を行った。そこに、2公演目として龍玉師匠にご出演いただいた。出演以来の電話をした際、「ほんとにやるんですか?」と驚き、「出ますよ、何でも言ってください」と快諾いただいた。
二ツ目時代、五街道弥助の頃に、取材を通して知り合った。2014年、第69回文化庁芸術祭で大衆芸能部門の新人賞を受賞した。その際、私は審査員を務めていた関係もあり、個人的に飲むようになった。
上野鈴本演芸場でトリを務める時、ケータイにショートメールを送り、「終わったらどうですか?」。待ち合わせの場所は、近所のおでん屋F作と決まっていた。直接お誘いして、1対1で飲みに行ける数少ない芸人だった。「これからこそが本領発揮の時と思っていたのに、届かぬ悲願に行ってしまうとは、惜しいです、残念です、そして 悲しいです 寂しいです」と雲助師匠が悼んだように、まさに「これから」だった。
正蔵師匠も円朝忌の主催者あいさつで、「これからというのに、なんてもったいないんだろう、何でなんだろうという想いがしました」とやるせない思いを吐露した。龍玉師匠の50代、60代を、落語界・落語ファンはすべて失ってしまった。喪失感を埋められる術は今のところ見当たらない。いずれ、円朝ものに挑む若手が台頭してくれることを期待するしかない。
円朝ものもさることながら、寄席の、さほど深くない出番で聞く「強情灸(ごうじょうきゅう)」や「ぞろぞろ」といったネタも、龍玉風味で独特だった。そんなネタも、もう聞けない。法要の後、円朝師匠の墓前に向かった。柄にもなく、墓石に呼びかけてみた。
「円朝師匠、龍玉さんがそっちに行きましたから、ビールを飲ませてあげてくださいね」
文/渡邉寧久 内外タイムス






