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【宝島夫妻殺害事件】懲役30年の指示役キンパツ男、法廷で語られた自己像とは異なる“裏の顔”

2024年4月、栃木県那須町の河川敷で、東京・上野周辺で複数の飲食店を経営していた宝島龍太郎さん(当時55)と、妻・幸子さん(当時56)の焼損した遺体が見つかった事件。

殺人罪などで起訴されたのは、夫妻の長女・宝島真奈美被告(33)と、その内縁の夫で事件を主導したとされる関根誠端(せいは)被告(34)、関根被告と実行役側をつないだとされる佐々木光被告(30)、仲介役の平山綾拳(りょうけん)被告(27)ら計7人にのぼる。

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このうち、佐々木被告と平山被告の初公判が2026年6月22日に東京地裁で開かれた。佐々木被告は、関根被告から依頼を受け、平山被告に夫妻の殺害と遺体処理の話を持ちかけたとされており、事件後、平山被告が逮捕されると東京を脱出、逮捕当時は髪を金髪にしていた。

そんな両被告は直接、夫妻に手をかけたわけではないが、裁判所は、関根被告と実行役側をつなぎ、犯行の実現に向けて必要な役割を担ったと認定。7月3日の判決では、両被告に対し、いずれも懲役30年を言い渡した。

佐々木被告は法廷で、事件への関与を認めた一方、「報酬目的ではなかった」と主張。首謀者とされる関根被告に逆らえず、「断ることができなかった」とも述べている。

事件の中心にいたと認定された佐々木被告は、どのような人物だったのか。法廷で明かされた生い立ちや半生、そして事件前の姿を知る関係者の証言から、その人物像を追った。

「金を借りて連絡が取れなくなることもありました」

福岡県出身の佐々木被告は、両親と兄、姉の5人家族で育った。家庭環境は決して穏やかではなかったと振り返る。

「両親の仲は悪く、うつ病を患っていた父親は、家族に激しく怒鳴ったり、物に当たったりすることもありました。中学3年生のときに両親が離婚し、父親は家を出ています。中学時代はサッカー部に所属していて、高校推薦の話もありましたが、お金がかかるので進学せず、とび職に就きました」(佐々木被告)

中学卒業後に働く道を選んだ佐々木被告だが、その後、少年院に送られていたことが明かされている。

「10代のころ、友人をバイクに乗せて走行中に事故を起こしました。危険運転致傷罪で約6カ月間、少年院で過ごしました。院内では一番いい評価を受けていて、出院するときには、両親が迎えに来てくれました。その後も18歳ごろまではとび職の仕事を続けています」(同)

やがて福岡・中洲に移り、キャッチやスカウトの仕事を通じて、夜の街で働くようになったという。24歳のときには、恋人との破局をきっかけに実家へ戻った。佐々木被告は当時のことを涙ながらに振り返る。

「実家に戻ったあと母が倒れました。2022年には母が亡くなり、精神的に安定せず、仕事に就けない状態が続きました。その後、友人と飲み屋を共同経営しましたが、半年ほどで閉店しています」(同)

その後、知人の紹介で上京し、東京・上野でキャッチの仕事に就いた佐々木被告。しかし、わずか2カ月後には、凄惨な事件の中枢に関わることになる。

被告人質問で検察側から金銭面で困窮していたのかを問われると、佐々木被告は「お金には困っておらず、借金もなかった」と答えている。

しかし、事件前の佐々木被告を知る知人の証言からは、法廷で語られた自己像とは異なる一面も浮かび上がる。

「佐々木は誰にでもいい顔をするような人間で、周りから金を借りては、連絡が取れなくなることもありました。実際は金に困っていて、報酬目的で事件に加担したのではないかと思います」(佐々木被告の知人)

法廷で語られた「断れなかった」という言葉と、周囲が見ていた金銭面での危うさ。佐々木被告が事件に関わった背景には、本人の供述だけでは見えない事情も残されている。

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