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招待を受けて「牡丹社事件150周年記念式典」に参加した大城教育長(左)ら =台湾牡丹郷(市教育委員会提供)

悲劇乗り越え和解へ 台湾牡丹社事件 大城教育長、遺族ら関係者 150周年記念式典に参加

 台湾南部の屏東県牡丹郷で5月22日、「牡丹事件150年記念式典」と「石門古戦場県史跡指定記念式典」が行われ、宮古島市(座喜味一幸市長)からは大城裕子教育長らが参加した。石門古戦場跡は、台湾原住民のパイワン族による宮古島民ら漂流民殺害事件を理由に日本軍が台湾出兵して原住民と激戦した場所。記念式典には牡丹郷の関係者や宮古島犠牲者の玄孫(やしゃご)らも参加し、悲劇を乗り越えた和解への取り組みを確認した。
 市教育委員会教育総務課によると式典は2部構成で行われた。牡丹事件150周年記念式典では牡丹郷の潘壮志郷長や日本台湾交流公開高雄事務所の奥正文所長らがあいさつし、牡丹社事件を題材にしてパイワン族による劇が上演された。石門古戦場県史跡指定記念式典では石碑の除幕が行われた。
 今回の参加は牡丹郷からの招待を受けたもので、事件犠牲者の墓参りや関連施設を訪問した。式典前日には潘郷長らとの夕食会もあり、その席では牡丹郷原住民20人程度による訪問団が11月に宮古島市を訪問し、牡丹社事件の石刻説明板(牡丹社事件記念公園に設置された説明版レプリカ)を寄贈したいことが告げられたという。
 牡丹社事件とは琉球王国時代の1871年、宮古島民らが乗った船が首里王府に年貢を納めた帰りに台風で遭難し台湾に漂着した。その際に宮古島民や沖縄本島民ら「琉球人」の54人が殺害される事件が発生し、生存者は漢人に助けられたという。
 この事件は宮古島ではほとんど知られていない。宮古島民とパイワン族の間では、2005年に未来志向の親善交流によって事件の誤解を解き、相互理解と平和を以て対応することが確認されてきた。これを記念して牡丹郷から寄贈された「愛と和平」の石像は下地中学校に設置されていたが、2023年にカママ嶺公園に移設された。

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