宮古関係から3人が受章 危険業務従事者叙勲

 【那覇支局】政府は8日付で、警察官や自衛官など危険性が高い業務に尽力した元公務員を対象とする「第40回危険業務従事者叙勲」の受章者3640人を発表した。県関係者は46人。宮古関係は3人が受章した。発令は4月29日。危険業務従事者叙勲は、国や公共の発展に寄与した人に授与する勲章とは別に、危険業務に取り組んで社会貢献した功労者をたたえるために2003年に創設された。

●瑞宝双光章警察功労 川満寛さん(72)


 「自分一人の力で受章できた訳ではない。先輩や同僚の指導に加え、家族の支えのおかげがあって、受章できた」と話すのは警察功労で瑞宝双光章を受ける元警視の川満寛さん(72)=城辺下里添(花切)出身=。
 約2年間の宮古警察署(現・宮古島警察署)の勤務を振り返り、「交通係長として飲酒運転の撲滅に尽力した」と話し、「当時は飲酒運転による死亡事故も多くあった。当時の宮古は県内でも酒にまつわる事件や事故が多かった。飲酒による風評被害を無くすために頑張った」と振り返った。
 家族の内助の功の大きさにも触れ、「警察には災害警備といって台風の時には家を空けて職場で待機しなければならなかった。家族にはたくさん不安をかけたと思う。家族の支えがあったから、約40年勤務できたと思う。家族に感謝したい」と話した。
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 川満寛(かわみつ・ひろし)1950年8月生まれ。宮古水産高校卒。72年6月沖縄県警に採用。81年3月から83年2月まで、宮古署(現・宮古島署)に約2年の勤務を含む39年間、警察業務に従事。2011年3月退職。宜野湾市佐真下在住。

●瑞宝単光章海上保安功労 来間勇進さん(65)


 「受章は後輩たちへの励みになる」と話すのは、海上保安功労で瑞宝単光章を受ける来間勇進さん(65)=伊良部前里添出身=。33年間の仕事を振り返り、「海上保安官という職業には大変やりがいがあった。島の子どもたちにも是非薦めたい」と語った。
 約4年間の宮古勤務では、「巡視船のばるに乗船し、救難と領海警備に従事した。領海警備では当時は多くの漁船が領海を超えて違法操業を行っており、それらを取り締まっていた。救難では宮古島近海で浅瀬に乗り上げていたり、座礁したりした漁船の救助に向かっていた」と振り返った。叙勲を受けて「連絡があった時にはうれしい気持ちでいっぱいだった。家族のサポートや上司、同僚に恵まれたおかげだと思う。33年間、仕事に従事した結果をこのように評価してもらえることはうれしい」と話した。
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 来間勇進(くりま・ゆうしん)1957年12月生まれ。宮古水産高校卒。1985年4月海保に入庁。33年間従事し、そのうち2008年4月から12年3月まで約4年間、宮古島海上保安部に勤務。18年3月定年退職。浦添市経塚在住。

●瑞宝単光章警察功労 下地昭榮さん(72)


 「自分でも頂けると思い、ありがたい気持ちでいっぱいです」と話すのは、警察功労で瑞宝単光章を受ける下地昭榮さん(72)=父が城辺長間出身=。32年間の仕事を振り返り、「楽しく勤務ができた」と笑顔で話した。
 32年間の勤務では、「駐在所の勤務が好きで県内各地の駐在所を巡った。パトロールや地域の人からの相談などに従事することで地域の人と深く交流することができて、今でも関係が続いている人もいる。事件が発生した時も駐在所に警察官は自分だけだから、地域の青年や役場の人たちが協力してくれた。1人では何もできなかった。人との付き合いの大事さを再認識できた」と振り返った。叙勲を受けて、「上司や先輩に恵まれて受章することができた。章を受けることは家族のためにもなると思う」と話した。
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 下地昭榮(しもじ・あきひで)1950年6月生まれ。台湾大学中退。1978年4月沖縄県警に採用。北大東駐在所から八重山署、糸満署、那覇署、与那国駐在所、波照間駐在などで32年間警察業務に従事し、2011年3月定年退職。糸満市阿波根在住。

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