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平沢勝栄衆院議員インタビュー(第1回)丸紅に就職予定も学生運動の影響で警察庁へ

現役の国会議員で衆参合わせて最年長の麻生太郎氏(85)から数えて6番目の年長議員が平沢勝栄氏(81)だ。東京大学法学部から警察庁に入庁し、衆議院議員となってから当選11回を数える大ベテランに内外タイムスが単独インタビューした。

学生時代の知られざるエピソードから最も影響を受けた政治家、さらに高市政権、北朝鮮の拉致問題、IR・カジノなど日本社会が抱えるさまざまな難題について言及。自身の政治生命や日本の若者へのメッセージなど大いに語った。

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政治家として多大な影響を受けた後藤田正晴氏

取材日は9月15日。沖縄県知事選で自民党などが推薦する新人・古謝玄太氏が、「オール沖縄」の現職・玉城デニー氏との事実上の一騎打ちを制した2日後だった。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を容認する自民系候補が12年ぶりに勝利したことは、沖縄にとどまらず全国的なニュースとして扱われた。

「穏当なところに行ったんじゃないでしょうか。沖縄の経済が大変だと言っているけど、これは日本全体の問題ですからね。結果的に自民系が勝ったわけですから、アメリカとの関係も含めて前に進むと思いますよ。何でも反対だったら進まないですよ。国からの支援も今まではセーブしていたと思いますが、これからどんどん進むんじゃないですか。ともかく沖縄の経済を発展させ、基地問題も早く解決しないといけない。自民系の知事が久しぶりに誕生したわけですが、国民の皆さんは相当厳しく見てますから、その中で結果を出していかなきゃならない」

保守の道をまっすぐに歩んできた平沢氏は、穏やかな口調ながら政治や社会を見る目は厳しい。その原点は警察庁の大先輩でもあり、政治家として多大な影響を受けた後藤田正晴氏にあるという。

「後藤田正晴先生は一度、総理になっていただきたかったですね。ああいう方はもう出ないんじゃないでしょうか」

後藤田氏は徳島県議会議員だった父親を7歳で亡くし、東京帝国大学法学部から1939年、内務省に入省。戦後、復職して警察庁長官まで上り詰め、政治家に転身すると中曽根康弘内閣で官房長官、宮澤喜一内閣で副総理、法務大臣などを務めた。平沢氏に後藤田氏から学んだこと、教わったことを尋ねるとこう答えた。

「人の使い方です。非常に多くの人を使う組織に入られたわけですけど、この人となら一生懸命仕事したい、この人とならいつまで仕事をしてもいいと思えるような素晴らしい人なんです。このような人はこれまで見たことがないですね。やる気を起こさせることが大事なんです」

白川村の生家は重要文化財

平沢氏は岐阜県の白川村生まれ。終戦直後の1945年9月4日だった。白川郷の合掌造り集落は1995年に世界遺産に登録され、今ではインバウンドも含めた多くの観光客が訪れる。

平沢氏の生家も国の重要文化財に指定され、現在は下呂市の下呂温泉合掌村に移築。平沢氏は合掌村の名誉村長を務めており、議員会館の部屋には森林資源が豊富な同村から贈られた木製バットなどが飾られている。

「白川村は冬に雪が2メートルくらい積もって歩くのも大変。田んぼで米が採れるわけでもないし、冬になったら活動がストップするんです。ですから、今まで生活は貧しいし、厳しかった。苦しい中でみんな頑張っていたら、ある日急に重要文化財指定となっている。その後、重要文化財だけでなく、世界遺産にも指定されたことから喜ぶ人もいれば、この村はどうなるんだろうと心配する方もおられたわけです。人口1500人くらいの白川村に200万人を超える観光客が来るんです。こんなに人が来ると、きちんと案内できるのが不思議なくらいですよ。白川村がこの先も観光地として生きていけるのかどうか、これからが本当の勝負といえます」

平沢氏はその後、福島県に転居し、東京大学に進学。合格発表で平沢氏の次にあった名前が「弘中惇一郎」だった。後に「無罪請負人」と呼ばれ、内外タイムスでもインタビューした敏腕弁護士だ。

「当時から親しかったわけではないですが、後に共通の知人を通じてずいぶん親しくなりました」

東大時代、安倍晋三氏の家庭教師に

東大時代、青春を謳歌(おうか)しながら熱中したのが家庭教師のアルバイト。教え子の一人に9歳下の、後の総理大臣、安倍晋三氏がいた。

「仕送りがなかったから、あちこちで働いて一生懸命お金を稼がないといけませんでした。(安倍氏は)成績は良かった。学校の授業をきちんと受けていれば、立派な成績が取れるということじゃないですかね」

平沢氏が東大を卒業したのは1968年。当時は学生運動が盛んで、学生がストライキを決行するなど大荒れだった。

「街頭で石を投げたり火炎瓶を投げたり、大変な騒ぎでした。東大では安田講堂が占拠され、中に入るどころではありません。私が一番怒ったのは、授業のストライキです。大学の中に入れないわけですよ。授業を受けるのは学生の権利だ。反対している連中がどうしてもストライキをやりたいと言うなら、勝手にやればいいわけですが、授業を受けさせないという。そんな権利が彼らにあるのかどうか。国の治安維持はしっかりやらなきゃだめだということで警察庁に入ったんです。元々は海外での仕事に憧れ、商社の中で一番印象の良かった丸紅さんに行く予定だったんですが急きょ、卒業直前に志望先を丸紅から変えたわけです」

インタビュー・文/請川公一 内外タイムス編集部

《プロフィール》
平沢勝栄(ひらさわ・かつえい)1945年9月4日、岐阜県大野郡白川村生まれ。東京大学法学部卒業後、警察庁に入庁。外務省在英国日本国大使館一等書記官、内閣官房長官秘書官、岡山県警察本部長、警察庁長官官房審議官、防衛庁長官官房審議官などを歴任。1996年、衆院選に東京17区から自民党公認で出馬し初当選。以降、連続当選11回。菅義偉内閣で復興大臣、福島原発事故再生総括担当大臣を務めた。

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