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「秋葉原殺傷事件」加藤元死刑囚の友人・大友秀逸さんインタビュー(後編)「誰かを救うことで、自分も救われている」バッシングを引き受け、SOSに応え続ける理由

先日、大友秀逸さんのもとに、秋葉原無差別殺傷事件を彷彿(ほうふつ)とさせる襲撃を匂わせるDMが届いた。大友氏が警察に通報したことで送信者は逮捕され、事件は未然に防がれた。普段からX(旧Twitter)などで一日15~20件の生きづらさを抱える人々の相談を受け続けている大友氏。なぜ身の危険や激しい批判にさらされながらも活動を続けるのか。その葛藤と覚悟の背景を『内外タイムス』に明かした。

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「バッシングを引き受ける」覚悟を決めた理由

2008年6月8日、加藤智大(元死刑囚)が起こした凄惨な事件から長い年月が経過した。事件直後、テレビのワイドショーに出演したことをきっかけに、新聞社や各種メディアからの取材依頼が相次ぐようになった。口コミや紹介が連鎖し、メディアで実名と顔を出して発言を続ける唯一の「元同僚・友人」となった大友さんだが、世間の目は決して温かいものばかりではなかった。

「『金もうけができていいですね』といった心ない言葉をよくかけられます。そんな事実はないと伝えても『領収書を見せろ』と言われ、受け取っていないことの証明ができずに苦しみました。取材を受けることで会社を干され左遷されたり部屋を強制退去にもなりました」

そうした中、転機となったのは被害者の一部の方と同席したあるイベントだった。東京拘置所にいる加藤本人に直接怒りをぶつけることができない遺族が、名前と顔を出して加害者側に身を置く自分に対し、やり場のない憤りをぶつけてきた。

「怒りをぶつける対象がないのだと実感しました。それなら、自分のような人間が代わりに受け止める位置にいてもいいのではないかと思えたのです。他の元同僚たちが社会的な影響を恐れて語りたがらないのならば、自分には失うものもありませんし、オファーがある限り語り続けようと覚悟を決めました」

「他人を救うことで、自分も救われている」

その後、自身の幼少期の虐待体験を明かした書籍やウェブ記事が大きな反響を呼び、世間の関心は「加藤の話」から「大友さん自身」へと変化していった。

「記事の中に『たくさんの相談が寄せられる』という記述があったため、それを見た人たちから一気に悩みのメールやDMが届くようになりました。最初は『どこに相談したらいいか』という問い合わせでしたが、次第に『毒親に育てられたが、自分も加藤のようになってしまうのか』といった内容や、『消えてしまいたい』という悲痛な叫び、時には社会への攻撃性をはらんだ深刻な内容へと変わっていきました。支援活動をしようと意気込んだわけではなく、流されるように向き合ってきた結果です。試行錯誤しながら対応を続けるうち、少しでも相手の心が軽くなればうれしいと思うようになりました」

そんな大友さんに対し、毒親やアダルトチルドレン研究の第一人者である精神科医・斎藤学氏は「誰かを救うことで、自分自身を救っているのではないか」と語りかけたという。

「本当に腑(ふ)に落ちる言葉でした。虐待されていた幼少期の僕は、泣くと父親から余計に殴られるため、泣きたいときは歯型がつくまで腕を噛んで泣くのを堪えていました。今困っている人たちと向き合い、その苦しみを分かち合うことで、当時の幼い自分も一緒に救われているような感覚があるのです。だから、これは僕のエゴでもあります」

専門家からの批判と「地獄の淵」での対話

一方で、専門資格を持たない大友さんが精神的な相談に乗り続けることに対しては、カウンセラーや専門家からの厳しい批判も絶えない。

「『素人が余計なことをすると本職が迷惑する』といった批判メールはたくさん届きます。専門家の間では相談相手と私的に直接会うことはご法度とされていますが、僕は必要であれば直接会いに行きます。正直、身の危険はあるかもしれない。しかし、気持ちとして、行かざるを得ないのです。もちろん僕自身『自分は無資格の素人だから治療はできない。一緒に悩むことしかできない』と最初に明確に伝えた上でやり取りをしています。また、批判してくる専門家の方々自身も、過去にトラウマや苦しみを抱え、それを乗り越えようと葛藤されていることが多いと感じます。上から目線で指導するのではなく、同じ『地獄の淵(ふち)』に腰を下ろして一緒に悩む。これこそが、無資格の自分だからこそできる寄り添い方だと思っています」

死刑執行の夜の電話と、保護司への道

こうした相談活動に加え、大友さんは2023年に保護司の資格を取得した。その動機となったのは、2022年7月に加藤の死刑が執行された夜、ある事件被害者からかかってきた一本の電話だった。

「その日、朝から晩まで取材対応に追われ、倒れ込むようにベッドに入った瞬間、一本の電話が鳴りました。出ると、日頃から交流のあった事件被害者の方からでした。電話口でその方は『なんで本当にもっと早く殺してくれなかったんだ!』と泣き叫んでいました。

一生を取り返しがつかない形に壊されてしまった凄まじい絶望感。友人でありながら加藤を止められなかった僕は『ごめんなさい』と謝り続けることしかできませんでした。受話器越しに聞いた悲痛な叫びが頭から離れず、『これほど重いものを背負わされた被害者のために、再犯を防ぎ、次の犠牲者を生まないために自分ができることはないか』と考え抜いた末に行き着いたのが、保護司という選択肢でした」

大友さんの元には日々多くのSOSが届くが、本当に危惧すべきなのは、ネットで声を上げることすらできない孤立者たちだと語る。そうした悲劇を防ぐ手立てとして、大友さんは「地域コミュニティーの再構築」を強調する。

「富山で無差別殺傷を企てて逮捕された男のケースでも、近隣住民は『黒ずくめでウロウロしていたあの人だ』と存在を把握していました。正しく認知できていたのなら、異物として排除するのではなく、誰か一人が手を差し伸べたり専門機関につないだりしていれば、違う未来があったはずです。孤立している人ほど関わりを避けるのが今の社会ですが、それでは危険な妄想を膨らませてしまいます。公的福祉も必要ですが、私的なつながりも今後重要になってくるのではないかと思っています」

絶望をゼロにはできなくても、薄めていくことはできる

絶望を抱える人を減らし、社会が悲劇を繰り返さないためにどう変わるべきか。大友さんは静かな口調でこう締めくくった。

「孤立や絶望を『ゼロ』にするのは無理かもしれません。イメージとしては『海にプールの水を注いで薄めていく』ような感覚です。劇的な変化はなくても、確実に濃度は薄まっていると信じて向き合うしかない。勝手に向き合っている以上、『これだけやってあげたのに』と苦しむのは違います。

そして、苦しんでいる人には可能な限り多くの『選択肢』を示してあげたい。『これしかない』と追い詰めるのではなく、いろんな生き方の選択肢を提示する。正解や教科書はありませんが、真剣にぶつかり続けることで、誰かの苦しみを少しでも薄めることができればと思っています」

《プロフィール》
大友秀逸(おおとも・しゅういつ)1976年青森県生まれ。2008年の秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大元死刑囚の元同僚で友人。事件後、「犯人の友人」として実名・顔出しで発信を続け、現在は保護司としても活動。XのDMには生きづらさを抱える人々から数々の相談が寄せられる。

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