国際興業創業者一族 小佐野匠インタビュー(第2回)祖父政邦の死去と現会長隆正との対立 竹中平蔵の施策で国際興業から小佐野家追放の危機に
つまらなかったと振り返る中学校時代。慶應義塾普通部に進むと中学受験で外部からの入学もあり、新しい風が入って来た。小学校からの“世間知らず”というコミュニティーに微妙な変化を及ぼした。初めていじめに遭った経験もつまらなかった理由の一つだったのかもしれない。
「今となっては、すごくいい経験だったと思いますよ。人の痛みが分かる経験ができた。それは今の経営にも生きていて、私は基本的に部下に怒鳴り声を上げたり、怒ったりしないですよ、本当に。 何とか自分で気付いてもらって、能動的に良い方向に動いてもらえるように導いていくっていうのが、私の役割なんじゃないかなと思ってやっています」
中学での人間関係をリセットするため、高校は慶應義塾湘南藤沢高等部に進む。高校では麻雀三昧の日々だったという。だが、高校2年生のころから成績も徐々に上がってきたという。
「中学の環境が嫌だったので、人間関係リセットしたいっていうのもあったんでね。藤沢に行ってみると、すごく良かったですね。だから今、ご縁をいただけたからではありますが、息子もそこ(慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部)に行かせているっていうのもあります。
あの当時はまだ麻雀が流行っていてね。今はたばこが苦手ということもあって一切やらないですけど。祖父の政邦も麻雀が好きだった。早稲田大学でずっと麻雀ばっかりやっていたらしいです。賢治伯父は麻雀ができなくて、花札ばっかりやっていたらしいですけれど。
勉強は自然にできるようになりましたね。コツが分かったんでしょうね。自宅で勉強をするようなことはしなくても、通学で電車の移動時間が長いので、その間に教科書を読んで覚えるものは覚えて。それだけで、それなりの成績取れましたね」
それまで成績が低迷した時期もあったが見事に克服し、その後、慶應義塾大学経済学部に進学する。順風満帆の人生を歩んでいるように見えた。しかし、匠氏が大学1年の時、2001年2月に祖父の政邦氏ががんで亡くなったことで事態は一変する。
絶対的な後継者だと自負していた隆正氏

「あれは怖かったですよね。自分の場合、親の離婚以来、もともと父親が実質いない状況でしたから、祖父がいなくなると守ってくれる人が本当にいなくなる状況になるわけですよ。それで、そこから2、3年後にはやっぱり懸念した通りになったわけですよね」
国際興業の創設者は賢治氏。生前は100%の国際興業株式を自身で保有するも、1986年に他界し、子どもがいなかったことで、その保有株式は弟で後継者の政邦氏が約42%、賢治氏未亡人の英子氏が約18%を相続した。賢治氏の弟である榮氏はすでに亡くなっており、その息子が現在の国際興業の会長を務める隆正氏で、当時29歳だった彼も約40%を代襲相続した。
隆正氏は自分を賢治氏の絶対的な後継者と自負していた。そうしたなか、匠氏の祖父政邦氏は1%弱の株式だけを保有していた姉の内田せきの氏の子である内田久幸氏(1999年に急逝)と隆正氏を常に同時に昇進させ、ライバル関係にさせていた。
政邦氏からすると、約40%の国際興業株式を持つ隆正氏が次期社長になるまでは容認できても、隆正氏に娘しかいなかったことで、ある程度は内田氏にも権力を分散させておけば、自ずと匠氏がすべてを承継する形に道が開けると考えていたのだろう。
しかし、内田氏はくも膜下出血で政邦氏より先に急逝してしまい、この狙いは奏功しなかった。隆正氏に対し、単に政邦氏と匠氏への恨みだけを醸成させる結果となってしまった。
「(祖父政邦の死去する)直前の2年ぐらいは、祖父も気を遣っていて、隆正とは表面上は良好な関係にはいたんです。それまで祖父と隆正との関係が良好ではなかったのは分かっていました。
たぶん、隆正からすると自分が賢治伯父から後継者だってずっと言われていたんでしょうね。ただ、賢治伯父が亡くなった昭和61年の時点では隆正氏はまだ29歳なんですよ。まだ若すぎたんですよね。それで私の祖父政邦が(国際興業の)総帥の座を継いだ。1986年から2001年まで、15年間、祖父政邦がトップなわけですよ。隆正からすると、そこで45歳ぐらいにはなっているので、そろそろ俺の番だろうっていうのは当然思っているわけですよね」
竹中平蔵は国富を売り渡したA級戦犯

「国際興業では、トップ政邦の周りは当然イエスマンみたいな人が多かったわけですよ。だから、ちょっと1人で野党的なポジションを取っている隆正氏は目立ちますし、実際に祖父(政邦)はそれにすごい不満を抱いていたことを覚えていますよ。隆正氏は隆正氏で、結構、外でいろいろと祖父の批判なんか言っていたみたいですから」
政邦氏亡き後、国際興業の社長に就任した隆正氏。匠氏は前述のとおり小学校からの「自分は何もしなくても大学さえ卒業すれば、いずれ国際興業の社長になり、自ずと莫大な富もついてくる」と確信していた。だが、2004年、大学卒業の年、国際興業に入れるかどうか雲行きが怪しくなる。バブルがはじけ、当時、国際興業はグループで5000億円超の有利子負債を抱えていた。メーンバンクUFJ銀行からの借り入れはその多くを占めていた。
竹中平蔵金融担当相(当時)が2002年10月に策定した「金融再生プログラム」(通称:竹中プラン)は、主要銀行に厳格な資産査定と巨額の不良債権処理を迫り、UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)を含む大手銀行の再編・統合の大きな契機となった。
「(いずれUFJ銀行を経て国際興業に入社すると)思っていました。なめていましたね。竹中平蔵氏が金融担当大臣になって、2003年ごろから新聞にいろいろと出始めて、それで小佐野家は全員追放されるとか、そういった記事もあった。UFJからのリークでしょうね。明らかに、UFJをつぶして東京三菱にくっつけてしまおうという動機から、国際興業をはじめ本来は健全な企業をハゲタカファンドに渡すという、まさに国富を売り渡したとんでもないA級戦犯ですよ、竹中平蔵は。
実際、国際興業のバランスシートに1400億円で載っていたハワイの子会社株式が、ゴールドマン(サックス)の鑑定では3000億円とかの評価で、本当は1600億円とかの含み益状態だったところ、竹中氏の意向を受けた金融庁の方針とやらで海外資産は『よく分からない』と逆に1400億円全額減損されて、実態とは4千億円以上異なる評価になって、無理やり債務超過だったことにされたわけです。サーベラス(米投資ファンドのサーベラス・キャピタル・マネジメント)は後に国際興業に投資をしてからわずか1年で全額回収し、さらに2千億円以上の投資利益を得ました。そのことからも明らかです。サーベラスが丸もうけして、日本の国富が大きく流出したということです」
2004年10月28日、匠氏の母は突然、隆正氏に呼び出され、サーベラスによる支援受け入れ方針と、小佐野一族が保有する株式の100%無償減資を、ほぼ決定事項として告げられる。しかし、隆正氏自身は35%の再出資(当時は隠されていたが、後に追加10%を取得できるオプションもあった)が認められて、社長も続投するとの話だった。
国際興業が5000億円超の巨大な負債を抱え、事実上の経営破綻(はたん)状態に陥った責任は、約4年前に他界した前社長の「政邦にすべてあると考えられている」との主張だった。スポンサーの意向で、施設等も出入り禁止となり、匠氏の母が務めていたグループ会社の役員等もすべて解任すると告げられた。
帝国ホテルが約800億円
当然、いきなり応諾するわけもなく、母、匠氏、弟の3人は再出資等を求めて弁護士間で交渉となった。11月19日に何の前触れもなく、祖父の有効な包括根保証1317億円が存続しており、要求を受け入れない限りは国際興業が破綻し、その場合は遺族である匠氏ら3人を金融機関を通して経済的に破綻させるといった趣旨が、隆正氏側の弁護士から最後通告的に告げられた。
「2004年10月28日に、いきなり母が隆正氏から呼び出されて、要は『お前ら出ていけ』という通達を受けたということですね。そこから弁護士を通じての交渉になりました。最後は11月の半ばに今も有効な1317億円の祖父(政邦)の個人保証が見つかったから、それを履行されたくなかったら、この条件飲んで出ていけって言われて。
後の裁判で、一審で『隆正の説明の少なくとも一部はうそだったよね』ということが認められました。一審ではそれでこっちの請求がある程度認められる判決になったんですが、二審で『そんなのは大勢を揺るがさなかった』というような、むちゃくちゃな事実認定になって負けたんですよね」
サーベラスが国際興業に介入し、借金返済と投資回収のため創業者の賢治氏が築き上げてきたグループの資産を次々と売却していく。国際興業は倒産、破産は免れたが、資産・企業は売却された。具体的にどのようなものをどれくらい手放したのだろうか。
「(売値は)全部分かっていますよ。まず帝国ホテル。あれが800億ぐらいでしょ。それで、浜松町2丁目の土地が868億円かな。たぶん今持っていたら5倍ぐらいになっていましたよね。でも、あれも竹中平蔵の時に200億とか300億の査定になっているんですよね。八重洲富士屋ホテルは300億ぐらいじゃなかったかな。
僕が何もしなかったら、隆正氏はおそらくそのまま全部サーベラスに売らせていた。売るとその分が国際興業に現金で入って、サーベラスは55%の権利を持っているから、それを配当で回収していくんですよ。無税で。そうすると45%が隆正氏の資産管理会社に流れるんです。
だけど、彼(隆正氏)は被害者だと(いう立場)。自分は組合の手前(資産売却に)反対した被害者だと言いつつ、お金がチャリン、チャリンと資産管理会社に入ってきて、内心はほくそえんでいるわけですよ。実際に隆正氏は、サーベラスに対して、『人生設計を考えた結果、浜2(浜松町2丁目の土地)と京屋(ハワイ)、帝国ホテル株のみ欲しく、ほかはすべていらない』と発言もしていますし。
実際、ハワイの京屋をノンリコースローンっていうその資産にだけひもづいたローンで、当時、19億米ドルを調達したと思う。今のレートだったらだいたい3000億円ですよね。だからそれを調達して、あの巨額配当を出しているんですよ、国際興業は。その時、隆正氏の資産管理会社に225億円が入ったんですよ」
国際興業創業者一族 小佐野匠インタビュー(第3回)経営危機の国際興業をサーベラスが買収 相続した15億円がゼロに、株式もすべて紙くずに に続く。18日18時公開。

《プロフィール》
小佐野匠(おさの・しょう)1981年生まれ。東京都出身。国際興業株式会社の創設者、小佐野賢治氏の実弟で、帝国ホテル会長や国際興業社長を務めた政邦氏の孫。賢治氏は戸籍上は伯父にあたる。1994年慶應義塾幼稚舎卒業、1997年慶應義塾普通部卒業、2000年慶應義塾湘南藤沢高等部卒業、2004年慶應義塾大学経済学部経済学科卒業、2006年3月早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際経営学専攻MBAコース修了。2006年株式会社レコフ入社。2013年国際興業株式会社経営企画部担当部長、2014年国際興業エンタープライズ株式会社へ業務部長として出向。2019年かいじキャピタル株式会社、2023年にかいじ人材株式会社を設立、代表取締役を務める。






